第9話 ドキドキにも種類がある

 いよいよ本格的に夏になってきたこの頃、悲しいことに席替えの季節です。

 いや、席替えに季節なんてないんだけど、冗談でも考えてないとどうにかなってしまいそう。

 この席はあの3人と離れてるから良かったのに。せめて夏休み明けにしてほしかった……


 泣く泣く席替えのためのくじを引き、新しい席に移動する。前や横の人を確認してから後ろを向くと、まさかの遠間氏がいた。


 は!? おまっ! なんでここにいる!?


 指差したいのをなんとか堪えるが、わなわなと震える体は抑えられない。そんな私の様子を目に入れることもなく、遠間氏はそっぽを向いていた。

 同じクラスなのだから隣になることも後ろになることもあるだろう。だとしてもよりによって遠間氏かよ!

 近寄りたくない人No.3が後ろ!! もちろんNo.1は天草氏でNo.2は濱砂さんですが何か!!


 ……最近私、不運続きだと思うのです。なぜか顔がある人現れるし、なせが興味持たれるし、席も近いし!!


 いいことが1つもないって訳じゃない。でも同じクラスなのもあって、毎日視界に入るのだ。その分こたえてしまうのも仕方ないと思う。でもそれに賛同してくれる相手がひとりもいないのが悲しい。

 そんな悲しい結果となったこの席替えでただ1つ良かった点があるとしたら、矢吹くんの斜め前でもあったこと。数学を教えてもらったこともあって勝手に親近感を抱いている。

 まあ遠間氏がいるから、矢吹くんがいてもそういいように運ぶことはないのだけれど。


「遠間くん! 席離れちゃったね」

「そうだな」


 案の定、休み時間になってしばらくしてやって来たのは濱砂さんで、相変わらず遠間氏と仲が良いようだ。

 今も後ろから話し声が聞こえてくる。開いていた本を閉じて川井ちゃんの所へ行こうかとも思ったが、時計を見たら休み時間も残りわずかとなっており、また目線を本に戻した。


 以前出先で遭遇した際には、部活で必要なものを買いに来たと言っていたっけ。それが頼まれたものなのかプライベートなものなのかは知らないが、こうして話しかけに来るくらいには親しい関係を築いているのだろう。

 そんなこと私には関係ないと、そうやって気にも留めないでいられたら良かったのに。無関心にはなれないこの複雑な心境と状況に、どう向き合ったらいいのか。


「行村さんと近いんだ! いいなぁ」


 はい? 何も羨ましいことなどございませぬが?

 どこにそんな羨ましいなんて思う箇所がありましたでしょうか。私には検討もつきませぬぞ。


 このまま聞いてないふりも苦しいが、反応したら相手の思うつぼ。本の内容など少しも頭に入ってこない状態のまま本を読んでいるように見せていた。


「ねぇ、行村さん」


 わ、来た……! どうしよう反応した方がいいのかな、それとも本に集中してて聞こえてないふり? ど、どうしよう!


 ただ固まって、答えの出ない問いにもならないものがぐるぐると頭を巡る。握りしめた本に変な汗が付いてしまいそう。


「濱砂、時間」


 そんな中、遠間氏が指差したのは壁に掛けられた時計で、もう次の授業が始まる時間だった。


「あ、ほんとだ! じゃあまた後でね!」


 遠間氏の返事を聞く余裕もなく席へと戻っていく濱砂さんに、安心からか力が抜ける。

 ちらっと後ろを見てみると、窓の方を向いた遠間景昭がいた。


 ありがとう遠間氏! いや、遠間くん!

 1度ならず2度までも危機を救ってくれるなんて……!

 君は私にとって濱砂さん限定のヒーローだ!!


 ──なんて茶番はさておき。絶妙なタイミングで濱砂さんを遠ざけてくれるのは何なのか。

 それが意図的で、濱砂さんを私と関わらせたくないのか、それとも私を助けてくれているのか。それとも全く意識などしてないのか。

 助かっていることは事実で、遠間くんの考えていることはわからない。だからきっと私と関わらせたくないのだと思っておこう。


 その方が都合がいいから!!


 ごくたまに助け舟を出してくれる気ままなサポートキャラのような遠間くんが現れたことで、この席での学校生活に幸先の良さを感じていた。


 ***


「真由、これ持ってきな」


 朝の登校中、後ろから早足でやって来た兄に友達にあげてと野菜が入った紙袋を渡された。


「え、ちょっと待って!」

「中に袋入ってるから、それに入れて渡すんだぞー!」


 じゃあなー!、と前を走っていく兄はどんどん小さくなっていき肩を落とした。


 渡された野菜は祖父母と兄が丹精込めて育てた野菜で、持つ分にはずっしりくるなと思っていたのに、歩き始めるとどんどんを重みが増していくようだった。

 こんなに重いの渡されて持ち帰る人のことを考えていないのか。そして持ってくる側のことも。


 実咲だけじゃなくて新しくできた友達にも渡すようにってことなんだろうが、兄の頭には私がどう写っているのだろう。たくさんの友達に囲まれてる?

