第36話 蛇の目寿司事件(事件)
『蛇の目寿司事件』は、かなり古い事件です。が、聴覚障害者にとっては大きな分岐点とも言える事件でした。
その為、現在でも特別支援学校によっては、授業で取りあげているところもあります。
では、どんな事件だったのでしょう?
【あらまし】
1965年9月19日
東京、上野の寿司屋(蛇の目寿司)の店内で、青年ろう者2人が手話で会話をしていたところ、別の客3人から好奇の目を向けられました。やめるように伝えても改まりません。
そこで青年は席を立ち、肩を叩き注意を促しましたが、逆に殴られてケンカになってしまいました。
店の主人が仲裁に入り、口で呼びかけましたが通じないため、食器(下駄もしくはボール)で青年ろう者の頭を打ち、今度はろう者と主人の争いとなります。
青年ろう者に投げ倒された店主は、コンクリート床で頭を強打し、翌日病院で死亡。
と、ここまで読んで、いくつか疑問があったと思います。
少し補足をしましょう。
『好奇の目を向けられ』とはどういうものか?
詳しくはわかりません。ただ、時代としては、手話が言語として認められていなかった(差別の対象となっていた)時代。基本的に手話は禁止されていた時代です。
ろう学校でも、口話教育(ろう者も手話でなく話すことを指導、強要)をしていました。手話通訳が出来る人は、東京に10人ほどだったと言われていますが、そのレベルは怪しいものです。
『好奇の目を向けられ』というのが、どの程度かはわかりません。が、好意的なものでないのは確かでしょう。
被告のろう者は、口話が出来ませんでした。ろう学校の中等部卒の方と、台湾の尋常小学校3年の中退の方になります。
『店の主人が仲裁に入り、口で呼びかけたが通じない』は、聞こえないから当たり前ですし、内容がどこかトンチンカンな印象が拭えません。
『通じないため、食器(下駄もしくはボール)で青年ろう者の頭を打ち』というのも、なんとも妙な感じがします。
資料を読めば読むほど、ろう者側の取り調べが、正しく行われているのだろうか? と、疑問に思います。
3人の客については、ほぼ内容から除外されています。
では、裁判はどうだったのでしょうか?
まず、被告は手話が正しく伝えられていないと言っています。なぜ、聞こえないのにわかるのかというと、手話で伝えた時間とくらべ、訳した内容を話す時間が、あまりにも短かったからだそうです。
それに対して手話通訳は、要約したと言っています。
そもそも被告人は、弁護士からはことごとく断られたようです。
ろう者の弁護だと知ると、門前払いも多かったとか。
まともな通訳がいないのに、どのように取り調べをしたのか。
被告の陳述書の内容と、警察や検察庁の調書では、かなりの食い違いがある事からも疑問が浮かびます。
黙秘権も伝えられていませんでした。
【裁判官の認識】
『上申書を受け取ったが、文脈が支離滅裂であり、到底判読のしようのないものだっため、被告人の精神的な発達が充分でないと判断した』
これは日本手話を直訳したからではないでしょうか?
他の資料を見ても、発達障がいなどをうかがわせるものはありません。
傍聴に駆けつけた、他のろう者に対しての手話通訳が、認められなかったり。とても公平とは言いがたいものでした。
【判決】
1人は懲役4年
1人は懲役10カ月に執行猶予3年
(通常の同事件と比べて、かなり重い判決だと思われます)
この事件をきっかけに『ろうあ運動*』が始まったとも言われています。
*聴覚障がい者の人権を守る運動の先駆け
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます