花嫁の憂い
「はぁ……」
ミレーユは正式に自室となった部屋のガラス製の出窓から外を見つめ、小さくため息を吐く。
そろそろカインがグリレス国から帰国する頃だ。
(お話し合いはどうなったのかしら……)
正直、父やそれに追随する臣下たちの器量を思えば、いくら楽観的に考えようとしても湧きあがるのは不安のみ。
「でも、お父様は長い物には巻かれる方だから、カイン様に対しても強硬な姿勢は取られないはず……きっと大丈夫よね?」
「無理じゃないですかぁ。国王さまにしても、エミリアさまにしても、自分たちの都合でしか考えられない方々ですから」
お菓子箱を片手に、モグモグと口を動かしながら控えていたルルがキッパリと断言する。
まさにミレーユが抱えていた不安をズバリと言い当てられ、いつものように「立ちながらの間食は、お行儀が悪いからダメよ」と、注意することすらままならない。
ちなみに、ルルには彼女の不在時に起こった一連の騒動と、自分が本当の花嫁であったことは伝えてある。
一部始終を聞き終わったルルは、あまり驚いた様子もなく。
ただ一言、
「姫さまはもう『社交辞令』って言うの禁止です」
と、返されてしまった。
どうやら渦中のミレーユよりも、薄々この顛末を察していたようだ。
「ねぇ、ルル。やっぱり、私もご一緒させていただくべきだったわよね。いまからでは遅いかしら」
「そんなに心配されなくてもきっと大丈夫ですよ! それよりこのお菓子おいしいですよ!」
そういって、大切に抱えていた手のひらサイズの木製のお菓子箱をミレーユに差し出す。
収められていたのがお菓子でなければ、宝石箱と見紛うばかりの精巧な彫りが施された木箱だ。箱の中には、色鮮やかな飴玉、香ばしいクッキー、そしてチュシャの実が品よく並べられていた。
いつものルルならチュシャの実以外をすすめてくるのだが、今日はチュシャの実を指さし、ニコニコと言った。
「姫さまがいつも食べてたチュシャの実、毎朝竜王さまが採ってきてくださっていたそうですよ!」
「――へ?」
「ルルが前にお散歩した陽炎の森っていうところに、いっぱいチュシャの木が植えてあるんだっておっしゃってました!」
ずっとチュシャの実のことを不思議に思っていたが、まさかカインが用意してくれていたものだったとは。
(一緒に食べたことを、覚えていてくださったのね……)
ミレーユが何より大切にしていた思い出を、カインもまた同じように想っていてくれたのだと知り、胸がじんわりとあたたかくなる。
綻ぶ口元に指を置きながら、しかし一瞬よぎった違和感に、ミレーユは「ん?」と首を傾げた。
「ルル、そのお話は誰から聞いたの?」
「竜王さまからですけど」
「え? いつ?」
「竜王さまがうちの国へ出立する前です。お花を摘んでいたら「おいでおいで」って呼ばれて、なんかいろいろ聞かれました」
そのお礼として、このお菓子も貰ったのだと喜ぶルルに、ミレーユの息が詰まる。
「それは……ど、どんなお話をしたの?」
「えっと、国王さまは困ったときは姫さまに色々聞いてくるくせに、ちょっと旗色が悪くなったら全部姫さまのせいにして。逆にうまくいったら自分の手柄にする人だからキライです、って話と。エミリアさまはそんな国王さまとよく似た人で、衣装代で姫さまのご飯が少ししか配膳されなくなったことと。あとスネーク国のバカ王子のこともお伝えしました!」
ミレーユの頬から、一瞬で色が消える。
考えうる中でも、もっとも危険な情報ばかりだった。
「あ、でもそのお話した直後に、ぶわって熱風が吹いて、地面が熱くなったんですよ!」
「…………」
終わったかもしれない。
そう悟ったのは、カインから問い詰められた威圧の一件を思い出したからだった。
あの時はなんとか口外を免れたが、きっと気づかれてしまっただろう。
恐怖と戦慄が入り混じった表情のミレーユに、ルルが心配そうに眉尻を下げる。
「竜王さまにお話ししない方がよかったですか? でも、また変に誤魔化したり、嘘つくほうが、後でバレた時に気まずいですよ。ただでさえ、うちの国は前科持ちですし!」
ぐうの音も出ない正論だった。
ミレーユは返す言葉もなく、両手で顔を覆い、天を仰ぐ。
「まぁ、ミレーユ様いかがなされました?」
そこへナイルが現れ、ミレーユは慌てて姿勢を正した。
「いえっ、心身ともに異常ありませんのでご心配には及びません!」
まっさきに健康状態を告げたのは、そうしなければすぐさまローラを呼び出してしまうからだ。
(カイン様に名を呼ばれて赤面した日から、事あるごとに体調を心配されているわ。もう、本当のことをお話ししようかしら……)
それはそれで羞恥のあまり死にそうだが。
