18-2 休息と備え

 インフィニティードッグの暴走を解決したハクたちは、セントリアに向かって馬車での旅を続けていた。


 アルナやタツアは村に一人取り残されていたルメスからいろいろと言われたらしいが、力尽きて丸一日眠り続けたハクが目を覚ました頃には全て終わっていて、ハクは心配そうなアルナに見守られながら起きたのだった。


 それから夕食の折に、ハクが山にいた間にアルナ達の方で何があったのか話を聞いた。おおよそはハクが予想していた通りだったが、想像以上に心配をかけていたようだ。

 実際、盗賊にさらわれるとかいう経験はハクにとっても衝撃的で、無事に帰ってこられて心底安堵している。


 ハクと盗賊たちの間で何があったかについては、ごまかしながら適当に説明した。グンハは納得しきれないようだったが、ハクは追及される前に話を変えた。


 体力もすっかり回復したハクは、心に決めていたことがあったのだ。


「グンハさん、僕に戦い方を教えてくれませんか? 今回の一件で、自分の未熟さを思い知りました。それに力が無いと、いざという時にアルナを守れない」


 ハクは真っ直ぐにグンハを見つめて頼み込んだ。

 すると、グンハは呆れたように小さくため息をついた。


「君もか」

「え?」


 ハクはアルナに視線を向けながら答えた。


「ハクが眠っている間に、アルナからも修行をつけるように頼まれたんだ」


「そうなの?」


 ハクが聞くと、アルナは少し照れたように頷く。


「私ももっとハクの役に立ちたいし、自分の身くらいは守れるようになりたいから」

「なに言ってるんだ? 自分がハクを守るんだって息巻いてたじゃないか」


 タツアの指摘に、アルナは慌てたように手を振る。


「ちょっとタツア君、それは言わなくていいから」


 それからアルナはハクにそっと目をやる。


「私なんかじゃ、おこがましいかもしれないけど……」

「ううん、ありがとう、アルナ」


 微笑むハクに、アルナも嬉しそうに胸を撫で下ろした。


「グンハさん、お願いできますか?」


 改めて頼み込んだハクに、グンハは少し困ったように答える。


「もちろんそれは構わないが、私が教えられることはそれほど多くないかもしれないぞ。魔獣との戦闘で、君は十二分に戦えていたからな」

「あれは付け焼き刃ですから。ちゃんと一から教わって実力をつけたいんです」


 熱心なハクに、グンハも今度はしっかりと頷いた。


「分かった。ただし、剣や体の使い方ならともかく、魔法に関しては私も苦手分野だからあまり役には立てない……」

「だったら魔法に関しては私が教えるわ!!」


 はっきりとした声が耳に刺さった。

 その声の主を見て、グンハは眉をひそめて言う。


「マニュア、随分と早かったな……」

「急いで来たのよ! 二人まとめて私が面倒見てあげる。魔術師のマニュア様直々に魔法を教えるのだから、文句はないでしょう?」


「はい!」

「よろしくお願いします!」


 素直に感謝するハクとアルナの二人に、マニュアはご機嫌な様子で満足げな笑みを浮かべた。

 その様子にグンハはため息をつきながら、額に手を当てた。


「では旅仲間が一人増えますね。マニュアさん、どうです一緒に」


 そう言ってルメスが夕食のスープを勧めると、マニュアは持っていた杖を置いて器を受け取る。


「あら、気が利くじゃない」


 そうして勝手にハクの隣に座って、マニュアは仲間に加わった。


 こうして魔法や戦い方を教わりながら、ハク達はセントリアを目指したのだった。



 ◇◇◇



 とある村に泊まったある夜、みんなが寝静まった頃を見計らってハクは部屋を抜け出した。


 商人であるルメスのためにと、村人が宿泊用に貸してくれた木造の空き家は、やや古いものの時々旅人が使っているのか綺麗だった。


 夜のしじまの中、軋む廊下をそっと歩いて目的の一室に向かうと、そこではアルナが待っていた。


「アルナ、お待たせ」


 ハクが声をかけると、壁にもたれかかってうつらうつらとしていたアルナは顔を上げて眠たげな黒い瞳をのぞかせた。


「ハク、全然待ってないよ」


 そう言って優しく微笑んだアルナの呼吸は少し速い。

 今日は昼間からアルナの調子が少し悪そうだった。死蜜の呪いの効果が現れてきたのだろう。


 まだ重症では無いが、早めに命を分け与えておいた方がアルナも楽だろう。


「アルナ、少し待っててね、今用意するから」


 ハクは床に座ると、ポーションを3本取り出して安定する所に置いた。何かあった時のために、レッドポーションをあらかじめアルナに持たせておいた方が良いだろう。


 そうしてハクはレッドポーションを作るために、いつものように杖の先端を尖らせて指を傷つけようとした。ポーションにハクの血を適量混ぜれば、レッドポーションの完成。少し痛いが簡単な作業だ。


