生真面目な依頼人
「さあ、なかへどうぞ」
私はノブを回して入口のドアを引き開け、訪問してきた男をオフィスの来客スペースに通した。
築年数の経ったビルのドアは多少ゆがみが生じていて、閉めるときに気持ち持ち上げるようにすると、ガコンと、赤字ローカル線の駅で車両がポイントを通過するときのような音を立ててスムーズに閉じる。
「まずは座って楽にしてください」
男にソファを進めながら、デスクのほうに回ってノートPCと名刺入れを持ち出し、横長の応接テーブルを挟んで男の反対側に自分もすわる。
「すみません、それでは」
ネイビーの夏物スーツを着た男はのっそりとソファに腰を下ろすと、何が入っているのかわからないがそれなりに膨らんだ長方形のビジネスマン向けリュックを脇に置いて、両手をちょこんと膝の上に載せた。
「今日は、ちょっと調べてもらいたいことがあってここに来ました」
男は三十歳ぐらいで身長は一六〇センチ台の真ん中あたりだろうか。背の高いほうではなかったが、必要以上に肉付きがよく、スポーツクラブにダイエットの相談に行ったら、インストラクターが自分付きの顧客にしようと全力で勧誘するのではないかと思わせる体型だった。
小さな目から放たれる強めの眼光は、どちらかといえば、意志が強いというよりは融通が利かないといったほうがしっくりくる。もし勧誘に成功した暁には、インストラクターの期待以上に規則正しくクラブに通い、しっかりと売り上げノルマを達成させてくれることだろう。
髪はおそらく天然パーマのモジャモジャで、モミアゲからつながった顎ヒゲが不精なイメージを醸し出しているが、実際には必要以上に手入れをしていそうだ。自分では、今っぽい、と信じているに違いない。
「私は『ファンアロー』の季田、と申します」
両膝についた腕をちょっと曲げるようにして頭を下げながら、
「あ、やっぱり名刺をお渡ししたほうがいいんでしょうか」
ポケットに手をかけ、名刺入れを取り出すそぶりを見せる。
「内容しだいってとこですが、連絡先とかは別途書類を作りますので、名刺はいただかなくても構いません」
「すみません、慣れていないもので」
とポケットにかけた手を引っ込める。
「探偵に慣れてる方なんていませんよ。それでご用件というのは?」
「ファンアローというのは、シェアリング・エコノミー・サービスを展開している会社でして、私はそこの技術開発の責任者をやっております」
ちょこんとした姿勢のまま、季田は続ける。
「シェアリング・エコノミーというのはご存じでしょうか」
私はノートPCを開いて、神妙にメモを打ち込むフリをしながら、
「料理の宅配を個人が請け負うサービスとか、そんな類いのやつでしょうか」
「そうです。空いた時間やスペース、自分が持っているスキルなどを、ネット上で気軽に売り買いできる新しい取り引きのスタイルです。例えば自宅の使っていない駐車場を時間単位で誰かに貸したり、パソコンソフトを使った事務処理を自宅で空いた時間に請け負ったりとか。あと知名度の高いものだと民泊なんかもそれです」
目を伏せて話す季田は、話の区切りでクイと視線をこちらに向ける。
「ただし、個人にしろ法人にしろ、単独でそれをやろうとしたら大変です。提供できるサービスを告知して、集客して、決済する、それを全部自前でやらなければならないわけですから。普通に考えて、大赤字です。よくてトントン、儲かることはまずないでしょう」
「そこであなた方のようなマッチングサービスが必要になるわけですね」
「その通りです。我々ファンアローも、そのような需要と供給をネット上でマッチングさせる、いわゆるプラットフォームを提供する会社のひとつになります。サービスの告知から、集客、決済まですべてネット上で代行しますから、サービス提供者は自分の持っているリソースをウェブサイトにアップしたら、極論すれば、あとは寝て待つだけ、というわけです」
「僕も、いつも依頼人が来るのを寝て待つしかありません」
季田はにこりともせず、再びクイと視線をこちらに向け、苦手なニンジンを飲み込んだあとの子どものように何秒間か目を閉じた。ニンジン・ジュースにしてリンゴでも混ぜてやれば、もっと抵抗なく喉を通るのにと思う。
「我々が手掛けているのは、主に広告スペースです。例えば郊外の私鉄沿線の駅前に、親子連れに人気の個人でやっているカレー屋さんがあったとして、店内の壁に個人塾のポスターを貼れば、確実に多くのターゲットの目に留まるでしょう。しかし、店主には、ポスターを貼りたい広告主を見つけることは困難ですし、塾を経営しているお母さんが、このカレー屋さんの店内の壁を探し当てることも同様に難しい。そこで我々がこの双方をウェブサイト上でマッチングさせる、そういうビジネスモデルです。もちろん、我々も食べていかなければなりませんので、掲載料の一部を手数料としていただくわけですが、マインドとしては社会貢献の部分が大きいかな、と思っています」
