第3話 「__」
夢をみた。
いつかの夢だ。
その夢の中で僕は寝ているアイツの前に立っていた。
アイツの顔は穏やかで、健康そうにさえ見えた。
僕は無意識のうちに彼に手を伸ばそうと腕を動かしかけていた。
それでもすぐにハッとして、反対側の手でそれを抑えると、目をそらし、彼から逃げるように離れた。
周囲には湿った空気が流れている。
僕はそこで何かをしてやることもできないで、胸のとっかかりがただどんどんと大きくなっていくのを感じながら、誰かの感情を邪魔しないように、ただじっとしていた。
本当は彼にいうべきことも、してやるべきこともあったはずなのに。
僕はそれを口にすることも、してやることも結局できなかった。
_僕はただ、黙って、うつむいて、座っていた。
そして目が覚めた。
その日は朝から寒かった。
煩わしいアラームを止めて、心地の良い布団を退けると、すぐに僕の体温は周囲の冷え切った空気へと逃げていく。
呼吸をすれば口から白い息がこぼれだす。
冷たい部屋はどこか薄暗く、青暗い光に満たされている。
台所へ行くと、ヌッとした温かい空気が僕にまとわりつく。
「おはよう」
「おはよう、もうご飯できるよ」
「うん、ありがと」
僕は母と短い会話を交わすと、いつものように顔を洗ってうがいをする。
そのすぐ後に出来上がった朝ごはんを受け取ると、それをそのまま台所で食べて、学校へ行く準備をする。
冷え切った制服を着て、カバンを持って玄関にかけられた傘を手に家を出る。
玄関の扉を開けて外に出ると、幾重にも重なった鼠色の雲が僕を出迎えた。
今日も心地のいい風が吹いている。
カバンのひものキイキイと音をたてながら、公園の横を通ると今日もまたこえが聞こえた気がした。
「_」
ふと、公園のほうを見てみると二人の小学生がキャッキャッとはしゃぎながら、公園から飛び出して、そのまま学校のほうへと走っていった。
「_」
僕もその二人の後を追うようにして、小学校の奥にある学校へと向かう。
その二人が完全に見えなくなったころ、ポツリポツリと雨が降り始めた。
僕は少し考えた後、手に持っていた傘をさした。
雨が合唱する中をうつむきかげんに歩く。
そうしていると、だんだんと周りが人の声で満ちてきて、気が付いたころには教室にいた。
外とは打って変わって、生ぬるい教室の空気に包まれ、ウトウトとしていると、気が付けば寝ていたようで、薄暗い教室で目を覚ました。
周りを見渡してみるが、だれもいない。
窓の外は相変わらず雨が降っている。
意味も分からずキョトンとしていると、いきなりカバンのなかの携帯が鳴り始めた。
僕は慌ててそれをカバンから出して、画面を確認するとそこにはアイツのアイコンが写っていた。
恐る恐る耳にあてる。
すると、携帯とは別の方向からこえが聞こえた。
「久しぶり」
僕が声の方を振り返ると、だれもいなかったはずのそこに彼がいた。
彼の顔は、声は、何かに塗りつぶされたようにはっきりとしないが、なぜだか僕にはそれが彼だという確信があった。
「久し_ぶり_」
僕がそう返すと、彼はニコリと笑って「うん、今度は答えてくれた」と満足げに言う。
「_」
「どうかした?」
「あの、さ_伝えたいことが、あったんだ_」
「うん、知ってる。 でも僕はそれを受けとらないよ」
僕の言葉に彼ははっきりとそう言う。
「_」
「_」
「_そう、だよね」
沈黙の後、僕はそうつぶやいた。
「_」
「_」
「ねぇ」
「_なに?」
「蝉_」
彼の言葉に僕の心臓がどきりとはねる。
彼は続ける。
「_あれは僕かい?」
「違う_よ」
「だろうね、君はわかっていたんだから」
「_」
「君は人の心がわからないような人間じゃない。 あれはただの言い訳だ」
「_」
「君は卑怯だ」
「そう、だね_僕は、どうしようもない_ね」
「あぁ、そうだとも、いまだってこんなところで全部吐き出してしまって逃げ出そうとしている_君は変わらない、今も昔も」
「_」
僕が黙っていると、彼はため息をついてつづけた。
「こんな夢ごときで、君を納得させられるはずがないだろう? 僕は僕じゃないんだから。 君が変わらない限り、君は夢を見続ける。 そんなことは君が一番わかっているじゃないか」
「そ、それでも_僕は_」
「謝らないといけない? それなら君はあの電話に出るべきだった。 話すべきだった。手を伸ばすべきだった」
「でも、そんなのは_そんなのはもう遅いんだ」
「そうだね、もう遅い。 今更何もかもが手遅れだ。 でもそうしたのは君だろう? 電話に出ずに、距離を置いて、傍観していたのは君だろう?」
「あぁ、そう_そうなんだ。 僕のせいだ_だから僕は、_」
「_君は本当に卑怯だ」
僕の言葉を遮ってそう言うと、彼は僕の体を突き飛ばした。
すると、視界がゆがみふわっとした浮遊感が僕の体を包んだ。
次の瞬間、落ちるような感覚とともに僕は自分の席で目覚めた。
何もなかったかのようにあたりを見渡すと、まだ朝礼すら始まっていないようでみんな各々に過ごしていた。
いつもならどこかの集団にでもまぎれていく僕だけれども、今日はそんなことをする気も起きずに席でじっと過ごした。
しばらくすると担任が教室に入ってきて、朝礼が始まって、特に何事もなく終わる。
もやもやとしたものを抱えながら、ただ時間が過ぎていった。
何も考えずに過ごしていたら、終礼が終わった。
いつものようにすぐ帰る気力も起きずに、僕は教室でじっとしていた。
かといって眠る気も起きなかったので、勉強している人や、ワイワイと遊んでいる人に囲まれてじっとしていた。
うつむきながら、黙って座っていた。
しばらくそうしていると、さすがにとうとう気まずくなってきて僕はカバンを持って帰ることにした。
日も落ちて暗くなった雨音の響く廊下を、きゅうきゅうと音を立てながら歩いた。
下駄箱まで行くと前、下駄箱を順番に開けていたクラスメイトが外を眺めてそわそわとしているのを見かけた。
彼の横顔をみて 、僕は何となく放っておくことができなかった。
腹の奥でどろどろとした熱いものがかき混ぜられるのを感じる。
少し震える唇で話しかける。
「どうかした?」
僕が話しかけると、彼はゆっくりとこっちを向いた。
「え_いや、何でもないよ、傘を貸しちゃって_どうしようかなってさ」
彼は目をそらしながらそう言った。
「__俺の傘に入る?」
僕がそう聞くと彼は「いや、大丈夫_」と疲れた笑顔で答える。
「いいよ、ここにいたって仕方ないだろ?」
「__そうだね_じゃ、途中まででも」
「おう」
僕は彼を傘に入れて雨の中へ歩いて行く。
自分への嫌悪感を募らせながら歩いたその道は、やけに雨の音がうるさかった。
それでも蝉の夢を見る mackey_monkey @macky_monkey
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