第12話 こうしてまた避け続ける
「おいし……」
食べやすい大きさにカットした桃は甘くて、ひとつ分くらい平気で食べられそうだった。
今食べている桃は親戚から貰ったもので、好きに食べていいと言われた時は飛び上がりそうになるくらい嬉しかった。果物の中では桃が1番好きなのだが、年中食べられるものでもないし、みかんやりんごより高くてめったに買うことがない。缶詰に入っているようなシロップ漬けも好きだけど、生の桃の自然な甘さが好きなのだ。
そんな訳でリビングでひとり、美味しい桃に
あの夏祭りの日から、矢吹くんとは度々連絡をとるようになった。連絡といってもメッセージを送り合うだけで、通話のやり取りはしたことがないのだが、夏になる前には知らなかったことを少しだけ知った。
射的が上手かったことを指摘すれば、そういうゲームをやったことがあるからそのせいだそう。……なるほど? 今はそういうのもあるんだ……
それから夏祭りの時、きゅうりの1本漬けを食べていて、前にもきゅうりを生で丸かじりしていたことを思い出したのでよっぽどきゅうりが好きなんだなと思っていたら、どちらかと言うとトマトの方が好きらしい。理由は片手間に食べられるから。
しばらく意味を考えてみたけど、どれだけ考えても意味はわからなかった。ゲームをしてる時の話だそうだがいまいち理解はできず。ゲームって片手塞がってもできるものだったっけ……? スマホのゲームならできる……?
ちなみに生まれてこの方、その以前からあまり関わってこなかったゲームの世界に疑問しか生まれなかったのは余談である。
今の話題はと言うと、とある小説のこと。シリーズもののミステリーで矢吹くんは読み始めたばかりらしい。全作読んでいるほど私にとって好きな作品なので早く語りたい気持ちでいっぱいだったが、ネタバレはダメだという思いから我慢している。同じ部活で読んでいる子もいるけれど、読む人が増えるのも語る人が増えるのも嬉しいことでしかない。
もう読み終わったかなと淡い期待を持ちながら、先ほど送られてきたメッセージを確認する。
『そういえば、この小説実写化するらしいね』
その言葉に、私の心はざわついた。
実写化。喜ばしいことなはずなのに、ちっとも嬉しい気持ちになんてならなかった。小説では伝わりきらない表情や表現が映像化することでより深みが生まれるだろうに、私にはそれを全て味わうことができない。耳だけで聞くには見える目があって、目で見るには足りない。どうしたって中途半端にしか楽しめないことがわかってから、もう実写化した作品は見れなくなった。この空しさをどこかにぶつけてしまいそうだったから。
こうなるようにした何か? それとも生んでくれた母? 実写化した作品? この感情をぶつけるにはどれも見当違いに思えて、目に入れなければ見ることもないと徹底的に避けてきた。
そして今回も避けて、目に入れないようにする。心が痛むのも無視して。
『そうなんだ。矢吹くんは見るの?』
それからたいして時間が経たずに返信が届いた。
『小説読んでから考える。行村さんは?』
私は、と打って手を止める。この続きは何と打てばいい?