この男はセールスでもしに来たのだろうか。
私は多少退屈してきたが、実入りのいい仕事を持ってきてくれた依頼人でないとは言いきれないので、我慢して話の続きを聞くことにした。
「聞いた話では、儲けることよりも社会貢献を志して起業したほうが、成功率が高いとか」
私が話を合わせると、季田は多少得意げに顎を上に持ち上げて、
「そこをわかっていない会社が多すぎるんです。年中、自社の儲けばかりを考えている」
口調を強めたがすぐに自制して、
「いや、失礼。そろそろ本題に入ります」
また元のちょこんの姿勢に戻った。
「実は、社内の機密情報がライバル社に漏れているんじゃないかと疑っています。社内にスパイがいて、我々のビジネスアイディアを持ち出しているんじゃないかと」
「ミッションインポッシブルですか。スリル満点ですね」
堅い人間を見ると、からかいたくなるのは私の悪い癖だが、依頼人の性格を見極めるために必要なことでもあった。
「あれは国家機密とかでしょう。レベルが違います。とはいえ我々にとってみれば死活問題であることに変わりはないんですが」
やはりストレートに返してくるので「失礼」と謝り、
「思い当たることがあるわけですね」
季田は脇に置いたリュックをつかんで、なかからクリアファイルを取り出す。A4サイズが折らずに入るスペックの高いリュックだった。
クリアファイルを私に読める向きでていねいにテーブルの上に置くと、
「この女子社員がそうではないかと踏んでいます」
クリアファイルは透明で、取り出さなくてもなかに収められたペラ一枚のプロフィールを確認することができた。
ワードで作成したと思われるプロフィールはシンプルで、『井東優里(いとう・ゆり)・二十五歳・世田谷区内小田急線T駅にひとり暮らし』とあり、その下にいまの業務内容などが簡単に記載されていた。いまは、季田の配下となる技術開発部隊のアシスタントと社長秘書的な仕事を兼任しているらしい。
文字ブロックの下にバストアップの写真が一枚。社内で撮った何かの行事の写真をトリミングした画像らしく、ありふれたオフィス風景をバックに笑顔でVサインをする両隣には、他の社員たちの肩から腕の部分が写り込んでいた。
色白で丸顔、目は大きめで、ハーフアップにまとめた髪の下ろした部分には緩いウェーブがかかっている。カジュアルな服装がオーケーの会社らしく、淡い黄色の綿のパーカーの上からでも、ふくよかな身体の輪郭が確認できた。全体として地味な印象を受けるが、何かしら人を惹きつけるものを持っていた。
私は、いままででたらめに打ち込んでいだ文字を削除して真面目にメモを取る準備をし、続きを待った。
「井東はいま、経営と技術開発という、いわば会社のコアとなる情報に接する立場にあります。その彼女が、最近ライバル社の若い男性社員とよく会っているという噂が流れているんです」
「社外で誰と会おうと、個人の自由なんじゃないですか。コンプライアンスに抵触しない限りは、ですが」
「もちろんそうです。ライバル社の社員と付き合っているからと言って、社員のプライバシーに干渉するつもりは会社にはありません」
「上がり目のない既婚者なのに、気になる女子社員の私生活に絡みたがるエラいオジサンは一定数いますよ。あなたはこの子が気にならないんですか」
「私は独身ですが、残念ながら私の好みとは違うので」
真面目なのか冗談なのか判断しかねたが、季田の返しとしては、及第点だろう。
「惜しいことです。それでライバル社というのは?」
「新宿にある『アイマヤ』というベンチャーで、同じくシェアリング・エコノミーのプラットフォーム事業を展開しています。社名は〈既存のビジネスの合間を狙う〉という意味なんでしょう。向こうも広告スペースがメインですが、他にも空きスペースを色々扱っていたり、規模も売り上げも我々よりずっと上です」
「つまり、ファンアロー社のアイディアを入手して、ファンアロー社よりも先にそのアイディアを具現化するに充分な体制がある」
「実はシェアリング・エコノミーのビジネスは参入障壁は低いです。立ち上げるだけなら、それほど難しくありません。だからこそプラットフォーム改善のアイディアがとても重要なんです」
「そのアイディアを、この井東優里という女性がアイマヤに流していると」