「ハク、待って」


 しかし、この時はハクの様子を見ていたアルナが声をかけてきた。


「なに?」


 ハクが不思議に思って聞くと、アルナは真面目な顔で座ったまま近づいてきた。


「ハク、前にソウさんが言ってたよね。供え子のを口にした者は、どんな病気も治るって」

「うん、そう言ってたと思うけど。今さらなにを……」


 困惑しているハクに、アルナは少し苦しげな表情で言葉を続ける。


「ということはさ、別に血じゃ無くてもいいんじゃない? 体液ならなんでも。例えば、涙とか汗とか唾液とか、それから……」

「なっ! なに言ってるの!? アルナ」


 ハクは驚いて少し後退ずさったが、アルナは真剣だった。


「私、申し訳なく思ってるの。血を出すためにはハクがいつも痛い思いしないといけないから。だから、もし傷つけなくて済む方法があるならその方が……」


 そう言いながら這い寄って来るアルナに、ハクは逃げるように少しずつ後退りながら答える。


「上手くいくとは限らないし、私全然問題無いから……」

「試してみるだけでも……」


 そしてアルナはハクの目前に迫っていた。

 アルナがハクの痛みを心配しているのは分かる。


(けど、そういう問題じゃないから!)


 焦ったハクは自分の顔が赤くなっていないか心配した。心臓の鼓動はさっきから鳴りっぱなしだ。


「痛くないから」


 アルナに押し倒されて、ハクは恥ずかしさでパニックに陥っていた。変な汗が出てきて、涙もこぼれ出る。


 ゆっくりと近づいてくるアルナの切なげな顔に、ハクは目を閉じた。



 その時、廊下の床が軋む音がした。


「あっ」


 漏れ出たような声に目を開けて見ると、廊下には愕然としたタツアの姿があった。


「タ、ツア……」


 タツアの視線と目が合う。


「お前ら、やっぱり……」

「いやいや、誤解だから!」


 咄嗟に釈明しようとしたハクだったが、状況的に何と言っていいか思いつかなかった。


「じゃっ、邪魔して悪かったな」


 そう言ってタツアは顔をそむけると、急ぎ足で去っていった。


「待ってタツア!!」


 ハクの声を置き去りにして、タツアは行ってしまった。


「あー、誤解されちゃったね」


 アルナを見ると、苦々しさと楽しさの混ざったようなさっぱりとした笑顔を浮かべていた。


(なんでそんな表情できるのさ……)


 不満げなハクの視線を感じたアルナは、穏やかに微笑んで謝る。


「ごめん」


「私、タツアの誤解を解いて来る」


 そう言ってハクは素早く自分の指を杖で切りつけた。


「あっ!」


 声を上げたアルナの口に有無を言わさず、血の出た指を突っ込む。

 さっきからアルナはふらふらしていたし、きっと頭もあまり回っていなかったのだろう。

 アルナの目が冴えていくのを確認したハクは、指の傷を塞いで部屋を出た。


「アルナ、じゃあ、また後でね」


 部屋に取り残されているアルナに軽く手を振って、ハクはタツアを探しに行ったのだった。



 ◇



 ハクは、小高い丘で夜空を見上げているタツアを見つけた。


「タツア」


 ハクがそっと声をかけると、タツアは顔を向けて普段とあまり変わらない反応をした。


「ハクか」


「隣いい?」

「ああ」


 ハクはゆっくりとタツアの隣に座り、同じ夜空を見上げた。


 夜空には星が一面に広がっていて、澄んだ空気も相まって心にじんわりと感動が沁みていく。

 前世のプラネタリウムやどこかの山で見た星空よりも綺麗に映るのは、もしかしたらこの体の視力のおかげかもしれないけれど、この夜空が美しいということはきっと誰もが共感してくれるだろう。


 ふと思う。どんな魔法も、世界に元来備わる自然の雄大さには敵わないのではないかと。


 そんな感傷に浸るのはほどほどにして、ハクはタツアの横顔に視線をやった。


「タツア、さっきの事だけど……」

「別に俺に気を使わなくていい」


 タツアは平然を装って、淡々と答えた。


「本当に誤解なんだ」


 ハクは誤解したままのタツアにゆっくりと説明する。


「僕とアルナは、君が想像しているような関係では無いよ。ハイナドの街で身寄りのない子供たちが集まってできた共同体、そこで少しの間一緒に暮らした仲間なんだ。ただ、生き残ったのが僕とアルナの二人だったってだけ」


