竜王のくだす罰 Ⅲ
狭い回廊を歩きながら、ゼルギスが問う。
「はっきり伝えて差し上げてもよかったのでは? 貴女のミレーユ様への悪感情は、父親からもたらされたものだと」
間諜からの報告はゼルギスも確認済みだ。
それによれば、ミレーユたちの母親は若くして亡くなったが、存命中は賢母と讃えられ、その人気は民だけではなく他国にも轟いていたという。
才をひけらかすことなく。出しゃばることなく。妻として王に仕えながらも、にじみ出る能力の高さはやがて王の権威を超えた。
死してなお、この国の民にはミレーユの母を慕うものが多い。
それを一番面白く思わなかったのは、彼女の夫であるグリレス王だった。
妻によく似たミレーユを厭い、妻のような才女にならぬよう十分な教育を与えずに育てた。
エミリアと離して育てたのも、妻によく似たミレーユと一緒にいれば、彼女もまた妻と同じように、自分の地位を脅かす存在になると危惧したからだろう。
「告げたところで、いまさらあの娘が心を改めるかどうかは別の話だ。今度はグリレス王に責任を押し付け、自分の正当性を主張するだけで終わる可能性もある」
「グリレス王がすべての元凶なのですから、彼に責任を背負わせるのが無難では?」
「どうせ、あの体はあと数年も持たない」
とうに齧歯族の平均寿命を超えているグリレス王からは、死の香りがした。
「自分の死を悟れば、王としての威厳など投げ捨てそうな男だ。下手につついて自暴自棄になっても困るからな。この先永く生きるミレーユの憂いにならぬよう、それなりの体面は保たせておけ」
彼らの罪は、短い寿命の中だけで完結する。
しかし、ミレーユは違う。
竜王の花嫁になれば、その寿命は永い。
死者の嘆きが、彼女に染みついてはいけない。
「――さて、帰るか」
自国に比べて狭い城内は、移動は楽だが、まるで洞窟の中のようであまり居心地がよくなかった。
もちろんここにミレーユがいるなら話は別だが。
「ちゃんと馬車に乗ってくださいね。この辺の種族には、飛行行為ですら威圧に等しい効力となるそうですから」
齧歯族は竜印が視認できぬ事実を知り、すぐに下位種族の魔力生態について履修したゼルギスの注意が飛ぶ。
無事婚姻がすめばミレーユの身体は竜族に近いものとなるからと、その辺を怠ったのがそもそもの間違いだったと猛省した結果だ。
「それにしても、やたら遠巻きにされてないか?」
城の周囲はふつう城下町が広がるものだが、どうみてもグリレス国の城下は村にしか見えなかった。大きな建造物はなく、小屋といわれるものが立ち並ぶばかり。
反して国民の数は多いようだが、村人たちは一様に距離をとり、カインたちに近づいてくる者は皆無だった。
「あちらの方々からすれば、私たちはその場にいるだけで脅威。あまり長居をしては失礼です」
カインは頷きながらも、馭者が紺碧の馬車を目の前に移動する間、辺りを見回す。
すると、小屋の陰からこちらを窺う二人の子供と目が合った。
二人の顔立ちはよく似ており、どうやら男女の双子のようだ。こちらをチラチラとみては、隠れるという動作を何度も繰り返している。
気になったカインがつい双子を手で招くと、小さな身体がビクリと飛び上がった。
一応、竜王の溢れる魔力が欠片も零れぬよう、衣類は小物に至るまですべて魔石によって抑制の術がかけられている。
(齧歯族の子供でも、これだけ厳重に術をかけていれば脅えさせることはないはずなんだが……)
カインの誠意が伝わったのか、双子はお互いの顔を見合わせると、覚悟を決めたようにこちらへと走ってきた。
「どうした、何か用か?」
年は五歳くらいだろうか。最初はおどおどしていた二人も、カインの声に威圧がないと分かると、拙い手ぶりで話し出した。
「あのね、ミレーユひめさまがかえってこないの」
「もうずっとかえってこないの」
まさかミレーユのことを問われるとは思っていなかった。
馬車に掲げられた竜族の紋章を指さし、双子が言う。
