第5話 悪魔の噂

 いつもは元気に「ただいま」を言って開く扉を、今日は一呼吸置いてからそっと開ける。

 ……?なんだか、騒がしい…?

 いつもは静かな家の中で、誰かの叫ぶような声が響いている。

 急いで家の中へ駆け込むと、そこではメアリーのお母さんが泣きながら、父と話しをしていた。

「奥さん、何度も言っていますが、夜の森は大人でも危険なんです。村長として捜索の許可は出せません」

 父は、たまに見る厳しい表情をメアリーのお母さんに向けている。

「おばさん、どうしたの?」

 エンジェルは、今にも泣き出しそうなおばさんに駆け寄った。

「…エンジェルちゃん、メアリーを見なかった?」

「えっと、今日もいつも通りの時間に学校をでたけど…、もしかして、まだ帰ってきてないの!?」

 メアリーは学校から家が近く、エンジェルよりも早く帰宅することができるはずだ。

 それなのに、こんな時間まで帰宅していないとなると何かあったのかもしれない。

「私…、メアリーを探しに行ってくるわ」

 エンジェルは父の制止も聞かずに、家を出ようとしたが、ドアに手を掛けた所で、後ろからぐっと腕を掴まれた。

 どうしてわかってくれないの…!

「今なら、まだ間に合うかもしれないのよ…!」

 バっと振り向いたエンジェルは自身の腕を掴んでいたのが、父ではなかったのに驚いた。

 父より少し若いであろうその人は、肩に猟銃をかけた男の人だった。

 父はため息交じりにその男性にお礼を言った。

「ダニー、助かったよ…。最近、エンジェルはどうも反抗的でね」

 ダニーと呼ばれた男の人は、なぜかとても物憂げな瞳でエンジェルを見ていた。

「…君が、エンジェルかい?」

「ええ…、お願い、少しだけ私を森に行かせて…!」

 エンジェルの必死の懇願に、少しの逡巡を見せたダニーだったが、それでもはっきりとエンジェルに告げた。

「それは…、できないよ。君も知ってるだろうけど、夜の森は猟銃を持っている僕でも危険な場所なんだ。そんな場所に女の子を一人で行かせられないよ…」

 見知らぬ男性だが、猟師であろう彼にここまで言われては、エンジェルも自身の考えが早計だったかと俯いてしまった。

「奥さん、猟師である彼もこう言っている事ですし、今日は1度お引き取り願えますか?もしかしたら、メアリーちゃんが家に帰っているかもしれませんし…」

 父の言葉に小さく頷いたおばさんの顔には空知らぬ雨が浮かんでいた。

 エンジェルは自身が『無力な女の子』である事に嫌気が差した。

 そして、ご迷惑をおかけしました…と言っておばさんは家に帰って行った。

「はぁ…」

 静けさの戻った家で、父の溜息は大きく響いた。

 エンジェルの視線は自然と父に向く。

「エンジェル、紹介が遅れたな。彼は私の友達のダニーだ。彼は猟師をやっていてな、私が頼んでこの村に足を運んでもらったのだよ」

「…猟師ならこの村にもいるのに、なぜ他から頼む必要があるの?」

「なに、簡単な事だよ。彼には、あの忌まわしきを撃ってもらうのさ」

 エンジェルは自身の血が熱くなるのを感じた。

 父が言うとは、ウルのことだとすぐに察する事ができたからだ。 

 気づけば、涙ながらに父に訴えている自分がいた。

「なぜ、そんな酷い事をするの!?お願い、お父さんとウルの間にいったい何があったのか教えて!!」

 父は少し間を置いた後、重い口を開いた。

「…なにもないさ、ただ人を喰う悪魔を駆除するだけだ」

 睨みつけるエンジェルを気にも止めず「きっとメアリーもあいつに喰われてしまったんだろう可哀想に」と父は続ける。

「彼が人を食べた証拠があるの?!そんな酷い事もう言わないで!」

 エンジェルはこれ以上、父と話す事はないとでも言うかのように、父に背を向け自室に戻ろうとした。

 お前はいつもそうだなぁエンジェル。自分が信じたモノに真っ直ぐすぎるんだ。大丈夫、ちゃんと父さんが守ってやるからなぁ。

「証拠ならあるぞ」

 父の低い声にエンジェルの顔は強張った。

 まさか…。

「ダニーが目撃したんだ。メアリーを食べているところをなぁ」

「…嘘よ!そんなの何かの見間違いだわ!!ねぇ、ダニーさん嘘って言ってよ…!」

 掴みかかった手に思わず力がこもるが、ダニーはエンジェルを見向きもせずに「あの時は猟銃を持っていなかったから」とだけつぶやいた。

 それを聞いたエンジェルは力なく地面に膝をつき、耳元で父がもう諦めろと囁いた。

 諦める…?…わたしは、

「私は信じない…。そんなの絶対に…!」

 エンジェルはそのギラリと光る青金石の瞳で父を睨みつけると、勢いよく森に向かって走り出した。

 後ろで名前を呼ぶ声がしたが、構わず走り続けた。

 あの場所に向かって、ただひたすらに、ウルに会うために。








 

 

 



 

 

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君に出会えて、あなたに出会えて、幸せでした。 umi @umi3

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