ネオ・トースト
白野椿己
ネオ・トースト
3歳の姪はあまり女の子らしくないなと思う。
かわいいお人形よりも車のおもちゃが好きで、スカートよりもズボンを選ぶ。
おままごとをするよりも駆けっこをしては、転んで擦りむいて楽しそうにケラケラと笑う。
近所の女の子たちとは気が合わないらしく、男の子とばかり遊んでいるらしい。
今日も朝から叩き起こされ2人で戦隊ものヒーローのテレビを見た。よく見るとパジャマに描かれているヒーローだ、ちなみにパジャマの地の色はブルー。
初対面の日にプレゼントしたピンクのリボンは強く拒絶され、俺の前髪に付けてとても満足げにしていた。将来は俺をお嫁さんに迎えたいらしい、それは趣味が悪すぎる。
2週間前に新卒から3年続けた仕事を辞めた。
1年目の頃から明らかに感じていた仕事の多さと理不尽な上司達。
離職率も高く入れ替わりが早い会社に、それでも自分なんかが働かせてもらえるならと続けてきた。
何十回目かの辞めたいという気持ちでエンジンはぶっ壊れ、辞表を叩きつけて退職した。
3年間続けたってやりたい仕事もやりがいも見つけられなかった。
そして俺は今、兄夫婦の家に居候している。これまでは社員寮に住んでいたので、ひとり暮らしか実家に戻るか迷っていた。
なのに気付けば兄に電話をしていて、条件付きでしばらく居候させてもらう事になっていた。
兄が提案してきたのは、写真でしか見た事がなかった姪の子守りをする事だった。
正直なところ、すぐに追い出される覚悟をしていた。激務にくたびれて覇気のない地味な顔、多少大人っぽく見えたらと伸ばした短いあごヒゲ、都会と一緒に染まった金髪はバサバサでプリンになっている。
愛想も得意な方じゃなければ目つきも悪い、性格もあまり明るくないので学生時代から友達は少なかった。
優しくて爽やかで人気者だった兄さんとはとても兄弟には思えない、俺が子どもなら苦手なタイプの大人だ。それに俺自身小さな子供と遊んだ経験がほとんどないので、どうしていいか分からなかった。
そんな心配をよそに姪はなんだか俺に懐いている気がする。兄嫁のすみれさんと同じように俺の事をたいちゃんと呼び、初日から膝の上に座ってきた。
つついたら破裂しそうなほどパンパンな頬に怖気づいて、俺の方が緊張していたに違いない。
実際今も四六時中ちょろちょろついてくる姪に少しだけウンザリしている。
髪を乾かしてやる時は細くサラサラとした髪が抜けないか不安になるし、簡単に転ぶから怪我をしないかハラハラするし、隙あらば俺を奇抜に装飾しようとする。
夜には驚くほどぐっすり眠れるから、自覚している以上にヘトヘトになっているようだ。
子守りは想像していたよりもずっと神経を使うらしい、世の中のお母さん達は本当に凄いな。
テレビを見た後に姪を着替えさせていると、兄さんが朝ごはんだと呼びに来た。
テーブルには焼きたてのトーストと数種類のジャムやクリーム、ふわふわのスクランブルエッグ、デザートに色鮮やかなカットフルーツが何種類も置いてあった。この家のオシャレな朝食にはまだ慣れずちょっと照れ臭い。
ミルクたっぷりのコーヒーをしっかりと堪能してからトーストに手を伸ばす。
その手を姪がギュッと掴んでぷるぷると首を振った。
リトルモンスターの機嫌は損ねないに限るので、言われるがまま大人しく手を引っ込めた。
姪はスクランブルエッグが乗ったカリカリのトーストに、絵を描くようにオレンジジャムをぐりぐり塗っていく。端っこに2切れのマスクメロンを乗せて俺に向かって手渡してきた。
見た目のオシャレさは将来が楽しみになるほどセンスを感じるけれど、味的にそのかけ算はよろしくない。
美味しいもの×美味しいものが、美味しくなくなる事を俺はよく知っている。
「よく出来てるじゃないか、昔の太一より上手だろ」
兄さんは堪えるようにして笑っていた、娘を使って弟で遊ぶのはどうかと思う。
俺が姪と同じ背丈の頃、チョコクリームを塗りたくりトマトのスライスを乗せてマヨネーズをかけた、キテレツなトーストを作ったことがある。
それぞれ好きな食べ物だったが、甘さと酸っぱさと青臭さが最悪のタッグを組んで俺にラリアットをかましてきた。
つまりマズさで撃沈した訳だ。
なんと姪はその時の、マズくて顔がくしゃくしゃの俺を撮った写真がお気に入りらしい。
お返しのつもりで姪のトーストを奪い、ジャムとカットフルーツで花畑のように華やかなタルトトーストを作った。
要素が女の子っぽいので気に入らないかもしれないと渡してから気付く。
姪は甲高い声をあげて立ち上がり、両手と一緒に大きくて真ん丸の目をパチパチと動かした。
その目がこちらを向いて、口はニカッと三日月を描く。
「(あ、これだ)」
過去に捨てたはずの感情が、蕾から花開くようにぶわーっと体の中で広がっていく。
中学2年まで世界で活躍するパティシエになりたいと思っていた。
恐ろしきチョコトママヨトーストにノックアウトされた俺は、ちゃんと美味しいものが作れるようになりたいといろんな料理に挑戦し始めた。
甘いものが好きで華やかな見た目に惹かれやすかったから、自然とデザートやケーキを作ることが多くなっていった。
自分が作ったケーキを食べて幸せそうに笑う家族を見て、どんどん作ることにのめり込んでいった。
クラスメイトから男の癖にと鼻で笑われても秘かに練習を続けていたが、周りにバレないようにと東京のコンテストに出たら同年代のレベルの高さに泣くこととなった。
田舎でちょっとケーキが上手なレベルの俺では、到底太刀打ちできなかったのだ。
自信は打ち砕かれ才能の無さに頬を打たれ、俺は夢を東京に捨てて帰ってきた。
就職して再び東京へ来ても、あの日の夢はどこにも落ちていなかったのに。
別にパティシエで大成功しなくたっていい、姪のように喜んで食べてくれる人の顔がたくさん見たいと思った。町の小さなカフェで自分の作ったケーキを出す、その方が俺らしくて悪くないなと感じた。
姪が作ったトーストを大きめの一口で味わう。
オレンジの甘酸っぱさとメロンの爽やかさが広がり、なかなかに良いハーモニーを奏でている。
その音をかき消すように、ふわとろ卵が良くないリズムで横からなだれ込む。確実に卵が邪魔だ、触感の主張が激しすぎる。
すみれさんのスクランブルエッグは塩が多めで少ししょっぱいのもダメだ。
単体ならあんなに美味しいのに。
「ぱん、おいし?」
「んー、まずい」
「えー!」
ぶーぶーとむくれるリトルモンスターがいつもより少しだけかわいく見えた。
もう少しだけ、このトーストを食べて良いと思える程度には。
姪が作ってくれたネオトーストみたいに、俺の夢もネオドリームにしてしまおう。
センスの無さは、言葉選びにもしっかり出ていて思わず笑みがこぼれた。
ネオ・トースト 白野椿己 @Tsubaki_kuran0
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます