第58話 景義、国司となること

 在京の間、頼朝は愛する老臣に、とっておきの贈り物を用意してくれていた。


 出羽でわ権守ごんのかみ――正式な国司の役職である。

 景義は驚いて、言葉をつまらせた。


「……それはもったいなき仰せ……、しかし、わしは出家の身でもあり、老齢でもございますれば……」


「任地には代官をやればよい。形だけのものだ。都ではなにをするにも、正式な役職名が必要だ。受け取っておけ。私からの好意だと思ってな。権五郎勇躍の地、出羽国の国司の座は、鎌倉一族のそなたには、ふさわしい」

「ハ……」


「……それにな、今更ではあるが、実正の出羽での活躍に、報いてやりたい気持ちもある」

 頼朝の心づかいを聞いて、景義は、謹んで拝受した。



「――守殿こうのとの

 ふたりきりになった時、なにごとも抜かりない助秋が、早速にその言葉を口にした。

 景義は、驚いてふり返った。

「……『こうの殿』……わしを、こうの殿と呼ぶか」


 『出羽権』ゆえに、『守殿』なのである。

 かつて景義の主、源義朝の呼称として口馴染んでいたその言葉――助秋は、やけに改まった態度で頭をさげた。

「長年……実に長年、この日が来るのを待ちわびておりました」


 景義は微笑したが、その頬笑ほほえみには、この乳兄弟ちきょうだいに対する愛情が存分にふくまれていた。


「そう呼ばれるのは気恥ずかしい気もするが……なに、わしは思うのじゃ。長き年月に渡って尽力してくれた、そなたの努力こそ、筆舌に尽くしがたいものであったろう。そなたの支えなしには、わしは半歩たりとも、歩けなかったろう。それを思えば、誰よりも一番にこのわしを『守殿』と呼ぶ栄誉は、そなたにこそ、ふさわしい」


「ありがたきお言葉……そのお言葉だけで、私の人生は報われます。いや、私だけではありません。父もまた……」


 懐かしい助夏の、低くつぶれた声が、胸にせつなく蘇ってくる。

(『平太さまに代わって殴られるのが、わしらの仕事であり、喜びなのです……』)

 景義も助秋も、熱くほとばしる目頭を抑えかねた。


「助夏、助秋、郎党雑色たち、女たち、わしを輿こしに乗せて運んでくれた者たち……みなの力がなければ、わしは身を移すことさえ、ままならなかった。お前たちがいてくれて、わしは本当に、幸運じゃった。支えてくれる人々のありがたさを、身をもって知った。――まさにその意味でこそ、わしは『日本一の冥加者みょうがもの』じゃったよ――」


 景義は助秋に、晴れ晴れとした笑顔でうなずきかけた。





 ――四ヶ月の滞在を終え、将軍と御家人たちが鎌倉に帰還したのは、七月ふみづきのことであった。


 出羽権守でわごんのかみが意気揚々、故郷に帰ってくると、領内の人々が次から次へ、お祝いを述べに訪れた。

「殿、みやこはいかがでございました?」

 景義は人々を庭に招いて、京の細工物を配りつつ、物語ものがたりした。


「……それはそれは素晴らしかったぞ。寺社のお堂や貴族方のお屋敷はどれも壮大、絢爛豪華。こちらの田舎では見られぬほど立派でのう。いやいや、相模国府など問題にならぬよ。

 大路小路に行き交う人々はといえば、見たこともないほど、雲霞くもかすみのごとき群衆じゃ。だだっぴろい砂浜の、砂の一粒一粒が人だと思ってもみよ。それらの大群衆が集まって、行事や見世物などの楽しみに、年がら年じゅう明け暮れておる。

 女子おなごはもちろん、肌の白い、アカ抜けしたべっぴんばかりじゃ。羨ましいか? ふぉふぉ。無論、それだけ大勢の人が狭い所に集まっておるわけじゃから、そこらじゅう糞尿の匂いで、くそ臭うてたまらんがの……カッカッカッ」


 景義は心のおもむくまま、おもしろおかしく話して聞かせるのだった。





※ こうの殿 …… 源義朝は、左馬頭さめのかみという官職にあったため、「頭殿こうのとの」と呼ばれた。

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