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昔は、ろう者だけに限らず障害を持つ色々な人たちが、今では考えられないような差別を受けていたそうです。
それもこれも、当時のモラルが低かったせいでしょうね。
今では少しずつ偏見や差別はなくなってきていますが、今回のお話でろう者の方が声を上げたように、主張し続けることはとても大切だと思います。
そうすれば、たとえすぐに改善が見られなくても、10年後20年後には必ず良くなっていると私は思います。
作者からの返信
花京院 依道さま、丁寧なコメントありがとうございます。
そうですね。私もそうなればと思っています。
現在も、まだ全体的に『口話教育』ではあるものの、差別そのものは減っているのではないかと、思っています。
ただ、表だったものは減りましたが、まだまだ制限が多く、仕事に就けないかたも多いのが現実です。
差別された者は、恨みを持ち、それを子供に伝える。そんな恨みの連鎖で、聴者を『敵』としている人もいました。
逆に、聞こえない人は『劣っている』と、親に教えられた子供もいます。(前世で悪いことをしたからと、言う人もいます)
園児で、同じクラスの外国から来た子を、「黒いからキタナイ」と言って、差別した子供がいました。どうやら母親が『黒人は汚い』とか『黒人に関わらないように』みたいなことを言っていたようです。
お互いを知れば、誤解は解けると思うのですが。偏見で『わかったような気になる』方が、簡単で楽なのでしょうね。
私たちも外国へ行けば、差別される対象になるのに。
昔、ヘレン・ケラーの物語を読んだ時に、あの有名な「ウォーター」の後で先生の口に手を当てて、その形で自分の発音を学んで話せるようになった、というのがありました。
なので子供の頃の私も「練習したら話せるようになるんだなあ、よかった」ぐらいにしか受け止めていませんでした。
もしも、その「話せるようになる」を押し付けるような教育だったとしたら、一体何をやっているのか、になります。
教える方は「社会に出て少しでも差別されないように」との善意から始まったことかも知れませんが、その根底には「話せないやつは下」みたいな差別意識があったのかも知れません。
作者からの返信
小椋夏己さま、コメントありがとうございます。
聞こえないかたが、口話(言葉を発する)することに、どれだけ苦労されているのか、私も手話をするまで知りませんでした。
そもそも、聞こえないのですから、自分では正解がわからないのです。
それを『口の形』『舌の位置』『息の吐き方』などを、一音一音『覚えて』いくのです。信じられませんでした!
言葉や文章になると、イントネーションが変わりますよね? 疑問文だとか。それも暗記します。
あと、声の大きさ。これも、重度の難聴や失聴のかたは、自分でわからないので、苦労するそうです。
昔は、その日覚えるノルマが終わるまで、学校から帰ることができず、日が暮れてから、帰ることもあったとか。
何回もやって「そう、今の!」と言われても、何が正しかったのか、わからないことがよくあったそうです。(音が歪んだり、飛んで聞こえる方もいますし)
舌から血が出たりもしたとか。
そんな毎日が嫌で、学校へ行かなくなった人も多かったと聞きます。そして、これがきっかけで、聴者(聞こえる人)が嫌いになった方も、多くいたようです。
アイヌの学校教育を、思い出しました。
文字がないのに、黒板。
もちろん、日本人の教師。
周囲からの差別や偏見。
それでも、アイヌの子供達の成績は、和人の子供達よりも優れていたという話は、よく耳にします。
日本の差別の構造は、昔から変わっていないと、思いました。
作者からの返信
夷也荊さま、いつも的を射たコメントを、ありがとうございます。
相手の文化を知らずに、自分達の文化に合わさせるよう指導する。それは、どう考えても無理がありますよね。
お互いの歩み寄りではなく、一方的な排除(侵略?)とでもいうのでしょうか。
アイヌの方もそうなのかもしれませんが、ろう者は文字の無い文化です。それによって発達したり、優れている部分もありました。が、まずは全否定から入り、全てを排除するところから始めました。
自分が理解できないことは、間違いであるという考え。
誰も少なからず持っていることではありますが、そんな考え方が、1つの『文化』を消し去るという現実。
多数こそ正義。それが全て間違いだとは思いませんが、相手をもっと理解できれば、違った未来があったのでは……と、思わずにはいられません。
憤懣やるかたないお話です。
どうしてこんな連中がそういう職種に就いているのか、そこからもう納得がいきません。しかし、そもそも普通の学校でさえ教師と名のつく人間は、この手のタイプが多いです。嘆かわしいことですね。
作者からの返信
五五五 五さま、コメントありがとうございます。
当時の考え方としては、『障がい者は使えないヤツ』『国の方針で、障がい者に教育をしなければならないが、時間のムダ』『この学校にいては、出世出来なくなる』と言うようなものだったのだと思います。
年齢や親の社会的地位、障がいの有無で、判断していた教師が、ほとんどでした。
当時の学校生活のインタビューなどを見ると、どれだけ生徒が傷つき、生徒の親は悔しい思いをしながらも、子供を学校に通わせていたか。心臓がギュッと掴まれる感じすらします。
当時と比べると、いまは良くなっているとは思います。
ですが、誰もが同じ(聴者と)教育を受けられる環境にあるかというと、まだまだだと感じています。
(特に大学などでは)