「ですが、お顔の色も優れていないご様子。……やはりドリスの件は取りやめましょう。ミレーユ様のお身体に障ります」
流れるように約束を反故にしようとするナイルに、ミレーユは苦笑いを浮かべた。
エミリアの一件が落ち着いた頃、ミレーユはドリスのもとを訪れた。
以前断った術の検証を乞うために。
偽の花嫁の立場上、一度は諦めたが、正式な花嫁となったいま、ドリスの誘いを断る理由はもうない。ならばと、ミレーユの方から頼みに行ったのだ。
もともと婚儀が終われば突撃しようと目論んでいたらしいドリスは、目を輝かせて喜んでくれた。
それは国庫中に響き渡る声で。
ここまで狂喜されると、果たして期待に添えられるか不安だ。
しかし、怯むことはできない。
(カイン様に変わると誓ったもの)
怖気づく心を捨てて、強くなると。
そのためには失敗を恐れてはいられない。
そんなミレーユの決意とは裏腹に、ナイルは後ろで苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
ナイルとしては、ドリスに関わると骨の髄まで研究漬けにされてしまうと危惧しているようで、ことあるごとに制止の手が入る。
そういえば、カインにも事前に相談したさい、頬が少し引き攣っていた。
最終的にはミレーユの選択を尊重してくれたが。
「ミレーユ!」
カインのことを思い出していると、ちょうどその本人が部屋へと入ってきた。
話し合いがどうなったのか、不安がいっきに押し寄せる。
だがカインの表情は穏やかで、憤然とした様子は欠片も見受けられない。
「お帰りなさいませ、カイン様。あの、父はなんと……」
ミレーユはひとまずホッと息を吐くと、恐る恐る問いかけた。
自分が問題の渦中から外されてしまったことは気づいていた。
どういった意図からなのかは分からないが、それでもまだ自分はグリレス国の第一王女だ。
今回の一件がどういった帰結を迎えたかは知らなくてはならない。
国民に少しでも被害が及ぶようなことになれば、全力で守るためにも。
そんなミレーユの心情を知ってか知らずか、カインは涼やかな笑顔をくれた。
「なにも心配することはないと言っただろう。あちらも十分理解してくれたし、謝罪も受けた。遺恨はないよ」
柔らかな声音だが、これ以上の問答は必要ないと、話を断ち切られた感が否めない。
ミレーユは不敬を承知で詳細を問うため口を開くが、その前にカインは「そうだ」と、話題を変えた。
「帰り際に、齧歯族の子供に声をかけられたんだ。男女の双子で、名はディタとレネーといったかな」
「まぁ……」
齧歯族は隣国からも軽んじられることが多い。彼らの気分ひとつで放たれる威圧を受けぬためにも、民には高位種族が来訪したさいは、できるだけ距離を保つよう伝えてあった。
「高貴な方へのお声掛けは不敬にあたると言い聞かせていたのですが、なにぶんまだ幼子で。どうかお許しください」
カインがすぐに短気を起こすような性格ではないことは理解しているが、つい下級種族の癖で懇願してしまう。
「ああ、それで遠巻きにされていたのか。いや、責めるつもりは毛頭ない。君が帰ってこないと身を案じていたから、結婚することを伝えてきた」
詳しい内容など一切知らされていない国民からすれば、ミレーユの不在は変事。なにかあったのではないかと危ぶんでいたのだろう。
そんな彼らの不安感を取り除いてくれたカインに、ミレーユは頭を下げる。
「何からなにまでお手を煩わせてしまって、申し訳――」
「私が必ず幸せにするからと宣言したら、二人も安心してくれた」
「え……!」
思いもよらぬ言葉に、身体に火が走る。
「祝福の言葉を受けたが、数が多くてあまり聞き取れなかった」
「そ、それは……ありがとうございます……」
おろおろと視線をさ迷わせ、虫の羽音よりも小さな声で謝意を告げる。面映ゆさと気恥ずかしさで溶けそうだった。
「私が急ぐあまりあの子たちにも心配させた。婚儀には国民すべてを招待すると伝えておいたから、君との時間を設けるよう取り計らおう」
「「へ!?」」
これにはミレーユだけではなく、ルルも驚きの声をあげた。
「大変ありがたいお言葉ですが……、国民すべて、ですか?」
「竜王さま、齧歯族って寿命は短いですけど、無駄にいっぱいいるんですよ」
「確かに人口は多いようだが、婚儀は長いから大丈夫だろう。馬はこちらで用意するし、支障がないよう管理の者も派遣しよう」
とくに臆した様子もなく、カインが言う。
「長いと言っても、一日で終わるのでは?」
「いや。婚儀は半年の予定だな」
「は、半年ですか!?」
思ってもいなかった答えに、ミレーユの声がうわずる。
「で、ですが、婚儀は簡素に行うと……」
「だから、簡素で半年だ」
(簡素で半年? 半年が簡素?)
