第49話 景義、弾劾されること
二
風が強い時、草原の草々はみな同じ方向へ、一様になびく。
だが吹く風が弱まれば、草の穂はあちらこちら、てんでばらばらな方向にしなうものである。
奥州合戦の勝利は、御家人たちに多くの恩恵をもたらした。
しかし同時にそれは、日本全国が平定し、武力で戦うべき敵がいなくなったことをも意味していた。
もてあました力はやむをえず、内側へと向かう。
鎌倉は御家人どうしの、激しい闘争の
大庭景義ほどの者でもまた、例外ではない。
かれが得意げに保元の物語を披露し、喝采を浴びていたその裏側で、羨望とやっかみに反感を強めるものたちも確かに少なからず、いたのである。
――そのことに、景義は気づかなかった。
◆
事件の発端は、鎌倉一族、香川五郎景高という男である。
治承の頃、大庭景親に従い、平家方として石橋山合戦に参加した。
鎌倉府の発足後、どうにか罪を許され、景義のもとで静かに暮らしていた。
やがて源平の戦に参戦し、頼朝の弟、源義経に親しく交わり、その幕下で働いた。
――源義経は、希代の名将であった。
その人物に心服した景高は、義経から直接に「経」の一字を戴き、「経高」と改名した。
のみならず、ふたりの息子の元服に際して、「経景」「義景」と、どちらにも義経の字を与えた。
それほどに、義経に心酔していた。
義経が頼朝に反逆し、滅びゆくのを見て、おおいに悲しんだ。
……とはいえ幸か不幸か、与同する機会もなく、あいかわらず景義の由比屋敷の周辺に暮らし、不遇を
景親の与党、かつ、義経の与党――香川五郎が権五郎に近い血筋であるにも関わらず、出世を阻まれていたのは、逃れようもない、この経歴のためであった。
一族の末座にも位置する宇佐美実正が、頼朝の近習となり、一軍の将にまで昇りつめた大出世に比べれば、はるかに不遇というべきだろう。
いつの頃からか、この香川五郎のもとに、義経の残党が集まってきた。
景義が有常や千鶴丸、河村義秀の復帰に奔走している間、気づかぬうちに、かれの屋敷地に隣接した香川家が、義経残党の巣窟となっていたのである。
残党の頭株が、
この男は義経の義弟、源
主人の仇である北条
北条平六時定――北条時政の甥で、山木挙兵からの重鎮である。
この年、四十七歳。
非常に優秀な武官で、都にも慣れていたから、時政からも幕府からも重用され、御家人たちからも一目置かれる存在であった。
数年前に、源有綱を幕命によって滅ぼしている。
ふとしたことから、梶原景時配下の幕府密偵が、平康頼と一味を発見し、
康頼はついに北条時定の襲撃計画を白状し、
この危険な男が、景義の由比屋敷近くで見つかったことが、御家人たちのあいだにたいへんな憶測を生み、
ここぞとばかりに敵対者たちは、牙をむいた。
「大庭平太に幕府への反逆の意志あり」
「北条への宿意あり」
「大庭平太を誅せよ」
自分が狙われていたと知った北条時定は、激怒し、景義を誅殺することを幕府に厳しく要求した。
多くの御家人が、この弾劾に加わった。
景義を滅ぼせば、その権益を自分が奪うことができる……そう考える者が多かった。
それほどに鎌倉一族の総領たる景義は、この鎌倉に様々な利権を有していたのである。
侍所では連日、厳しい詮議が行なわれた。
「香川五郎の関与は明白である。だからして大庭平太も、必ずこの企てに関与していたはずである」
これを聞いた景義は、逆上した。
「わしも香川五郎も、関与は一切しておらぬ」
「反逆の者どもが貴殿の屋敷地近くに見つかったのは、どういうわけか?」
「由比には、さまざまな浮浪の輩が満ちあふれておる。そのすべてを把握するのは、不可能じゃ」
「なぜ香川を擁護する?」
「五郎はわしの息子にも等しい。だからこそ、隣屋敷に置いていたのだ」
「ならば大庭平太、御辺も連座して責任をとらねばなるまい」
「大庭平太に死罪をッ――」
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