応援コメント

第39話 盲ろう(障がい)」への応援コメント

  • 目が見えなくて耳が聴こえなくても、人間はコミュニケーションを取れるんだなと何だか感心しました。
    特に相槌の話はなるほどなーという感じです。
    頷いたり、うんうんと返したりするだけが相槌じゃないんだなーと。

    あと個人的に気になったのは、コメントの目に見えない人に赤を伝える話です。
    授業がどうやってまとめられたのか気になります。

    作者からの返信

     中辛バーバリアン様、いつも丁寧に読んでいただき、コメントありがとうございます。

     かなり昔のことなので、ハッキリとは覚えていませんが、他にも色々な表現について、先生が質問したと思います。
     例えば『甘い』を『色』で表現するとか、『悲しい』を『味』で表現する……みたいな。
     で、『自分が当たり前と思っていることも、共通の認識がないと、伝えることが大変』みたいなことを言っていたように思います。
     本当はもっと、簡単な言い方だったと思います。

     本当に昔のことなので。

  • ヘレン・ケラーは三重苦と言われているが、実は口はきけると子どもの頃に読んだ本で知りました。
    有名なのは「ウォーター」の意味がわかってという部分ですが、その後の話を読んでサリバン先生が自分の口を触らせて、口の形を教えて話せるようになったと知りました。
    二重苦なことから3つ目の機能、話すも難しいことになるんだなとその時に知った気がします。

    作者からの返信

     小椋夏己様、いつもコメントありがとうございます。

     私も『聞こえない』と『話せない』がなぜ結び付くのか、幼い頃は理解が出来ませんでした。

     少し違いますが、昔、学校の先生に
    「1度も目が見えなかった人に『赤』を、どうやって教える?」
     と言われて困りました。
    「『綺麗』ってどんなの? 『光』ってどう見えるの? 『まぶしい』ってなに?」
     私には、その時目の前にあった花すら、ろくに説明が出来なかったことを覚えています。

  • 小生が学んでいた大学には、全く目が見えないドイツ学者の教授がいらっしゃいました。その教授は、自分の研究室の膨大な本棚の本の位置を、全て記憶されていました。
    白杖は持っていましたが、専ら学生を杖代わりに使うことで有名でした。
    今回の記事で、懐かしく思い出しました。

    作者からの返信

     夷也荊様は、とても有意義な人生を、歩んでこられたのですね。
     良い出会いこそが、自分を大きく変えてくれると思います。
     その時に感じたことはもちろん、後にあらためて感じることも、その人にとっては宝なのだと思いました。

  • ヘレン・ケラーは幼少期(確かに1歳7ヶ月ごろ)に熱病に侵されて盲ろう者になったんですよね。それまでは、とてもお喋りだったとか(うろ覚え)
    とにかく、すごい人ですよね。(ヘレン・ケラー語り出したら長編並みになるのでやめておきます〜💦)

    作者からの返信

     ヘレン・ケラーさんは、日本に3度訪問なさってますね。ちょっとした『ブーム』にもなっていたと、聞いたことがあります。
     そんな彼女の行動がきっかけで、日本の身体障害者福祉法制定されたと言われているくらいです。

     全く聞こえず、見えない世界で、この世の中を想像する。それがどれくらい大変なことか、考えるだけで気が遠くなりますね。

  • うなづく手話表現もあるのでありますなー(#^.^#)

    作者からの返信

     ユーディ様、コメントありがとうございます。
     読んでくださる方がいることは、なによりの幸いです!

     手話表現で『うなづく』が出来ない(読み取れない)と、半分近くは伝わっていないかもしれません。
     例えば『母の姉』と『母と姉』は、同じ手話表現をします。違うのは『うなづき』のみ。
     『母の姉』と『母と姉』では、人数も違いますよね。

     盲ろうの方にとって『うなずき』とは、聞いていることや、理解していること、また『そこにいる』という重要なことを示しています。
     見えないし、聞こえない為、それを『触感』や『振動』として感じるしかないのです。