演奏者はだぁれ?

星雷はやと

演奏者はだぁれ?


「らんらん~」


 ランドセルを揺らしながら、帰り道を歩く。傘に雨が当たり、規則的なリズムが鼓膜を揺らす。その音に合わせて僕は鼻歌を歌う。


「……あれ? なんでこんな所にダンボールがあるのかな?」


 長靴な為、足元に出来た水溜りに容赦なく足を入れた。すると道端に置かれたダンボール箱が目に止まった。長い間そこに置かれていたようで、雨に濡れて所々崩れている。


「ゴミなのかな?」


 何故ダンボール箱が置かれているのか分からず、僕は首を傾げた。朝、学校に行く時には無かった気がする。ゴミならちゃんとゴミ捨て場に出さないといけない。


「あ! 早く帰らないと!」


 雨が激しく降り始めて、母さんから寄り道をしないで帰って来るようにという言い付けを思い出した。今日は、おやつにクッキーを焼いてくれると言っていたのだ。僕は家へと駆けた。


 翌朝、道を確認するとダンボール箱は無くなっていた。





「むぅ……」


 自宅のリビングで僕は唸り声を上げる。今日のお菓子は、ふわふわのパンケーキだが美味しく感じない。眉間に皺が寄るのを感じながら、フォークを齧る。


「あら、ハル如何したの? 難しい顔をして……お腹でも痛いの?」

「違う。だって……曲が……」


 ジュースのお代わりを注いでくれた母さんが、不思議そうに瞬きをした。僕は自身の悩みを口にした。


「曲? ベートーヴェンにショパンは、ハルも好きでしょう?」

「……うん、そうじゃなくて……あの変な曲が……」


 お母さんは僕の向かい側に座ると、微笑み庭を指差した。正確に言えばその先にある、お隣さんの家だ。僕の家のお隣さんは、水崎さんというご夫婦が住んでいる。彼らは音楽好きで、ピアノの音が良く聞こえてくる。

 僕も両親も、聞こえて来るピアノの音色が好きだ。それに水崎さん達は優しく、曲名を尋ねると笑顔で曲名を教えてくれる。だが数日前から、その聞こえてくる曲がおかしいのだ。


 何時もの曲に混じり、不規則な旋律で音の高低もばらばらな曲が聞こえてくる。


 それが、僕を悩ませている原因だ。


「う~ん。お母さんは音楽に詳しくないから分からないけど、もしかしたら、そういう斬新な曲なんじゃないかしら?」

「……そうかなぁ?」


 頬に手を当て、母さんが困ったように笑った。僕はその意見を聞いても納得がいかず、お隣さんの家を見る。


「そんなに気になるなら、行って来たら良いじゃない」

「えっ……」


 唐突な言葉に僕は、驚き思わず母さんを見た。


「だって、気になるのでしょう? 回覧板を渡すついでに聞いてきたら?」

「うん、行ってくる!」


ウインクをする母さんから差し出された回覧板を両手で受け取る。靴を履き、勢い良く玄関を出た。



「うぅ……どのタイミングで行けばいいのかな?」


 僕は水崎宅の門前で困っている。母さんの後押しを得て家を出たのは良かったが、外に出たタイミングでピアノの音が聞こえ始めたのだ。しかも、あの変な曲である。僕は戸惑い呼び鈴を押すことを躊躇しているのだ。


「よし……行くぞ」


 回覧板を届けるという大義名分が、僕にはある。覚悟を決めて、呼び鈴を押すために手を伸ばした。


「あら、ハルくん? こんにちは。御用かしら?」

「やあ、こんにちはハルくん」


 後ろから声をかけられて振り向くと、笑顔の水崎さんご夫婦が立っていた。何処か出かけていたようだ。


「……えっ、あ……こんにちは……。あれ? ピ、ピアノの音が……あの……」


 二人に挨拶し回覧板を渡すと、あることに気付いた。水崎たちは目の前に居て、今出掛けて帰って来たようだ。そうすると現在、聞こえているピアノの音は誰が奏でているのだろう。水崎さんたちは二人暮らしの筈だ。


