第2話 着信

のらりくらりと過ごしていたら、いつの間にか夏が終わり、蝉の声も嘘のようにしなくなった。


_それでも、僕の夢の中ではまだたまに、あの蝉が現れては鳴いている。


ある冷たい朝。


その日の僕は珍しく早くに目を覚ました。

ぼんやりと照らされる部屋を見渡して、何となくさわやかな気分で布団をどける。


すると冷たい空気がスーと体を飲み込む。

少し自分の行動を公開しながら、そのまま台所まで歩いて行った。


「おはよう、今日は珍しく早いね」


台所へ行くと、朝食を作っていた母にそう話しかけられたので、わざと眠たそうなふりをしながら短い挨拶を返して、顔を洗った。

お湯の温かさが、手と顔に広がる。

けれどもそれはすぐに冷たさに変って、僕の意識をさらにハッキリとさせていく。

顔を洗い、適当にうがいも済ませると、母にいつ朝食ができるのかを聞いて、僕は自分の部屋へ戻った。


そして何をするでもなくただ、パソコンの画面から垂れ流される情報を眺めていた。

そんな風に過ごしていると、そばに置いていた僕の携帯が振動をしながらなり始めた。

画面には見慣れたアイツのアイコンが表示されている。


 (_そんなはずはない)

僕は慌てて携帯を手に取ると、通話を開始して耳にあてる。


_しかし、その携帯から何か音が発せられることはなかった。


 (ごめん)

自分の心音がやけにうるさく感じるほどの静寂がしばらく続く。

そんな風に声を待ってどれくらい時間がたったか。

数秒か、数分か、数時間か時間がたったようにも感じた。


ふと思考がクリアになって、僕は耳にあてていた携帯を恐る恐る顔の前に持ってきて、画面を確認する。


_携帯の画面には何も映っていなかった。

電源さえもついていない。


僕は口をへの字に曲げながら、震える手でアイツとのチャット履歴を確認する。

そこにはやっぱり、二年前のアイツからの不在着信があるだけだった。


僕は少し開いたままの口から、「あぁ」と乾いた声をこぼして、まただらけた時間へと戻った。


何も考えず、ぼーっと画面を眺めて過ごしていると、母がフレンチトーストと焼いたウインナーの乗ったプレートを僕の部屋に持ってきてくれる。

僕はそれを礼を言って受け取ると、さっさと食べ終えて学校へ行く準備を始めた。

準備を終えて外に出ると、どこか心地のいい、冷たく、すべてを洗い流してくれそうなほど透き通った風が僕の肌をなでる。


灰色の空の下をしばらく歩くと、僕はまた公園の前まで来る。

いつものように顔をうつむけて歩いていると、また声が聞こえた。


「おはよー」


懐かしい声だ。

どんな声なのかも思い出せないのに僕はそう感じた。

僕はその声に振り向きかけて、途中でやめた。


そして小さく「おはよう」とつぶやいて、僕はまた歩き始める。


学校につくとまた、いつものように一日を過ごす。

ボーっと授業を聞いて、適当に人の輪に入って、適当に言われたことをやる。

そうしたらやっぱり何事もなく一日が終わる。


その日も僕は終礼が終わったあと、いつものように人の流れに流されるようにして学校を出た。


校舎から出ると、雨がザアザアとひっていて、土のようなにおいがそこらじゅうを満たしていた。

その中でいろいろな声と足音に囲まれながら黙って歩く。

足を進めるごとにビチャンビチャンという音が下から聞こえてくる。

上からは傘をパチパチと叩く音が絶え間なく聞こえる。


風がビューっと吹くと、雨の波が壁のようになって、傘の中へと入りこんできて僕を濡らす。


家のほうに近づいていくにつれ、周りの声も少なくなっていき、僕の耳に入るのは雨の音だけになった。

そしてまた、公園の前まで来る。


ふと公園の方を向くと、少し白くかすんだ公園が昔と変わらない姿でそこにあった。



家まで付くと、濡れた靴下とズボンをそこらへんに吊るして、自分の部屋でいつものようにくつろぎ始めた。

雨が地面を、屋根を、壁を打つ音を聞きながら目をつぶる。


あの日もこんな日だった。

僕はこの部屋で寝転がりながら、いつものように動画を流してそれを眺めていた。

そんな時にアイツから電話がかかってきた。

その時は少し驚いて、それをとるのが億劫に感じて、特に理由もないのにそれを放置してしまった。


それから_。


そんなことを思い出していたら、いきなり電話が振動し始めた。

画面にはアイツのアイコンが写っている。


ピコピコピコリン、ピコピコピコリン。


静かな部屋に音が鳴り響く。

雨音はぼやけて遠くなり、着信音と心音がどんどんと強まっていく。

僕は心臓の鼓動とともに膨らんだり縮んだりするような感覚のまとわりついた腕で携帯をとる。


そして、通話を開始してそれを耳にあてる。


「_もしもし?」


携帯から懐かしい声が聞こえた。


「_」


「_今度は_、出てくれるんだね」


僕が何も言えないでいると、彼はそう言って_電話が切れ、夢が覚めた。


僕はいつの間にか寝てしまっていたようで、窓の外はすっかり暗くなっていた。


ふぅと深呼吸をすると、携帯を手に取ってアイツとのチャットを開く。


_何も変わっていない。


夢は夢だったようだ。


僕はそれだけを確認すると、ごろりと寝っ転がって、雨音に包まれながら再び夢の世界へと落ちていく。

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