オレが恋した彼女は他の男が好き

九十九ねね子

オレが恋した彼女は他の男のことが好き

 稲妻が走ったかのような衝撃だった。

 息も忘れ、オレは彼女を見た。あまりにも清く、正しく、綺麗な魂を。あの瞬間、脳みそがグラグラ揺れた気がした。

 ——そして、目が合う。


「…………?」


 ふわりと笑う彼女が、こっちを見た。いや、これはたまたま、偶然でしかない現象なんだけれど。

 しかして、オレの瞳にはもう彼女しか写っていなかった。



 ふーっと深呼吸をして、教室のドアに手をかける。

 胸がうるさいほど飛び跳ねていた。だって、彼女がいる。ついに出会ってしまうのだ、オレの運命に。


「おはようございます!」


 教室の中がシーンと静まる。目当てではないちっぽけな愚民どもは一瞬こちらに視線を向け、それからしばし経って話し始めた。

 オレは一番後ろの一番窓側の席までずんずんと進む。


「お、おはよう!」

「……えっ」


 かわ。めっっっっっちゃかわいい。

 まるで小鳥のさえずりのような声。愛しさで胸が溢れかえる。きょとんとした表情は可愛らしく、後ろの桜の木とマッチしていた。


「あ、ああ、あの!」

「はっ、はい」


 声をかける。そうして、言うんだ。

 そうすれば、オレの運命の恋が始まる————。


「オレ……——オレと恋人になってください!」

「…………えっ、無理です」

「えっ」


 ごめんなさい、と彼女は丁寧に頭を下げ、オレは放心状態のまま自分の席へと連れられた。

 一体、何が悪かったのだろうか。

 オレはただ茫然としていた。



「初手告白はまずいだろ」


 隣の席の奴が話しかけてきた。名前も知らない愚民の一人。

 オレはムッとして反論する。


「べつにいいだろ。オレに愛されて喜ばない人間などいるはずがない」

「うわキモ」


 気持ち悪いとの評価だ。なるほど、人間はこういった言動に嫌悪感を抱くのか。


「ちなみにツッコンでいいのかわからないから今まで触れてなかったんだけど、お前の名前ってあれ何?」

天照神王あまてらすぜうすだが」

「なんなの……? いやほんと。神様なの?」

「そうだが……?」


 天照神王あまてらすぜうす。下界に降り立つため人間に合わせたオレの名だが、なにか不都合があっただろうか。まあ、愚民どもの言葉など心底どうでもいいが。

 オレが気にするべきことはただ一つ。

 ——彼女と付き合うことである。


 彼女との出会いはそう、十数年前。

 赤子だった彼女は一際輝く魂の持ち主だった。神であるオレの視線を一瞬でも奪うくらいに美しい。

 彼女の輝きを見ていたい、側で感じていたいと思うのに時間はかからなかった。

 が、オレは神だ。一人の人間のみに構っているのはヤバい。結構ヤバイ。


 しかし彼女の私生活に目をやることはもはやオレの生活の一部となっていた。

 その日食べたもの、友人と話したこと、瞬きの回数。彼女の全てを把握していないと落ち着かなくて、仕事も手につかない。人間には依存性があるものだったかと本気で悩んだ。

 そして気づいたのだ。——オレは彼女に恋をしていると。


「オレは彼女を手に入れるためにこの学校へ来た。お前、オレに助言をする許可をやろう」

「なんでそんな上から目線なん……? まず友達になることから考えろよ」

「なるほど、友達」


 オレはうんうんと頷いた。そして続きを促す。


「んー、時間の問題もあると思うけど。初めてあった知らねぇ人に『好きです』なんて言われても困るだけだろ」

「たしかに……? 愚民はオレを知らず存在しない神を信仰しているが、いざオレを信仰しているなんて言われても困るな。こっちはただの管理職だし」

「それはよくわかんねぇけど」

「わかんないのか」

「あとはイベント——体育祭とか、文化祭の方が雰囲気は出るだろ。そのころにはだいぶ打ち解けてるかも知れねぇし」

「…………遅いな」


 遅い。それでは遅いのだ、手遅れになってしまう。


「遅い?」

「——彼女には好いている男がいる」


 忌々しい、あの面を思い出す。骸骨野郎め。

 あんなよくわからないものに捧げるくらいなら、下界に降りてでも彼女を手に入れたかった。

 そんな神心を愚民がわかるはずもなく、呆れを見せる。


「え、諦めれば……?」

「いやだ。ひとまずお前の案を採用し、入学式が終わったら話しかけようと思う」

「嘘だろ」



 駆け足で彼女の背を追う。

 友達と話すわけでも、親と待ち合わせをするわけでもなく、入学式が終わったら彼女すぐ帰って行ったらしい。人間流の告白を学ぶためにと話し込んでいたが、それは愚策だったかもしれない。

 しばらく歩いて、彼女に追いついた。


「あ、朝の人」


 かわいい。かわ、え、めっちゃかわいい。

 オレは自分の声が上ずることを自覚しながら話しかける。


「や、やぁ! ぜひ一緒に帰りたくって」

「そうですか。ではご一緒しましょう」

「やさしい……」


 人の優しさに触れた……。

 通学中歩きタバコを注意したら舌打ちされ、学校では隣の席の奴に気持ち悪がられるばかりだったのに。なんて優しいのだろうか。他の人間とは違う、流石オレが好きになった女。

 もっと距離をつめたくて、少し彼女の方によって話す。


「その、オレと友——」

「ごめんなさい。朝は……その、フってしまって」

「えっ、あ、あぁ。いや」


 違う。謝らせる気なんてないんだ。

 しかし、オレが言葉を発する前に彼女は続きを述べた。


「——私もう直ぐ結婚するんです」

「エッッッ」


 絶句する。まさか、オレが下界へ降りる手続きをしている間に事が進んでいたのか。

 彼女は歌うように話す。


「最初は驚いたんですけど、家族のみんなも祝福してくれて。これで天国に行けるねって」

「家族公認だと……」

「幸せな心地です。まさか神の花嫁になることができるなんて」

「幸せなの」

「幸せです。……あぁ、あなたもメメント・モリに祈りを捧げましょう」


 そう言うと、彼女は学生鞄からファイルを取り出し、オレに手渡す。ひぇ、手に触れちゃった。ちっちゃい。

 ニコニコと楽しそうで、思わず笑顔になる。しかしこれが男のための笑顔というのはいただけない。


「天国へ行きたいのならオレに願ってくれ。このままだと君に待っているのは破滅だ」


 手を握り、真摯に見つめる。気味悪いドクロが描かれたファイルがはらりと落ちた。

 彼女の今までをオレは知っている。

 死後に希望を見出す信者。その間に生まれた彼女は躾という名の虐待を受け、意味のわからぬ妄言で人生を消費し続けていた。

 ——なのに。


「神はいます。いるのです」

 

 パシンと叩かれた頬。

 小学生の頃、友達が神を否定したとき彼女は今みたいに頬を叩いた。彼女にとって神は肯定しなければいけないモノだったから。

 そうでなければ、母に殴られるから、父に怒鳴られるから、あの地獄みたいな日々が無意味になるから。——死後に救いがないなんて、信じたくない。

 彼女が信仰している神がオレだったらよかったのに。


「あぁ、あぁ、一緒に神の元へ!」


 血走った目。歪な口元。流れ落ちる透明な涙。

 一途な信仰心を持つ魂は美しく、愛らしく、この世の何よりも魅力的だった。

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