第41話 再会(6)最終話

 その後、更に小一時間、話し込んだところで、お母さんが改まった姿勢で、話しかけてきた。


「美南、今後のことだけど……、建華さんや今の会社の皆さんと離れたくないんでしょう。日本より中国にいたいのよね?」

「……」

 あまりにも唐突過ぎて、どう答えていいかわからず、すぐには言葉を継げなかった。


「私たちに遠慮せず、正直に答えていいのよ」


「美南、お母さんと話しあって、これからのことは美南の意志を尊重することにしたんだ。日本に来て、家族と暮らすのが本当にいいのか、先ずは、美南の気持ちが知りたい」

 お父さんも、真剣なまなざしで語り掛けてくる。


「わかりません。でも、おとうさん、おかあさん、陸にいさんと会えて、すごくうれしいです。こうして会ってみて、より一層思いました。でも、建華や会社の吉岡さん、許さん、桜木社長、それに来栖さんとも仲良くなれたのに、離れ離れになるのは、少し寂しい気がしてます。変ですよね、せっかく本当の家族に会えたのに」


「当然よ。美南がそう思うのは当たり前と思うわ。私たちと会ってうれしい、と言ってくれたことには感謝してる。けど、建華さんや会社の皆さんは、十九年間の中で見つけた大事な仲間なんでしょう。心を許せる相手には、簡単に出会えないと思うの」


「そうだ、美南。前回上海から戻った後、ずっとお母さんと話をしていたんだ。最初は、私たちも、美南が日本で一緒に暮らすものと考えていた。だが、色々と調べて行くと、中国残留孤児の人たちが、日本へ戻った後、中国にいた時以上の苦労をしていたことを知った。本当に日本で一緒に暮らすことが、美南にとって幸せなのか、と考えたんだ。彼らも長い間、中国で育てられた後に、家族が見つかり日本へ来た。その後、言葉も習慣も違い過ぎて、苦しい日々を送った人が多くいた。美南には、幸せになってほしい。だからこそ、何かいい方法はないか、二人で考えたんだ」

 予期せぬ話を受けて、私は言葉を挟むことすらできなかった。


 日本で一緒に暮らすものと思い込んでいたからだ。

 だが、その次のお母さんの言葉に私は耳を疑った。


「私が、中国に来て、美南と一緒に住もうと思うの」

「えっ」

 私は、思わず声をあげた。

「もちろん、永遠に住むわけではないわよ。美南が、日本人と会って、話すようになって一年と少しでしょう。このまま、中国でしばらく暮らし、日本企業で働くことで、少しずつ日本人と日本文化に慣れて、それから日本へ行く方がいいと思うの」


「だけど、お母さんのビザはどうするのですか? ビザがないと、中国には住めないのでは……」

 突然の話に、先ずは頭に思い浮かぶことを聞いた。


「実はお父さんの会社で、今度上海法人の会社を設立するつもりなんだ」

 お父さんは、何年か前に会社を辞めて、自分で事業を立ち上げていた。

 海外との取引を中心とした事業のため、上海に法人の事務所がある方が都合がいいと言う。


「そう、だからお父さんが現地の社長としてのビジネスビザを取れれば、その家族として、私もビザを取れるわけ」

 お母さんは、晴れ晴れとした表情である。


「私たち家族は、美南と暮らしたいけど、今すぐ日本へ来ることで、つらい思いはしてほしくない。今まで苦労した以上に、幸せになってほしいの」


「お母さんの言う通り、私たちは、美南の幸せが一番大事なんだ。日本に来て、一緒に暮らすことだけが、家族の幸せではないと思っている。無論、美南が、今すぐに会社を辞めて、日本へ来たいなら別だけどね」

 お父さんは、既に私の答えを知っているようで、にやにやしながら答えるのを待っている。


 私は、頭をぶるんぶるんと振った。


 お父さんもお母さんも、私が、中国人の朝鮮民族である李静を捨て、日本に行って東中川美南になることに対して、やがて心が追いつけなくなることを知っているのだろう。


 中国残留孤児の話も、私のために色々と調べてくれたに違いない。

 二人が今までの生活を変えてまで、私の幸せを想ってくれていることを知り、感泣した。


 この日、二人が日本へ帰るため、私は、来栖さんと一緒に空港まで見送った。

 それまでの私は、とまどい、恐れ、答えをだすことに目をそむけていた、確かに何かが、そこにあった。


 目には見えないが、大きな壁が存在した。

 今では、その大きな壁を、皆の力で打ち破ることができたと思う。

 その証拠が、私たち家族の笑顔である。


 お母さんはビザが取れるまで、観光ビザで時々中国へ来てくれるらしい。

 お父さんも、会社設立のための手続きで、頻繁に来ると言う。


 陸兄さんは、簡単には来れないけれど、動画で連絡してくれる。

 だから寂しくなんかない。

 それに、これからも私は、時々、建華と会える。


 吉岡さんには、毎日怒られるかもしれない。

 許さんは、日本人との付き合い方を、淡々とした調子で説いてくれるに違いない。

 桜木社長には、いっぱいほめられるように頑張らないと。

 来栖さんには、もっともっと色んなことを教えてもらいたい。


 中国人でも、朝鮮民族でもない。

 だからと言って、私の今まで培ってきたアイデンティティがなくなるわけではない。

 そこに日本人であることが加わるだけだ。


 来栖さんが、前方から私を呼ぶ。

 私と来栖さんの間に、空港の高い天井窓から陽の光が差し込み、大きな一筋の道に見える。


 それはまるで、シャイニングロードのようである。

 私は、未来へと続く道に思い合わせ、その光の方向に大きく足を踏み出した。

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三千キロのさがしもの 天鷲 翔 @jboy

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