小式部の怒り

垂水わらび

第1話 出仕と嘆き

 離婚したとはいっても自分の娘の裳着もぎの儀くらいは来なさいよ、と父に言われたのか、離れて暮らす母に何年かぶりに会った。そのときに「十四になって裳着も終えたんだし。綾子あやこも皇太后さまに仕えないか」と言われて、どうしようかと考えてる。


 だって「和泉式部いずみしきぶ」の悪名は巷に轟いているんだもの。


 父と別れた後の二人の皇子(しかも兄弟だよ!?)との恋模様は都で知らない者はいない。さらに藤壺の中宮と呼ばれた頃の、今の皇太后さまに出仕して、さらに多くの公達と浮名を流す始末よ。


 左大臣さまも呆れ果てて浮気女と呼んだ。それでも藤壺にいられ続けたのは、その和歌の才能だと聞く。十中八九、左大臣さまも毒牙にかけたんじゃないかと思う。


 あーあ。自分の母が紫式部さまならよかったのに。


「どう?賢子かたいこちゃんも出仕するって話よ」


 そりゃ、賢子ちゃんのお母さまは紫式部さまなんだもの!


 紫式部さまの「源氏物語」は読み始めたら止まらない。

 私は賢子ちゃんの住む、河原町通りの紫式部さまの邸に行っては書き写した。


 賢子ちゃん本人はというと、「藤式部」から「源氏物語」にでてくる紫の君にちなんで「紫式部」と呼ばれるようになった母君がうるさくて、実は「源氏物語」は読まない。

 なのにね、私が日が落ちなければいいのにと書き写すので、賢子ちゃんも一緒になって書き写してくれた。

 読みながら書き写すのが楽しいのになあ。

 でも、「後から読めばいいわ」という賢子ちゃんは、なるほど合理的だ。


 母上のお持ちの「伊勢物語」は、亭子院ていじのいんの帝の伊勢の御息所がお持ちだったものだという、実に由緒正しいものけれど、時代は「伊勢物語」よりも「源氏物語」よ。

 新作が待ち遠しい。


 そりゃ、物語は初めから最後まで嘘ですよ。

 でも、その作り物の中の真理、これが重要!


 そう賢子ちゃんに言い続けたせいかしら。賢子ちゃんが「綾子あやこがうるさい」と紫式部さまに言ったのかしらね。つい先日賢子ちゃんのところで「蛍の巻」を読んでいたら、同じことを光の君が玉鬘の君におっしゃるから、我が意を得たりと私は自慢した。


 そして、玉鬘の君の反応が鈍いのも、賢子ちゃんみたいで笑った。


 本当に母上が紫式部さまだったら、本当に良かったのに!

 もしくは赤染衛門さま。浮名なんか流さないし、「栄花物語」と「源氏物語」は牛車の車のね、あの両輪なのよ。

 じゃなかったら、登華殿におられた皇后の宮に仕えた清少納言さま。藤壺よりも「枕草子」の時代の登華殿にお呼ばれされるなら私は喜んで伺うのに!


「あら、清少納言さまが好きなの。小馬命婦は清少納言さまのお嬢さまじゃないの」 


 小馬命婦さまも皇太后さまのところにおられる。


 私が「栄華物語」を持っていたら、母は「じゃあ、枇杷殿びわどの?」と言うけど、そうなのよ。

 皇太后さまの妹君の枇杷殿のお妃さまのところに赤染衛門さまの娘、匡子まさこちゃんは出仕なさるという。


 とにかく!私は母を取り替えたい!


 しばらくの間、「栄華物語」の新作と「源氏物語」の新作と、どっちを取るか考えた。皇太后さまのところなら「源氏物語」の新作ができたら割とすぐに読めるだろうし、というよりも、書き写す役割をいただければと思うし。きっと「栄華物語」の新作も読める。

 私は書は上手い方だと思うんだよね。


 というわけで私は女房を引退された紫式部さまの代わりに入る賢子ちゃんと二人で東三条の皇太后さまに出仕することになった。もちろん、曹司ぞうしは賢子ちゃんと一緒よ。

 いろいろと私たちに教えてくれたのは、小馬命婦こまのみょうぶさまだった。

 小馬命婦うちの母と違って人を放り出したりしない、よく気のつく方よ。


 皇太后さまは藤壺の中宮さまだった方なので、ここのやり方は登華殿におられた皇后さまにお仕えした清少納言さま式ではないんだろうけど、ちょっとは楽しくやろうかと思えるようになった。


 自慢するけど美女の誉高い母上と私は生き写しだって言われてるのよ。それは自慢だけど、ここ皇太后の宮では足を引っ張るの。ご姉妹の枇杷殿のお妃さまのところに出仕したほうがよかったかしら。


 小馬命婦さまは、「こまやかさん」の「こま」を冗談めいてつけたらしく、ちっとも清少納言さまの名前に由来しない女房名をいただいておられる。賢子ちゃんも紫式部さまではなくて、紫式部さまのお父さまに由来する「越後弁えちごのべん」という女房名をいただいた。匡子ちゃんも「江侍従ごうのじじゅう」というお父さま由来の女房名をいただいたというお話よ。


 それなのに私ときたら!「小式部こしきぶ」ですよ。「小式部」!

 ちっちゃい和泉式部ですってよ!


 綾子は和泉式部そっくりなんだからって、皇太后さまぁ!あんまりじゃございませんか。

 さらにいろんな公達が私の顔を見ようとするわ、文をよこして来るわする。ほんっと、嫌になる!

 鏡を見ろよ、鏡を。お前は光の君かよ。

 光るの君の腰巾着の惟光これみつがいいところじゃないか。


 女房たちの中では、これまた私がいただく文が多いので、先輩がたに微妙に白い目で見られてるのもやりにくい。でも同じく言ってやるわ。

 鏡を見ろよ、鏡を。

 お前は若紫かよ。花散里でもない。末摘花じゃないか。


 中身を見ることもなく文の山を曹司にほったらかしにしていたら、同じ曹司の賢子ちゃんに取られて母のところに持って行かれた。

 これがもう最悪。「あら。この人は昔ね、」って、どいつもこいつも母のお古なの!

 私の光の君はどこにおられるの!光の君!   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る