欠けているもの

 出かけた時と同じように、真朝を東京まで連れて帰り、世田谷の自宅の前で降ろした。

 真朝は、助手席から降りてパタンとドアを閉めると、軽く頭を下げた。顔を上げた真朝と、一瞬だけ目が合った。熱く込み上げてくるものがあったが、私は正面を向くと、ギアをドライブに入れ、サイドブレーキを下げて、静かにアクセルを踏んだ。ルームミラーの中に、小さくなった真朝が映っているのが見えた。

 そのまま自分のオフィスに戻った。今日は土曜日だったが、年中無休をうたっている探偵事務所である以上、必要があれば仕事をするのは当たり前だった。

 ほぼ丸一日閉め切っていたオフィスのなかは、モグリの業者に伐採されたあとの熱帯雨林のように殺伐として蒸し暑かった。

 壁にぶつかるまで直進する型落ちの掃除ロボットさながらに、エアコンのリモコンまで最短距離で移動してスイッチを入れ、風向を応接セットのほうに向けてソファに座る。

 室内が涼しくなるまで何もする気になれないので、テーブルに放置されていたキューブのパズルを手に取り、二段目をクリアすべくトライしてみる。エアコンから冷たい風が吹き出し、適切な室温に近づくにつれ、徐々に二段目の色が揃っていく。

 何とか二段目を揃え終えると、頭のなかがすっきりした気分になった。パズルを再びデスクの上に置き、ゆっくりと眺める。

 このキューブ型パズルは、二段目までは構造を理解し、頭で考えることでクリアできる。ただしそれ以降は、解答書を暗記するか、パズルの才能がなければ最後まで完成させるのは難しい。

 従って、解答書をなくしてしまった私は、いまのところ、このパズルを完成させることができない。

 いま私が関わっている案件をこのパズルに例えてみると、どうなるだろうか。これまで私が知り得た情報で、二段目まではクリアできたとして、いかにして最後の三段目を攻略するか。

 菱谷を殺した犯人に到達し、銀乃夫妻の課題を解決するためには、まだ何かが足りない。その何かには、どうすればたどり着けるのか。

 あるいは、その何かはすでに私の目の前に提示されているのかもしれない。騙し絵の美女のなかに潜む魔女の老婆のように、いまの私に見えていないだけなのかもしれない。

 もう一度頭のなかを整理してみる必要がありそうだった。

 そう、そもそもの始まりから。

 まず最初に季田がここにやってきて、井東優里の調査を依頼してきた。そのついでに、季田は自分が勤めるファンアロー社の社長である民矢桃子のグラビア記事が載っている週刊誌を置いていった。

 その週刊誌は、いまもまだこの応接テーブルの上に投げ出されたままになっている。パズルのほうを気に留めることはあっても、週刊誌のほうは、ほとんど思考の外にあった。

 何気なくテーブルに手を伸ばし、その週刊誌を取り上げてパラパラとめくり、例のグラビアページを探してみる。

 桃子の載っているページはすぐに見つかった。写真のなかの桃子は、相変わらずキラキラした瞳のまま、カメラ目線でにこやかに笑っていた。しかし、いま私の目を引いたのは、対向ページのモノクロ記事のほうだった。それは次のような内容だった。


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晩春の怪異!

釣り針にかかった白骨が訴える十八年前の無念


 ゴールデンウイークを間近に控えた四月の日曜日。P県Q市内に位置するR川中流の河原で、いつものようにのんびり釣り糸を垂らしていた古城新市さん(仮名/五十二歳)の釣り竿にとんでもない獲物がかかった。

 古城さんが釣り上げたのは、なんと子供のものと思われる白骨化した小さめの頭蓋骨。驚いた古城さんはすぐさま110番に通報し、警察一隊が到着すると、現場はものものしい雰囲気に包まれた。写真はそのあとの捜索の様子を撮影したもの。

 白骨化の状態から死亡後かなりの期間が経っていると推測され、鑑識は難航するかと思われたが、小さな子供の行方不明リストはもともと数が少ないため、身元はすぐに判明したという。