 いやいや。新しい友達なんてそんなにできる訳ないんだけど。そりゃ話す人はいるさ。部活にも入っているから知り合いは増えた。でも私にはお顔が見えないという特殊性があってですね!? 誰にも言ったことがないから、もちろん兄も親もそんなこと知らないと思うけども。私は友達がつくりづらいんだよぉ……


 それに今日は部活ないし、わざわざ教室回って渡すのもな……でもこれを実咲と川井ちゃんのふたりに分けて渡すのさすがに多い。

 解決策の出ないまま、電車までの道のりを重い足取りで歩いた。


 毎度満員というよりは比較的余裕のある電車は、野菜が入った紙袋が邪魔になることはなく、それには一安心したが、これで問題が解決した訳でもない。

 紙袋の重さと共に、足は重くなるばかりでため息もつきたくなった。


 ちらほらとすでに登校した生徒のいる教室に入ると、自分の席の斜め後ろの人が机で寝ていた。矢吹くんの席なので、おそらく寝ているのも矢吹くんなのであろう。


 近くにいる人の気配に気づいたのか、矢吹くんの頭が机から上がった。よし、テロップは正真正銘矢吹くんであることを示している。

 少しだけ右に動いた顔から、おそらくこちらを見ていると判断する。


「おはよう」


 ひとまず挨拶をしてみたが、返事が返ってこない。


 え、まさか私の方見てなかった!? それとも挨拶しちゃいけなかった感じ!?

 いや、挨拶にしちゃいけないもないでしょ。うん。

 あ、あれか。まだ頭働いてないんだ。じゃあもう1回言った方がいい? でもそれもどうなの? え?


「……ん、おはよ」


 混乱していた私の耳に、小さな声が届いた。


 寝起きだからか、かすれているようにも聞こえて少しドキッとしたその声は、ちょっと色っぽい気がしないでもない。

 目元を擦る矢吹くんがどんな表情をしていたのか、この時無性に見てみたくなった。


「もう時間?」

「ううん、まだ大丈夫だよ。起こしちゃったならごめんね」


 矢吹くんは首をゆるゆると振ると、大丈夫だと頷く。さっきの色っぽいは訂正。色っぽいのではなく、正しくは小さな子供みたいで可愛いの方でした。

 さっきまでの言葉も動作もつたなく思えきて口を押さえる。


 絶対寝ぼけてる……! ぽやぽやしてる……! かわええ……!


「それ、なに?」

「あ、これ?」


 机の上に置いた紙袋。中身は野菜でしかないのだけれど、寝起きの矢吹くんには興味をそそるものだったらしい。


「野菜だよー」


 ほら、と中身を見せれば体がぴくりと動いた。


「きゅうり……」

「ん? いる? きゅうり」


 こくんと頷いたので、きゅうりを1本差し出さす。


「いいの?」

「うん、どうぞ」

「ありがと」


 そう言うと席を立ってのそのそとどこかへ行ってしまった。だ、大丈夫かな。どこかにぶつかったりしないかな。

 そんな心配をよそに、しばらくして戻ってきた彼の手には水滴のついたきゅうり。土とかついてたっけ。汚かったかな。


 椅子に座るときゅうりを顔に近づけて、──そのままきゅうりにかじりついた、らしい。きゅうりが消えたので。わお、ブラックホール……

 きゅうり独特のいい音がするけど、そういうことじゃない。


「ちょっと待って!」

「……おいしい。お礼、言っておいて」

「それは言っておくけど、そのまま食べるの!?」


 と、咄嗟に大声を出してしまった私は、まだ少ないとは言え、教室にいる人の視線が突き刺さ──らない!!

 お顔が見えないと言うことは目の動きも見えない訳で、視線が痛いなんてわからないのだ!!

 それでも私が恥ずかしいのは変わりないので止めて頂きたい所存でありますが!! それにちょっと視線を感じる気が、する!!


「そのままでも十分おいしいから」


 そう言ってもぐもぐ動く口元(?)に何も言えなくなる。


 嬉しいこと言ってくれてるぅ! お兄ちゃんもおじいちゃんおばあちゃんも喜ぶやつ!!

 平然と言われて、それもまだ若干寝ぼけてる状態っぽいから本心に聞こえてしまうじゃないか!


「あ、ありがとね……」


 私なんも言えないや……

 それを受け止めて返せる言葉持ち合わせてない……


 ついでにきゅうり以外の野菜も渡しておいた。

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