第45話 みお、心が定まること

 しばし呆然と、みおは庭のほうを見つめていた。


 白く透きとおる梅の花々が、風のなかにふるえている。

 すると、夢か幻か、その根元に腰かけて、ふっと微笑んでいる老僧の姿が見えたようであった。


 まばたきして、もう一度見つめなおした時……みおの心は、ふいに定まった。


「わたしは」

 と、彼女は、はっきりした口ぶりで答えた。

「わたしはずっと、の君を陰ながらお支えしてきました。夫の君、わたしはあなた様が『出家する』と言い出した時、お止めいたしましたでしょうか?」


「いや……」


「それでは生き死にを賭けた流鏑馬やぶさめに臨まれることになった時、わたしはお止めしましたでしょうか?」


「いや、しなかった」


「それではあなた様が『奥州へ合戦に出かける』と言い出しなさった時、わたしはお止めいたしましたか?」


「いいや」


 みおは有常に次々と問いかけながら、その目はまったく夫のほうを見てはいなかった。

 っと、かがり姫の上にそそがれていた。

 有常に、語りかけているのではない。

 かがり姫に、語りかけているのである。


「いつも、わたしは心砕けるような辛い思いをぐっとこらえて、あなた様の言うとおり、従って参りました。そしてまた、義母はは上のおっしゃるとおり、あなた様は、わたしにたくさんたくさん、幸せをくださりました。このたびも、わたしはあなた様のお言葉に、黙って従うことでしょう」


「みお……」

 有常は、ため息をこぼした。


 みおはまた、庭のほうを見た。

 まだ、そこに大好きな西行法師がいて、見守っていてくれていた……元気づけてくれていた……

 花あかりの、笠の影にある口もとが、声もなしに、なにやら大きく動いた。


 みおはその唇の動きを、じっと見つめた。

 ゆ、き、み、づ、と動いたようだった。


(ゆ、き、み、づ………雪水………)


 まさにその時……移りゆく季節の、なにげない光の変化にうずきを覚えた小鳥が、今しも春の訪れを告げるように……次の瞬間、みおの口から思いもよらぬ和歌うたが転がり出た。


「雪水に、足つめたくも、みをつくし……水の深みを、知る身なればと」


「――ッ」

 そこにいた全員が、驚きに目を見張った。

 波多野の女たちも、控えていた雑仕女たちも、誰しもが、驚きの声をあげた。


「みお……お、お前、歌を……」

 波多野尼はすっかり仰天して、言葉を呑み込んでしまった。

 そんなことができる娘だとは、まったくもって、考えてもいなかった。

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