第2話 爆発

 もちろん、母のお古じゃない人も一人二人文をくださった。しかし、左大臣さまの息子の一人、権中納言の教通の君はちょっと良いなって思うと言ったら、母がふざけて返歌を返したから、さあ大変。


 それ以来、私がどれだけ一生懸命和歌を作ろうが、「母上が作ったのだろう」と言われるんだから頭にくる。


 それこそ終末、この世の終わりじゃないの。


 それが幸いなことに、浮名を流しに流した母も、左大臣のおすすめ物件の、前の大和守と再婚して、前の大和守は今度丹後守になったので丹後に行くことにした。


「大和ならまだしも、丹後よ?でも、丹後なら都からもそう遠くはないんだし。歌枕でも見てくる」


 そう言って、丹後に旅立って行った。

 ああ、せいせいする!

 帰ってこなくったって良いのよ。


 私が里下がりをする先はもちろん父の家だし。継母との関係も悪くないというか、むしろ良いのよ?私は落窪の君じゃないんだから。


 そんな折に、私に歌合に出ないかという話が来た。


 これからは私の時代よ!「小式部」なんて女房名を何かに変えてやるわ。でもまあ、「橘式部」くらいにしておくか。母親は母親だもの。ってなわけで、私は初めて出ることになった歌合にワクワクしている。


 下っ端女房の私はよく御簾みすの近くに座っている。ここからこの歌合でどこまで上に上がれるかしらね。いくら母が帰ってきたいと行ったって、その場所はないことにしてやろうと、私は古歌を学ぶべく、「古今和歌集」を昼に夜に読んで研究してる。そりゃ全部覚えてないわけじゃないです。しかし、念を入れて「万葉集」と合わせて総復習というところよ。


 私が「古今和歌集」を読み直しているところに、御簾の外から声がした。


「丹後のお母さまに文を出しましたか」


 私は御簾に突進して、声のしたところに突撃して、その声の主の裾を掴んでやった。

 言っておくけどね、私は裳着をするまで腹違いの弟たちとしょっちゅう蹴鞠けまりをして遊んでたのよ。


 自慢するけど、私が一番うまかった。


 そこにいたのは右中弁うちゅうのべん定頼さだよりの君だった。

 こいつか。

 私の怒りはますます募った。  


 定頼の君なんて言わなくていい。賢子ちゃんは綺麗な顔をしているじゃない?と言うけど、定頼の野郎だよ、野郎!それで十分だ。 


 その父君は、あの「和漢朗詠集」を編まれた和歌の名手の四条大納言。といえば聞こえはいいけど、女房から評判は芳しいものじゃない。


 だって、かつて「藤式部」さまに酔っ払って「若紫はいずこ?」なんて話しかけて女房たちに「お前は光の君かよ」と失笑を買ったという、あの公任きんとうの大納言よ!それで「紫式部」のあだ名になったんだけどさ。


 右中弁は出世街道の一つだし、おそらく今後この人は太政大臣父子にすり寄って出世していくんでしょう。


 しかしね、親子揃って女房を馬鹿にしやがって。馬鹿にするのもいい加減にしろって話だ。賢子ちゃんも目を覚ませ。


 おのれ公任・定頼親子め。


 いきなり私が御簾から出て来たので、びっくりした右中弁は固まっていた。


「大江山」

「生野の道の遠ければ」

「まだ文も見ず天の橋立」


 一言言う度にその裾から袖を引いて私はゆっくりと立ってやった。あまり背の高くない右中弁は、恐怖に怯えている。


 この橘綾子たちばなのあやこさまの美貌を光の元で見せてやったというのに、それは何ごと?


 ワナワナと震える定頼の野郎は、もう片方の袖で顔を隠しやがった。


 終末は近いというけれど、世界が終わるまでにはまだ時間があるっていう話じゃないの。なのに、定頼の野郎は終末が今来たかというような様子よ。


 年は5歳くらい上だろうと思うのだけど、なんだかおしっこをチビられそうで嫌になって解放してやることにした。


「坊や、返歌はできた?」


 アウアウと何か声はしたけど、言葉はなかったね。


「お父さまに返歌を作ってもらっても構わないわよ!」


 裾も袖も離したってば。


 馬鹿馬鹿しくなって御簾の中に入ったら、女房たちがどっと笑って、御簾の外では走って逃げていく足音がした。


 外が濡れてないと良いんだけど。考えただけで汚らしい。


 女房たちの良い語り草になったし、教通の君がたまたま角で私と定頼の野郎を見ていたらしく、これまた面白おかしく公達に話して、私を褒めたって話だ。


「小式部の君という人は、実に良い。定頼がからかったら飛び出してきて、あっという間に和泉式部の君の姓の大江も含めて、丹後へ通る生野、天橋立を織り込んで、遠い丹後から文なんか来ない!って、すごくないか。気が強くて頭の回転が早いのは最高だね。我が母上以上かもしれない。その上、光の下で見ると母君の和泉式部の君よりも美しい」


 和泉式部よりも美しいですってよ!

 聞いた?

 私は母よりも美しいって!


 母がふざけて勝手に返歌を送った人だけど、ちゃんと教通の君に返歌を送ろうと思う。

 母のお古じゃない、若い公達からの文がどっと増えた。


 これで私も、多分きっと「小式部」から解放されると思ったんだ。「橘式部」って父と母の名で呼ばれると思ったのに。この和歌から「生野式部」でも良いと思ったんだけど、やっぱり私は「小式部」と呼ばれ続けた。


 それでも、私が詠んだ和歌は誰も母が作ったものだとは言われなくなった。さらに教通さまが推薦なさったという話だけど、内侍として正式に宮中女官にならないかという話が来た。それまでは私たちはその下の命婦だったのよ。


 小式部内侍!


 素晴らしいじゃないって小馬命婦さまはおっしゃったし、珍しく賢子ちゃんが私を羨んだ。匡子ちゃんからもお祝いの文が来た。母も喜んだ。母が喜んだのは余計だけど、ま、いっか。定頼の野郎、じゃなかった定頼の君にちょっとだけ感謝しよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小式部の怒り 垂水わらび @tarumiwarabi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