第51話 3.3声明(事件)

 3.3声明とは

 1966年3月3日に、京都府ろう協と府立ろう学校同窓会共同で出された声明です。

 内容としては『すべての差別問題を解決して、ろう者の失われた人権を取り戻すことを要求』というものでした。


 では、この声明が出されるに至った経緯は、どういったものだったのでしょう?


【3.3声明の概要】


 まず、基本的な情報として、当時の『ろう学校』は、口話(口で話す)を主としたものでした。手話は基本的に禁止されています。

 ろう者も読唇(口の動きから言葉を読み取る)と、口話(口で話す)により、聴者と同じように暮らすように、強要されていました。


 ろう学校の先生も、聴者(聞こえる人)が手話を全く使わないでやっていました。そもそも、手話を使えない人が、ほとんどだったようです。

 当然、授業についていけない人が大半を占めていましたが、それは教え方が悪いのではなく、ろう者のせいだとされていました。


 1965年

 京都府立ろう学校で、生徒たちの不満が募っていました。

 不満は大きく分けて2つ。


1.【学校の授業の方法】

 ろう者といっても、一括りに出来るものではありません。

 生まれながらにして聞こえなかった人と、中途失聴では大きく違います。にも関わらず、全て同一に、しかも聴者と同じ方法で教えました。

 それでも、読唇の得意な一部の人は、なんとか授業についていくことが出来ました。が、これは本当に一部で、1人とか2人とかのレベルです。にも関わらず、教師は『わからないヤツは、やる気がない』と決めつけて、授業を進めていったのです。

 わからないことに対して、質問する生徒もいましたが、面倒くさがったり、はぐらかしたりしました。

 授業が進むごとに、内容は高度なものになるのですから、授業についていけない人ばかりになります。それを教師は『ろう者は頭が悪い』という事で、片付けたのでした。


2.【教師の態度】

 当時の聴覚障がいに対しての差別は、いまとは比べものにならないものでした。

『ろう者は価値がない』と、本気で思い込む人が多かったのです。

 実際、学校を卒業しても、働く場所の無い人が多くいました。

 そんな世の中だったので、教師の態度も酷いものだったそうです。

 ろう学校へ赴任させられたこと自体が、教師にとっては不満だったのでしょう。

 教師は聞こえる人ばかりで、手話も使えないし、覚えようともしません。

 授業の開始時間が過ぎても、なかなか来なかったそうです。

 そして、生徒達を見下し、バカにしていました。


 コミュニケーションが、全く成りたたない状況で、いくつかの騒動が起こります。


・ 和裁の宿題が多すぎて女子生徒と教師が衝突。

・ プールの清掃をめぐり、生徒が濡れ衣を着せられる。(教師の連絡ミス、不手際が原因)

・ 重要な学校行事である写生会が、卓球大会と重なっていた。そこで生徒が日程変更を要求したが、理由もなく拒否されてしまう。


 この後の対応が、さらに関係を悪化させます。

 生徒は上記3点に対して、生徒会を通し、学校側との話し合いを要求しました。

 学校側は申し出を受けたにも関わらず、それは単なる口約束にすぎませんでした。生徒が何度も話し合いの機会を作りますが、ことごとく『忙しい』と拒れてしまいます。


 そんなやりとりで数か月が過ぎました。


 1965年11月

 たまりかねた生徒会は、写生会の日程を変更できない理由を、学校側から説明してほしいと要求。

 恐らく、これが正論だったからでしょう。

 学校側は、生徒会の要求は失礼だと言い出しました。

 教師は「ろうあ(聞こえない、話せない)者は常識がない。」「生徒は民主主義を、はきちがえている。」と言ったようです。

 この様子を他の生徒も見ていました。そして行動を起こします。

 高等部が全員で写生へ行くことを拒否。学校に残って、抗議のビラを配ったのです。

(前日、抗議の生徒集会の場で、教師の1人が生徒会長に対し「バカヤロウ」と怒鳴ったことも、影響していると思われます)


 当然、学校側はメンツを潰されたわけですから、面白くありません。

 そうでなくても、まともに行われなかった授業が、もっとまともではなくなります。

 学校側も生徒も、お互いに引き下がらず、どうにもならなくなりました。

 そこで動いたのが、生徒会長です。

『京都府ろうあ協会』に、今回の一連の出来事を手紙にして送りました。


『京都府ろうあ協会』は学校にやってくると、生徒たちを擁護しました。さらに教育委員会あてに質問状を送付します。

 1966年3月3日に『京都府立ろう学校同窓会との連名』で声明文(『ろう教育の民主化をすすめるために―「ろうあ者の差別」を中心として』)を発表しました。


 それは京都だけでなく、日本中の ろう者の声でもありました。


 最後に、高等部職員会がどう結論を出したのか?

「人間には、潜在的差別観があるものであるから、先生方が意識的に差別をしようとする気持ちはなかったと思うが、その言動の中で生徒達が肌で差別と感じ取ったとすれば、潜在的差別観から来る差別と受けとられたことは率直にこれを認めよう」


 これは、謝罪文ではないですよね?


 もし、あなたの聴覚に障がいがあり、この出来事を授業で習ったとしたら、どう思うでしょうか?

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