「ミレーユひめさまが、このマークとおんなじばしゃにのって、どっかにいっちゃったのをみたの」
「おにいちゃん、ミレーユひめさましらない?」
屈託のない表情で交互に話す双子に、叱咤する声が飛んだ。
「こらっ! 中に入っていなさいって言ったでしょう!」
振り向くと、母親らしき女性が慌てて駆けてくる。
「「だって、ミレーユひめさまが……」」
涙をあふれさせる双子を慰めるように、カインは小さな頭に手を置いた。
「悪いな。ミレーユは私の花嫁になるために城を出たんだよ。今は私の国にいる」
子供でも理解しやすいように言葉を選んで伝えれば、双子だけでなく、走ってきた母親まで驚きの声をあげた。
「ミレーユひめさま、はなよめさんになるの?」
「おにいちゃんのおよめさんになるの?」
「えええっ、婚姻が決まったのですか⁈」
三人同時に発せられた声に、遠巻きに見ていた人々も振り返る。
「いまミレーユ姫様が結婚するって聞こえたぞ」
「はぁ? 誰とだよ⁉」
「え、あの人と?」
「ありゃあ、どうみてもでかい国の馬車だろう? どこの国だ?」
「姫様が結婚とは、めでてぇことじゃないか!」
建物の中に隠れていた者たちまで集まり、辺りは一瞬で黒山の人だかりとなった。
まるで巣穴から一気に這い出てきたかのような濃い密度に、カインは目を瞠る。
「これは……建造物と人口の比率があってなくないか?」
「多産だとは聞いておりましたが、予想をはるかに上回る数ですね」
齧歯族の人口は、領地に比べ過多。もっとも、どれだけ人口が多くとも、経済、労働、軍事、どの面でもプラスに働いたことがない。それが齧歯族だ。
二人が度肝を抜かれていると、集まった人々からいくつもの祝福の言葉が飛ぶ。
あまりに多すぎて聞き取ることは困難だったが、やたら祝われていることだけは分かる。
さきほどまで、あれほど遠巻きにされていたというのに、ミレーユの名一つで彼らの警戒心は完全に消え去っていた。
「ねぇねぇ、おにいちゃん」
「ほんとうにミレーユひめさまとけっこんするの?」
傍にいる双子の声だけは、なんとか耳に届いた。
「ああ。婚儀は夏至の日だ。必ず幸せにするから心配しなくていい。ミレーユに会いたいなら、式に招待しよう」
「ほんとに!?」
「およめさんのミレーユひめさまにあえるの?」
「ああ。来たい者は皆招待する」
本心から告げると、小さな国に大きな地鳴りが響いた。
「お待ちくださいカイン様。どちらへ行かれるおつもりですか?」
帰って来て早々、執務室とは違う方向へ足を向ける竜王に、ゼルギスの手が伸びる。
「ミレーユのところへ決まっているだろ。万事うまくいったと報告して安心させたい」
「ダメですよ。また竜印に焦がされては、せっかく脅して勝ち取った約束が無駄になります」
(人聞きの悪い……)
カインはそう思ったが口には出さず、ゼルギスの危惧だけを取り払ってやることにした。
「その点については安心しろ。竜印について、一つ気づいたことがある」
指を口元に当て呟くカインの瞳は、熟考と実験を重ね真理を導きだした研究者のように輝いていた。ゼルギスは何だか嫌な予感がした。
「確かに婚儀前にミレーユに触れれば竜印の力が発動するが、それを上回る速度で回復に集中すれば灰にならずにすむ。これでミレーユの手に触れることができたからな、間違いない!」
「――――は?」
誇らしげに豪語する若き竜王に、ゼルギスは絶句した。
それはつまり、決して超えることのできない存在、はじまりの竜といわれる初代竜王の《縛り》を超越する行為だ。
本来なら不可能なことを実現させたという時点で、歴代竜王の中でも偉材。
その力には圧倒されるところだが、理由が欲にまみれすぎていて呆れるほかない。
「カイン様……」
困惑に額を押さえるゼルギスを残し、カインは軽やかな足取りでミレーユの部屋へと向かうのだった。
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