第5話 その一言が嬉しくて

 テストが返却され、高校に入って初めての定期考査が終了した。予想していた通り、苦手な理系科目はほどほどの点数と言った所だろうか。

 今回は範囲が狭かったためなんとかなったが、次回は重点的に勉強をするか対策を打たないといけないと思うと気が重い。ひとまず良い点数だった科目はこの調子で勉強していこうと思う。


 そして、テストが終わったことで席替えのためのくじ引きも行われた。

 名簿番号順の席では濱砂さんが隣にいて、天草氏と遠間氏は近くなかった。やはり名簿番号が近いと何かと関わることが多いので、幸いにも3人全員に囲まれているなんてことがなかったのが救いだった。


 お顔ありの3人の近くになりませんように。

 そう願いながらくじを引き、見事に席を離れることができた。宇宙よありがとう……

 これでしばらくは授業に集中できるし、彼らの動向に無駄に神経を尖らせることもなくていい。


 考えてみてほしい。また濱砂さんと近くになった場合、授業で同じグループになる可能性もあるし、普通に話しかけられることもあるかもしれない。

 用事があるなら遠くても話しかけはするだろうが、そんな頻繁にはないと思う。

 そして天草氏と隣にでもなったら大変だ。あの時みたいに、目だけが笑っていない顔を見ることが多くなるなんて耐えられない。ブリザード吹き荒れて凍えるかも。

 それに、人気ある人の隣とかは、見えない視線が気になって居心地が悪い。見えないから大丈夫なことはなくて、なんとなく見られてることもわかる。

 そういうことに心を砕きたくない。私のいない所で勝手にやってほしい。


 いつか神経擦り切れて爆発すんぞ!!

 ……まあ何はともあれ、今私は解放感に満ち溢れてる!! 怖いものは……あるけどね!!


 新しい席に着き一息ついてから周りを見渡すと、斜め後ろに矢吹くんがいることに気がついた。


「矢吹くんの席そこなんだ。近いね」

「うん。……今度は行村さんが前だね」


 ぽつりとこぼした言葉にはっとする。


 今度は私が後ろから見られるってこと……?


 いつも矢吹くんの背中を私が見ていたのに、今度は矢吹くんに見られるのだと改めて考えたら、なんだか決まりが悪い。


 それにしても、今までの休み時間は授業が終わってすぐに席から離れていたが、それもしなくていいと思うと気が楽だ。友人兼避難場所の川井ちゃんの元へ向かう頻度は減りそうだが、川井ちゃんが友人なのは変わりないのでまたすぐに彼女の元へ行くだろう。

 川井ちゃんは休み時間になると頻繁にやって来る私に対して、特に何も言うことなく迎え入れてくれた。来る者拒まず去る者追わずなだけかもしれないが、ぽわぽわしているのでただ気にしていないのかもしれない。

 どちらにしても助かっていたことには変わりなく、今度お礼にお菓子を持って行こう。どんなものがいいか考えながら自然と笑みを浮かべていた。


 チャイムが鳴り、休み時間となると周りは騒がしくなる。

 その音が気にならなくなるほど、私はこの状況に安心していた。高校に入学して初めてと言える自席でのぼーっとできる時間をずっと望んでいたのだ。


 あれこれ考えると疲れるし、休み時間なのだから何もしたくない。どうせ時間になったらまた頭を働かせなければならないのだ。頭を休めることも大切なはず。

 そう思い、魂でも抜けてるんじゃないかというくらい何も考えない時間を堪能していた。


「行村さん」

「……え?」

「読んだよこれ」


 今まで警戒していた反動なのか、呼ばれたのに気づくのが遅れてしまった。


 振り向くと矢吹くんがいて、彼の手にはこの前私が読んでいた本があった。それは唐突に面白いか尋ねてきた本でもあり、その時に借りてみると言ってはいたものの実際に読んでいる姿は見ていなかった。


「え、読んだんだ……」

「うん。読んたことのない感じだったけど、いろいろ考えさせられた」


 手にしていた本を観察してみると、確かにそれは学校の図書館のもののようで、本当に借りて読んだことに少し驚いた。その時気になっただけで、借りるまでには至らないこともあるだろうに。

 それでも、こうして読んで感想を教えてくれたことに胸がほんのり温かくなった気がした。


「ありがとう、教えてくれて」

「いや、こちらこそ……」


 むしろ私がしたのは紹介しただけで、感謝されるべきはその本だ。著者や翻訳者、出版に関わった方が素敵な本にして、外国でも有名になったからこそ私も読んでみようと思ったのだ。そんな一読者でしかなかった私には、直接伝えられた感謝の言葉を上手く受け取ることができなかった。

 読んでもらえただけで、感想を言ってもらえただけで十分なのに。不思議と胸がいっぱいになって、そのまましばらく、嬉しさを噛みしめていた。


 ***


 体育祭が近づくある日。

 梅雨ということもあり、よく雨が降る日が続く。今日も朝は太陽が出ていたのに、今は雲に隠れて雨が降り始め、図書館の窓から灰色に染まった空が見えた。


 部活後に昇降口へ行くと、先ほどの小雨がいつの間にか大雨に変わっている。

 傘を持ってきて良かったと胸を撫で下ろしながら外に出ると、雨が当たらない位置に矢吹くんがぼんやりと空を見上げて立っていた。

 部活が終わった生徒達が足早に私達の横を通りすぎていく。


「矢吹くん、帰らないの?」


 驚いた素振りもなく、顔が少しだけこちらを向いた。おそらく私を視界には入れているのだろうが、反応が薄い矢吹くんの動きは読みずらい。


「傘忘れたから、小雨にならないか様子見てる」

「様子見てる……? 職員室に傘あったりしない?」

「……行ってきたけどもうなかった」

「ああ……」


 ありはしたんだ、もう誰かが持って行っただけで……

 踏んだり蹴ったりだな……


 でもこのまま「じゃあ私帰るね!」なんて言えないし、止むのはいつになるかわからない。

 私にできることも何も……


「……あ!」

「ん?」


 どうしたもんかと考えていたが、ふと思い出した。

 鞄の中に保険で入れてたはず……


「あった!!」


 折り畳み傘! 日傘にもなるからいつも入れてたんだよね!! 過去の私グッジョブ!!


 見つけられた興奮のまま矢吹くんに傘を突き出す。


「止みそうにないし、折り畳みで良かったら使う?」

「いいの?」

「うん、使って」


 シンプルな白い折り畳み傘だから、矢吹くんも気にせず使えるはず。

 まあ柄なんて気にしてる場合じゃないと思うけど。そうじゃないと雨に濡れて帰ることになるし。


「ありがとう」


 目も表情も見えないからどう思っているのかなんて、全くと言っていいほどわからない。もしかしたら余計なお世話だったりするのかもしれない。


 でも、何もしないまま帰れなかった。そりゃお礼は言われて悪い気にはならないけど、ちょうど傘があったから渡しただけだ。


「早く帰った方がいいよ」


 そう言って手を振ってから、淡いラベンダーの傘を差して雨の中へ足を踏み出す。


 雨は強いままだし、水溜まりがたくさんできていて濡れてしまいそうだけど、何だか悪くない気分だ。


 道に色づく赤や青。

 前方を歩く人の姿が視界に入り、雨の中に色とりどりの傘が映えていたのがどこか印象的だった。

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