第50話 景義、鎌倉を追放されること

 ここに、鎌倉高正という、鎌倉一族の長老がいた。

 香川五郎の祖父である。


 高正は、総領の景義に数知れぬ恩がある。

 総領と孫の窮地を救うため、一念発起し、北条時政のもとに赴いた。


「わが孫の香川五郎、及び大庭平太殿は、この度の事件に関与しておりません。自分たち鎌倉一族は、北条に対して害意は、まったくござらぬのです」


 高正は若い頃から吏僚として、相模国府に勤めてきた人である。

 弁を尽くして、愁訴した。


「なんとか貴殿のお力で、幕府に無罪を取り持ってはくださいませぬか? どうか甥子殿の怒りを鎮めてくださいませぬか?」


 時政は黙りこくったまま、ふぅむ、と首をかしげるばかりであった。


「――遠江とおとうみ国、河村荘」

 高正がそう言った時、時政はようやく話し手のほうを向いて、興味深げに目を光らせた。


 遠江国河村荘――相模国河村荘とともに、もともとは河村家の所領で、相模河村同様、治承合戦の後に褒美として景義に与えられていた。

 高正は、景義から遠江河村荘の管理を任され、その収益で暮らしている。


「差しあげましょう、貴殿に」

 背に腹は変えられぬ……高正の焦りと覚悟の色が滲み出ていた。

 北条は今、遠江国への進出を目論んでいる。

 これは価値ある取引となるはずである。


 ……案の定、時政の食指が、動いた。

「わしの力にも、限界がある。無罪、というわけにはいかぬ。……だが、刑を軽くはできるかもしれぬ。それでよろしいか?」


「よろしくお願い致します」

 高正は、懇切丁寧に頭をさげた。





 ――数日後、景義に対する罪刑が定まった。


 罪刑は、『鎌倉追放』。


 下馬四角の由比屋敷は、幕府に収公された。

 鶴岡八幡宮寺社奉行の地位も、剥奪された。

 頼朝も、景義をなんとか守ろうとしたが、死罪から救ってやるのが精一杯であった。


 鎌倉一族の総領が、鎌倉を追放されるのである――

 こんな滑稽な事件はない。

 その後ろ姿を一目見てやろうと、下馬四角にはたいへんな人だかりができた。


 さんざんに打ちひしがれた惨めな気持ちで、人一倍愛着のある鎌倉から、景義は引き退いた。

 総領の座を梶原景時に譲り、大庭御厨を景兼に譲った。

 自分は昔のように、ふところ島に引きこもった。


 勝利の後の落とし穴――人生の熟練者たる景義でさえも、その恐るべき陥穽かんせいから逃れることはできなかった。

 かつて実正に言い含めたそのことが、みずからの身に起こってみれば、自分はおごりすぎていたのかと反省するより他ない。


 ――また、別の方向から思いを巡らせてみれば、宇佐美実正という男が、どれほど自分にとって大切な存在であったか、気づかずにはいられなかった。

 実正という片腕がもがれた途端、狼たちは牙を剥いて襲いかかってきたのである。


 自分の脇を固めていたのはまさに、若く強盛な実正だった……哀切をもって、景義はそう思うのだった。





 ――数ヵ月後、頼朝が朝廷から「征夷大将軍」という武権の最高職を拝命した。


 悪四郎と景義は、ふところ島の屋敷で、ひそかに祝盃をあげた。

「いやさ、めでたいのう、悪四郎どん。もはやわしは、なにも望むことはない」

「ふところ島よ、われらが世は、すでに終わったのう」

 悪四郎はきっぱりと、すこし寂しそうに、呟いた。


 景義と悪四郎とは、老衰を理由に、手を携えて出家した。


 鎌倉の人々は次第に、大庭平太の名を忘れていった……

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