最終話 人間の味

「我ながら、とんだ失態を犯したものだ。人の子などに、正体を暴かれるとは」

 しかし、不思議と気分は良かった。

 ふぅっと息を吐く。口から橙色の火の玉が一つ飛び出し、夜の闇にぽわりと浮かび上がった。丁度良い退屈しのぎだ。闇の濃い、夜の川面にいくつも浮かべれば、なんとも風情ある景色を楽しむこともできる。樫の木の下に横たわり、私は夜の一時を楽しんでいた。

 ふいに、辺りの草木がざわついた。その不自然さに、私は思わず嘆息を漏らす。次の瞬間、思った通り激しい風が起こった。木々の葉を揺らすその風は、空気の渦となって私の前に舞い下りた。

「良いものだろう。人間の味は」

 案の定、薄笑いを浮かべた兄が姿を現した。

「弟よ。人間の味を知った喜びを聞かせよ。今宵はとくと、語り明かそうぞ」

 兄には目もくれず、私は無言で宙を漂う火を眺めていた。

「まさか、お前」

 視界の端で、兄のこめかみがぴくりと動いた。

「まだ喰っておらんのか!?」

 鋭い目で私を睨みつけ、一歩間合いを詰めてくる。

「言ったはずだ。興味がないと」

「腰抜けが! それでも妖狐か! まさかお前、人間につまらぬ情でも抱いたのではないだろうな?」

 声を荒げ、兄は尻尾を逆立てた。

 なんとでも吠えているがいい。まくし立てる兄を尻目に、私はもう一つ火を浮かべた。伊達に長年、この兄の弟をやっていない。こういう場合、気が済むまで言わせておいて、やり過ごすに限る。

 その後もたっぷり半刻ほど、兄は相変わらずの子犬ぶりを発揮した。

「おや、何だ? その面妖なものは」

 ひとしきり罵って満足したのか、兄は木の根本に興味を示した。誠之助から譲り受けた河童が、月の光を受けて佇んでいる。

「触るな」

 兄が近寄る前に、私は石をこちらに引き寄せた。

「これは驚いた。お前が物に執着するとは。貴重な品か?」

「まぁ、そうだな」

 石に触れると、誠之助の姿が頭をよぎった。べそをかいたかと思えば満面の笑みを見せ、兄のようだと慕ってきた可笑しな人の子の姿が。気がつけば、口元が緩んでいた。

「兄よ。私は人間の味は知らぬがな――」

 私は誠之助の河童を、爪の先でちょいと小突いた。

「人間味なら、知っておるぞ」

 きょとんと目を丸くするばかりの兄の間抜け面を、鼻で笑ってやった。


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人間の味 月星 光 @tsukihoshi93

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