遥か彼方の星
津川肇
遥か彼方の星
南東の空に、三つの星が並んでいる。その左上の赤い星が、私の故郷だ。地球人は「ベテルギウス」と呼ぶらしい。毎年冬になると、私は夜空を見上げては、あの星の輝きを確認する。私からすれば、故郷の爆発はつい最近のことなのに、このベランダから見えるあの星の光は今年も変わらない。宇宙というのは、あまりにも広い。
「体冷えちゃうよ」
窓を少し開けて、遥がベランダに顔を出した。
「うん、でももう少し」
「ほんとに星見るの好きだね」
遥が私の隣に立つ。同じ身長の私たちが見つめる先は、一緒だろうか。遥の目にも、あの赤い星が映っているのだろうか。
「雪と出会った日も、オリオン座が綺麗だったよね」
雪というのは、遥がつけてくれた名前だ。雪が降っていた四年前のあの夜を思い出す。道端にうずくまり、名前も住む場所もないと言った私に、遥はあたたかい家とすてきな名前をくれた。
私の故郷には、名前も住所も存在しなかった。流動的に姿を変えて漂う私たちは、互いの境界もなく、ただそこにいるだけだった。遥と出会って初めて、私は私として生を受けたような気持ちになれたのだ。だから、別にあの星に帰りたいわけではない。でもいつか、私がこの星の者ではないことを、遥に打ち明けなければならない。
「あの日に助けてくれたこと、今でも感謝してるの」
「ほんとに? 一生かけて借りは返してもらうからね」
遥がそう言って笑う。左頬に浮かぶえくぼが愛くるしい。
「もちろん」
「ま、私も女の子同士でルームシェアするの憧れてたから、いいけどね」
「じゃあ、おばあちゃんになっても出て行かない!」
よぼよぼになった私たちがベランダに並ぶのを想像すると、ちょっとおかしい。そもそも、私は歳を取ることはないし、性別という概念も持たないけれど。この姿は、遥の外見を模倣しただけに過ぎないのだから。でも、彼女の目尻にいつか皺ができるのなら、私も同じように皺を作りたいと思う。
翌朝、遥は珍しく慌てて支度をしていた。「手帳がない!」と叫んでは机の上をひっかき回し、「スーツ、クリーニングしてたっけ」と眉を下げてはクローゼットから服を次々引っ張り出す。私はその様子を、寝ぼけまなこでベッドから眺める。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「対策本部に召集されたの! 今日も平和に近所の警備だと思ってたのに!」
遥がクローゼットの奥に首を突っ込みながら答える。まだ手帳を探しているようだ。
「星のある人は大変ね」
「ちょっと運が良かっただけよ。ああ、めんどくさい」
星というのは、遥が数年前の第四次宇宙大戦で与えられた武人勲章のことだ。私の故郷には関係のない争いだったが、遥はその華奢な体に似合わず、最前線で戦い勝利に貢献したという。
遥がようやく軍隊手帳を見つけて出勤すると、部屋は静まり返った。バイトまではまだ時間がある。時間を潰そうとテレビをつけると、アナウンサーが緊急ニュースを伝えていた。
――WAF東京支部は先ほど、対策本部の立ち上げを発表しました。人間に擬態し滞在を続ける地球外生物の殲滅に向けて、期待が高まります。
そのあとのニュースは、もう耳に入ってこなかった。この生活を失うのが、ただただ怖い。
昨日、私の横で毛布にくるまっていた遥の寝顔。三年前の冬、『今日を雪の一歳のお誕生日にしよう』とケーキを買ってきてくれたときの笑顔。私が洗濯物をティッシュまみれにしちゃったときの怒った顔。私の履歴書を添削してくれたときの真剣な横顔。そして、母親が他の星に捕虜として連れ去られたことを打ち明けてくれたときの、あの泣き顔。そのすべてを、今も鮮やかに思い出せる。
私はカーテンを開け、白んできた朝の空にオリオン座を探した。アルテミスの矢に射抜かれた哀れなオリオンのように、私も近い未来、遥にこの胸を撃ち抜かれてしまうのかもしれない。けれど、いつか訪れるその日まで、この広い宇宙で彼女と出会えた奇跡にただ身を任せていたい。私の居場所は、彼女の隣にしかないのだから。
遥か彼方の星 津川肇 @suskhs
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