 ハクの告白に、タツアは少しの沈黙の後に口を開いた。


「そうだったのか。……そこには、クロトってやつもいたのか?」


 タツアの口から出た名前に、ハクは驚いてタツアを見た。


「なんでその名前を、……そうかアルナから聞いたのか」


 ハクは短いけれど大切な思い出を心に抱きながら答えた。


「僕は新入りで一緒にいた時間は短かったけど、それでも強くて頼りになる友達だった。炎を操る、例えるならダークヒーロー?みたいなカッコイイやつだった。アルナは僕よりもずっと一緒にいたから、彼を失ったことは……」


 その心中は想像できない。そして実際の事情はもっと複雑だ。


 言葉を失ったハクに、タツアは静かに声をかける。


「そうか、お前たちは本当に大変な目に遭ったんだな」


 それから、タツアは真っ直ぐな視線をハクに向けた。


「それでも、二人が生きてて良かった、って俺は思う」


 タツアの純粋で真っ直ぐな思いは胸に響いて、ハクは思わず笑みをこぼした。


「ありがとう、タツア」


 それから、ハクは気を取り直して話を続けた。



「さっきは少しバランスを崩しただけなんだ。アルナの体調が優れなくてね」


 ハクの言葉に食いつくように、タツアは前のめりに聞く。


「アルナちゃん、具合悪いのか!?」


 心配そうなタツアを見たハクは、落ち着いてゆっくりと話す。


「とりあえずは大丈夫。ただ、アルナが受けた呪いは簡単には解けないから」

「呪い?」

「うん、ハイナドが滅びた時に受けた呪い。僕たちの旅の本当の目的はアルナの呪いを解くことなんだ。ハイナドの滅亡から僕たちを救ってくれた人が、呪いを解けそうな人に心当たりがあるって言うから、その人に会いにいくために旅をしているんだ」


 ハクたちの事情をしっかりと受け止めるように、タツアは真剣に話を聞いていた。


「その人がいるのが、霧魔山……」

「そう。だから、馬車に乗せてくれて本当にルメスさんとタツアには感謝してるんだよ」


 ハクが感謝を述べると、タツアは笑顔で応える。


「俺もハクたちを馬車に乗せられて、一緒に旅ができて良かったよ」


 こういう事を恥ずかしげも無く言えるのは、タツアの長所と捉えるべきなのだろうか。


 ハクは心を落ち着けてから、話を変えた。

 

「それで、タツアは何たそがれていたの?」

「え?」

「ボーっと夜空を見上げてたでしょ。悩み事でもありそうな顔で」


 ハクの指摘に、タツアは苦笑いをして答える。


「別に大した事じゃない。俺はハクやアルナちゃんみたいに魔法の才能ないからさ。二人は毎日頑張ってるのに、俺だけ置いてかれてる気がして。俺は無力だ」


 そう言って寂しそうな顔をしたタツアに、ハクは納得しかねるといった顔で思ったままを告げる。


「そんなことないよ」

「え?」

「タツアはすごいよ。この前のインフィニティドッグとの戦いだって、タツアの鎮静薬が無かったらどうにもならなかった。知ってる? 知識や知能はそれだけで武器になるんだよ」


 ハクの言葉に、落ち込んでいたタツアは顔は徐々に明るくなっていく。


「だから、色々な事を知ってて頭もいいタツアはすごいんだよ。僕はあまりものをよく知らないから、君のことは頼りにしてる」


 すると、タツアは露骨に嬉しそうな顔をした。


「そ、そうか〜」


 浮かれているタツアを見て、ハクは思う。


(やっぱり、単純なところは変わらないな)


「まぁ、馬鹿なところもあるとは思うけど」


 ハクの小言に、タツアは顔を顰めた。


「え? さっきは頭良いって言ってただろ?」

「頭のいい馬鹿ってこと」


 ハクが立ち上がって丘を下り始めると、タツアも追いかけて来る。


「どういうこと? ハクってなんか時々俺に冷たくない?」

「心のままに生きろって言ったのはタツアでしょ?」


 ハクのさっぱりとした物言いに、タツアは一瞬言葉に詰まるも食い下がる。


「た、たしかにそう言ったけどさ、なんかもうちょっとさ〜」


 そうしてくだらない会話をしながらみんなのいる家に戻るハクは楽しげで、すっきりとした表情をしていた。

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流浪の癒し手 〜入れ替わりから始まる異世界人生〜 U0 @uena0

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