「そんな気がするのです。ただ、証拠もないのに問いただして誤解だった場合、彼女をとても傷つけることになります。彼女は優秀な社員ですから、社長も手放したくはないはずです」
季田は何やらソワソワと掌で膝をさすって天井を見上げた。顔全体に占める顎ヒゲの面積が広がり、上下どちらから見ても人の顔に見える騙し絵を思い出した。
「つまり、それが依頼内容ですね」
「はい、井東優里が向こうの社員と会って何をしているか調べていただきたいのです」
「それで彼女の生活圏である世田谷区内の探偵を選んだわけだ」
私のオフィスは世田谷区にあり、駅から多少距離はあるが小田急沿線にあたる。
「お手数をおかけせずに済むのではないかと」
「お受けすることは可能ですが、毎日二十四時間監視するのは多大なコストがかかります。しかも成果が出るとは限らない」
「疑わしい日というのがあります。井東は、普段は社長が退社するまで一緒に残っていますが、社長がひとりで外出し、出先から直帰する日は、井東もそそくさと定時で退社します。まずはその日に絞って調査いただければと考えます」
「承知しました。当日でもいいので、当たりがついたらメールでも電話でも連絡ください」
私は名刺を一枚取り出して季田に渡した。
「念のため私も」
と最初に中断した動作を再開し、季田も名刺を差し出した。
名刺には『開発部 部長 季田完太』とあり、住所は会社がJRの高円寺駅近くにあることを示していた。
契約書を二通作成し、一通を角封筒に入れて季田に渡した。
季田は封筒をリュックにしまいながら、
「あと、参考までにこちらを見ておいていただければ」
封筒と入れ違いに一冊の週刊誌を取り出し、さっきのクリアファイルのときと同じようにテーブルの上にていねいに置いた。他の週刊誌に比べて表紙は地味だが、スクープで定評のある週刊誌だった。ウェブマガジンに押されながらも、なんとか踏ん張っているようだ。
「これがうちの社長です」
見開きの右側のページがカラーグラビアになっていて、二十代後半と思われる女の腰から上の写真が掲載されていた。
カメラ目線でにこやかに笑うキラキラした瞳、とがった顎の小顔に、明るく染めたミディアムヘアー、モスグリーンのスーツに包まれた細身のスタイルは、常識的な人間であれば疑うことなく美人と判定を下すだろう。
背景はファンアロー社のある夕暮れどきの高円寺駅前らしく、全体がオレンジ色の色調で、雑多なネオンが明滅する背景に写った駅舎には、少しぼかした『高円寺駅』の文字が読み取れた。
『トップの素顔』というベタなタイトルの連載企画で、『株式会社ファンアロー 代表取締役社長 民矢桃子さん(二十八歳)』と小見出しがつけられている。名前にはルビが振ってあり、〈たみや・とうこ〉と読むらしかった。ページの下四分の一ほどに申し訳程度の取材記事が書かれている。
成長分野をけん引する新進企業の女性トップが云々、といった当たり障りのない文章が続き、トレードマークはお気に入りのライオンのブローチだと締めくくられていた。
写真上では小さくて細かいところまで見分けることはできなかったが、スーツの左の襟の横に付けられたシルバー素材の丸形のブローチは、なるほど言われてみれば正面から見た雄ライオンの顔をモチーフにしたデザインのようだった。記事によると、海外製の希少品らしい。
「今日は午前中からツイている。美人を二人も紹介された」
季田は、とりあわずに、
「ひと月半ほど前に出た雑誌ですが、出版社から掲載誌を山ほどもらったので、それは差し上げます。対向ページの記事がなんとも縁起が悪いのですが」
見開きの左側のページはモノクロのグラビアで、特にスクープというわけでもない写真記事が載っていた。
ある地方都市の河原で釣りをしていた中年男性が、子供の頭部と思われる人骨を釣り上げた。鑑識の結果、上流で二十年近く前に行方不明となった当時小学校一年生の男児のものと判明した、という内容。写真は河原で捜索する捜査員と野次馬が写っているだけの退屈なものだった。
「週刊誌というのは、そういうものでしょう。取材された側への配慮なんてありません」
「おっしゃる通りです。読者のほうもこんな記事のことはすぐに忘れて、日々世の中は動いていくんでしょうね」
腕時計にチラリと目をやり、
「そろそろ私は失礼します。午後から出社しなければなりませんので」
季田はリュックを片手に立ち上がると、頭を下げてドア口に向かった。
送り出してドアを閉めるとき、ガコンと、赤字ローカル線の車両がポイントを通過した。
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