 何故だか変な曲が、とても怖い音色に感じる。


「嗚呼、このピアノはあの子が弾いているのよ」

「お気に入りのようでね。出掛けている間も弾いているのだよ」

「え? あの子?」


 僕の言葉を聞いた二人は、お互いに顔を見合わせた後に笑顔を向けた。そして不思議なことを告げられて、僕は首を傾げた。


「会えば分かるわ。さあ、上がって」

「そうだね。ハルくんなら良いお友達になってくれるだろう」

「お……お邪魔します」


 水崎さんたちに促されて、変な曲が流れるリビングへと恐る恐る足を踏み入れた。


「……え……」


 何度か訪れたことがあるその部屋に入ると、真っ黒な猫がピアノの鍵盤に乗っていた。そして、手足を好きなように伸ばしては鍵盤を叩いている。まるで踊るかの様に音を奏でていた。


「にゃあ!」

「わっ!?」


 真っ黒な猫が振り向き、その金色の瞳に僕を映したかと思うと僕へと飛んで来る。僕は慌てて、両手を広げて受け止めた。


「んにゃあ!」

「ふふっ、くすぐったいよぉ!」


 猫は僕の頬に頬擦りするので、柔らかい毛並みが擦れてこそばゆい。両手は猫を抱えている為、僕は抵抗する術がなく遊ばれる。


「あらあら、仲良しさんね」

「仕方ないさ。クロは、ずっとハルくんに会いたがっていたからね」

「……え?」


 水崎さんご夫婦は、僕と猫を微笑ましそうに目を細めた。この真っ黒な猫の名前は、クロというらしい。僕に会いたかったというのは如何いうことだろう?


「実はね、クロはこの間の雨の日に拾ったのよ。病院で診てもらって元気になるまで、そこの窓辺で外を眺めていたの。そしたら、ハルくんのことが気になるみたいなのよ。毎日その窓からハルくんを見ているのよ?」

「それでハルくんはピアノの音が好きだよと言ったら、私達の真似をして弾き始めてね。驚いたよ」


 二人は優しい手付きでクロの頭を撫で、クロは嬉しそうにその手に擦り寄る。まさか、変な曲を奏でているのが猫なんて思いもしなかった。その行為が、僕に会いたかったからだなんて予想外過ぎる。

 僕は友達を作るのが苦手で、家に帰ってからは庭で一人遊んでいた。それをクロが見ていたなんて知らなかった。


「……もしかして、ダンボール箱の?」

「そうよ、クロだけ先に保護して後から片付けたのよ」


 あのダンボール箱に、クロが捨てられていたという事実に胸が苦しくなる。水崎さんたちが拾ってくれなかったら、この腕の中の温もりは無かったかもしれない。腕に力が籠った。


「にゃ?」

「ふぇ? なに? 僕は食べ物じゃないよ?」


 突然、クロに頬を舐められ声を上げた。ざらざらとした舌が僕の頬を舐める。お腹が空いているのだろうか。


「ハルくんに元気を出して欲しいのよ」

「ずっと会いたかった相手だからね。クロのお友達になってくれるかな?」

「うん、勿論!」

「にゃあ!」


 水崎さんたちの言葉に、クロを抱きしめると元気よく返事をした。



 〇



「あ! クロが呼んでいる、遊んでくるね!」

「ええ、行ってらっしゃい」


 水崎さん宅から、クロの奏でるピアノの音が聞こえると僕は外へと出た。あれから、クロの奏でる曲は『変な曲』から『クロの曲』へと認識が変わった。


「お待たせ、クロ! 今日は何処に遊びに行く?」

「んにゃ、にゃあ!」


 塀から僕の肩に飛び移ったクロは、僕に任せるというかのように頬に擦り寄った。


「よし! 今日は公園に行こう!」

「にゃ!」


 新しい友達と共に青空の下、駆け出した。



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演奏者はだぁれ? 星雷はやと @hosirai-hayato

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