 警察発表によると、その頭蓋骨は、R川に合流するQ市内の用水路付近で十八年前から行方不明となっていた、当時小学校一年生の唐木祐介くん。行方不明当時、前日に通過した大型の台風の影響で用水路はかなり増水していたことから、警察は誤って用水路に落ちたとの見方を示し必死の捜索が行われたが、不可解なことに、ついに祐介くんを発見することはできなかった。

 なお、死亡したのは行方不明となった直後と判明。祐介くんについては既にご両親が水難事故として死亡届を出して受理されており、新たに事件性のある物証が出たわけでもないので、今回の件で改めて捜査はしないということだ。

 なぜ十八年ものあいだ発見されなかったかについては、最近頻発するようになった豪雨で川底が変形し、いままでどこかに固着していた遺体が流されて出てきたのではないか、という説が有力。

「骨が釣り針にかかったとき、生きている魚のような強い引きを感じたんです。まるで、早く自分をここから助け出して家に帰してほしい、そう訴えているようでした」と古城さんは振り返る。

 ともあれ長い歳月を経てようやく家族の元に戻ることができた祐介くん、さぞかしほっとしたことだろう。(編集部取材班)

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 ページの上部三分の二ほどを占める広角の写真は、現場の河原で水に腰までつかって骨の残りを捜索する数名の捜査員にフォーカスされていて、遠くから取り巻く大勢の野次馬が顔にボカシを入れられて端のほうに写り込んでいた。

 初めて見たときと同様に写真に特筆すべき点は何もなかったが、記事のほうには見過ごすことのできない重要な情報が含まれていた。

 ことさら私の目を引いたのは、〈Q市〉という地名と〈十八年前〉という時期だった。

 Q市は銀野充が生まれ育った場所だ。また、真朝が自分は二十二歳で銀乃は六歳年上だと言っていたから、銀乃はいま二十八歳で、十八年前は十歳、小学五年生だったことになる。

 つまり十八年前というのは、銀乃がQ市で森不二緒という同級生とツーショットの写真を撮った年だということだ。

 私は、地方紙に強いオンラインの新聞記事データベースも契約しているので、早速P県の主力地方紙である『P新報』の過去記事を検索してみると、以下のような記事を見つけることができた。


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小一男子が行方不明/Q市


 P県警は昨日夕方、同県Q市**町に住む小学一年生、唐木祐介くん(六)が二十*日午後から行方不明になり、県警や消防が捜索中であることを発表した。

 管轄のQ署によると、祐介くんは今月二十*日、家族と昼食を食べたあと、午後一時過ぎにひとりで遊びに出かけ、そのあと行方がわからなくなったとのこと。夕方になっても帰宅しないことを心配した家族が警察に通報した。

 自宅近くには用水路があり、岸辺に祐介君の足跡が発見されたことから、同署では用水路に落ちて流された可能性が高いとして、重点的に捜索を続けている。用水路は、台風**号による大雨の影響でかなり水位が上昇していた。

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 掲載されたのは、いまから十八年前の二〇**年九月下旬で、そのあとこの記事についての続報はなかった。ありがちな水難事故として処理され、人々の興味を持続させるには至らなかったようだ。

 それにしても民矢桃子のグラビア記事の対向ページに、Q市での事故の締めくくりとでもいうべき取材記事が掲載されたのは単なる偶然なのだろうか。

 このレイアウトを組んだ週刊誌の編集者に意図的なものがあったとは考えにくいし、世の中のほとんどすべての人間にとって、二つの記事に関連があろうとなかろうとどうでもいいことだろう。

 ただし、銀乃充を除いてはだ。

 少なくとも銀乃充については、両方の記事に関係している可能性が出てきた。彼が偶然この見開きを目にしたとき、驚きとともに何か特別な感情を持って二つの記事を眺めたのではないか。

 私は、Q市で十八年前に撮影された、銀乃充と森不二緒の写真プリントを、記憶をたどって再現してみる。体操服姿で戸建ての玄関口に立つ二人の上半身。はっきりと読み取れる、胸のゼッケンに書かれた二人の名前。顔をのけぞらせた銀乃充と、うつむいて手の甲を口に当てた森不二緒。大笑いしている二人の顔は、私の頭のなかで、まだ大きくブレたままだった。

 十八年前に、Q市で起こったことは、何だったのか。それを確かめるために、私は明日、Q市まで出かけてみることにした。

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