顔が見えないから見たくないことなんて伝えられないし、見たいと嘘をつくのも気が引ける。
再び手を動かしたのは、それからしばらく経ってからだった。
『私は見ないかな』
それは本当のことだったけれど、まるで嘘をついているような罪悪感に
***
夏休みが明けた。見慣れた顔がない人達ばかりの生活も昨日で別れを告げ、また彼らを視界に入れる毎日が始まる。
のろのろと歩いてもいつかは学校に着くもので、チャイムの鳴る数分前に教室のドアをくぐった。
一直線に自分の席に行けば、必然的に遠間くんと彼の席の近くに立つ濱砂さんに近づく。
「あっ! おはよう!」
「……おはよう」
休暇前と変わらぬ笑顔。大抵の人には好ましいと思われるだろうが、残念ながらそれは私の気分を下げるしかない。休みが明けてしまったことと朝から濱砂さんに声をかけられたことでダブルアタック。オーバーキルに気づいてくれる人はおらず、内心ため息をつきながら椅子に座った。
「久しぶりだね! 夏休みって何したの?」
「特に言うようなことはしてないけど……」
「どんなことして過ごしてたかでもいいよ?」
「どんなこと……」
「そういう質問はお答えしかねます!」……なんて言えたらいいのに。
「あなたには関係ない」って言ったらさすがにダメだよね……もう少し言い方がありそうだし、周りに人がいるからなぁ……
まず大前提で、何でそんなこと知りたいんだろう。ただの話題提供? だとしても悪手だ。話しかけ続ければいつか絆されて親密になっていく、なんてことは私には起こらない。
私はいつまでたっても彼らが怖いと思う。それは防衛本能みたいな、反射的なもの。嫌いとは思わないけれど、私の
そうは言っても、平穏のためには事を荒立てたくはないため、どう答えようか言い淀んでいた。
「濱砂、そろそろ戻った方がいい」
「あっ、そうだね」
そんな会話を耳に入れながら、私の平穏について考えていた。
この平穏はいつか壊れることが来るかもしれないし、曖昧にしてきた罰が与えられるかもしれない。
それでも私は、この平穏を守りたい。このままでも十分、私は幸せだから。
でも終わりが来た時、私はどうするのだろう。
そんな風に考えてしまうのは朝から疲れたからだろうか。
憂鬱なまま1日が始まった。
昼休みになり実咲の元へ行くと、あまりに疲れた顔をしていたのか額に手を当ててきた。熱はないのよ熱は。
教室に帰ってきた後は自分の席で俯いてぼーっとしていると机にコロンと飴がひとつ置かれた。
顔を上げれば目の前に立っていたのは矢吹くんで、思わず矢吹くんの顔と飴を交互に見た。
「あげる」
「いいの?」
「オレンジが嫌いじゃなければ」
ちらりと机の上の飴を見てみると十中八九オレンジ味であろう色をしていた。オレンジ味ってだいたいオレンジ色しかしてないよね。
「ありがとう」
拾い上げて封を切る。口に含めばよく知ったオレンジの味がして懐かしい気持ちになった。
そう言えば最近飴を食べてなかったな。
子供の頃に母にもらった飴を思い出す。大きな飴がきらきら光る宝物みたいで、口をいっぱいにしながら食べていた。そんな私を笑顔で見つめていた母の顔はもうほとんど覚えていないのに、生まれ変わっても変わらない味がした気がして少し笑えた。
***
昨日より早く教室に着いた翌日。そこには音楽を聞く矢吹くんの姿があった。
イヤホンを付けてスマホをいじっていて、近づいた私に気づく様子はない。鞄から教科書やノートを取り出している間も、矢吹くんを盗み見ていたけどさっきと変わらず。
あらかたの準備を終え、矢吹くんの席の前に立つ。視界に入るように机を2回ノックした。
弾かれたように顔を上げ、イヤホンを外すのを見た後、握っていた手の中のものを机に置いた。
「あげる」
首を傾げているから、不思議に思っているのかな、昨日の私みたいに。
「昨日のお返し」
置いたのは昨日もらったオレンジの飴みたいに硬いのじゃなくて、柔らかいソフトキャンディ。
「ぶどう味だけど食べれる?」
「うん、ありがと」
包み紙を剥がして食べるのを見て私も同じものを食べた。
「さっきまで、何聞いてたの?」
「アニメの曲」
そう言って見せられたスマホに表示された曲のタイトルは見覚えがあって目を見開いた。
「え、これ少女漫画が原作のアニメの曲だよね? 見てるの?」
矢吹くんが恋愛の曲聞いてる……
少女漫画を読んでても、アニメを見てても全然いいんだけど、それが恋愛ものだったからちょっと衝撃が強かったと言うか……
「いや、見たことない」
「そうなんだ……」
そうだよね……射的が得意だからてっきりバトルものとかを見てるものだと思っていたし、恋愛とは関係ない曲聞いてると思ったけど、よく考えたらそんなことないよね! 恋したことなくても恋愛ソング聞くし、失恋してなくても失恋ソング聞くこともある! なんでそれに気づかなかったかな私!
先入観って怖い……!
なぜか自分の先入観について見直すことになってしまったが、矢吹くんにもらったお返しができたので良かったことにしよう。
そうひとり頷いて、矢吹くんの好きな曲を質問した。
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