心の中で復唱しても、言い換えても意味が分からなかった。
確かに、ゼルギスが『竜族の婚儀は長丁場』と言っていた記憶はある。
とはいっても、一日で終わるものと思っていたのだ。
「半年間ずっと結婚式が続くんですか?」
ぽかんと口を開き、今度はルルが問う。
半年も続く婚儀など初めてで、いったいどういった催しが執り行われるのか想像もできないようだ。
「いや、式は夏至の日のみで、そのあとは婚礼祭だ。婚礼祭は、まぁ祭りだな。国の内外から客が来る」
「お祭り!!」
祭りという単語にテンションが上がったのか、ルルの身体が大きく跳ねる。
「婚礼祭の期間に振る舞われる食事はすべて国費だ。宿も用意させるから、気兼ねなく過ごせるだろう」
「は、半年間の食事が国費? それは、竜族の方々の苛税に繋がりませんか?」
「ミレーユ様、竜王の婚儀には十分な蓄えがございます。更なる徴収に繋がるものではございませんのでご安心ください」
ナイルが如才なく答える。
「竜王の婚儀は国の根幹を揺るがすほどの重大事ですから、これは当然の支出です。なにしろ花嫁のいない竜王は邪竜となり、世界を滅ぼしかねません」
「?!」
それゆえに、竜王の花嫁は尊ばれ大切に扱われる。存在自体が救世主なのだという。
竜王の花嫁というだけでも重圧だというのに、まさかそんな大層な身分まで賜っていたとは、欠片も想像していなかったミレーユは、事の大きさにゴクリと息を呑む。
冷や汗を流すミレーユの横で、ルルは相変わらずのほほんとした顔だ。
「世界を滅ぼしちゃうんですか? 竜王さまって、すごいのか迷惑なのかよくわからない存在なんですね」
暴言ともとれる感想を吐くルルに、カインは快活に笑った。
「さすがに邪竜となった王はいない……。いや、……歴史から消されていたら、それも分からないか」
目を伏せ、呟く声音が重い。
そんな、少し思い当たる節があるような素振りはやめてほしい……。
「竜王の婚儀は、まさに世界秩序そのものです。たとえ税が追徴されることとなっても、これに反発する民は竜族にはおりません」
事実、異例の仮式を行ったことで、すでに前夜祭ははじまったとばかりに、個人で祝い酒を振る舞う者は後を絶たない。
「ミレーユにはゆっくりこの国に慣れてほしいと、しばらく式の打ち合わせを控えさせていたが、そろそろ婚礼衣装の採寸もはじまるな」
「それは……、婚礼衣装が十着は必要になるということですか?」
齧歯族の婚礼なら一着で済むが、半年となるとどうなるのか。
恐る恐る問えば、隣にいたナイルが「まさか」とばかりにほほ笑んだ。
「そ、そうですよね! 一週間で回せば十着も必要ない――」
「婚礼衣装は、千着はご準備させていただきます」
ですよね、と言葉にしようとしたが音にならずに消えていく。
「せっ、……せ、ん、ですか??」
動揺のあまり、声がひっくり返った。
「半年ですよね? 日数で計算してもそこまで必要ないのではありませんか⁉」
「朝、昼、夜と、一日に最低三度はお支度が必要になりますし、場に応じてご衣装も変わります。本来なら二千は準備しておきたいところではございましたが、なにぶん婚儀の準備時間が短く……無念ですわ」
そういって、ナイルは心の底から悔しそうに顔をゆがめた。
「せん? せんまいって、何枚のことでしたっけ?」
ドレスの数では聞いたことのない単位に、ルルが頭の不具合を起こす。
しかしそれはミレーユも同様だった。
この圧倒的な桁違いはなんなのか。
「普通のドレスと違い、婚礼衣装には虹石を使用しますので、作製に時間がかかるのは致し方ないことではありますが……。やはり口惜しいですわ」
「――ッ。 な、なぜ虹石を⁇」
「そこは魔石じゃないんですね?」
ミレーユの驚愕とは違う部分に反応したルルが、ナイルに問う。
「魔石は、婚儀用のドレスには一切使用いたしません。あれは初代竜王陛下の魔力が込められたものですから。嫉妬深い竜王は、相手が誰であろうと、自分以外の魔力が込められたものを花嫁が纏うのを嫌がります」
もちろんカインも例に漏れず。
ルルがなるほどと納得している横で、ミレーユは眩暈を感じていた。
(こっ、これはさすがに冗談なのでは?)
冗談だと言ってほしくて、すがるようにカインを見つめる。
彼は目が合ったことが嬉しいとばかりに、顔を綻ばせた。
端整ながら愛嬌を感じさせる笑みは、ヴルムを彷彿とさせて思わず胸が高鳴ったが、いまはそんなときではない。
ミレーユは悩んだ。
貴重な初代竜王の遺産である魔石が使われぬことを喜び、虹石でまだよかったと安心するべきか否か……。
結論はすぐに出た。
無理だ。虹石でよかったなどとは欠片も思えない。
(千着のドレス。それに使用される虹石……)
いったい如何ほどの金額なのか。
計算は得意な方だと思っていたが、恐ろしすぎて頭がまわらない。
カインの隣に立つにふさわしい花嫁になると誓った。
誓ったとはいえ、――――すでに耐えられる気がしない。
あれ、もしやこれは。
(…………早まったかもしれない?)
勘違い結婚~偽りの花嫁のはずが、なぜか竜王陛下に溺愛されてます!?~ 森下りんご @ringo-morishita
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