第44話 波多野尼、意中を告げること

 それでもめげないのが、浄蓮の偉いところである。


 世慣れたふうに、ひとつ咳払いをすると、有常をとりなした。

「まあまあ、御母堂ごぼどう。次郎殿もあまりに突然のことで、面食らっております。事は松田家にとっては、一大事。そうそう軽々しく、心を決することはできますまい。事を急いては仕損じます。今日のところは、まずまずお顔あわせということで、次郎殿にご勘案のいとまをたまわるのがよき事かと……」


「浄蓮坊殿」

 波多野尼は、ぴしゃりと言葉を制した。

「は、はい……」

「あなた様にご同席いただきましたのは、まさにこのことにてございます。つまり、浄蓮坊殿には、有常とかがり姫との月下氷人となっていただきたいのです」

月下氷人なこうど……」

「どうぞひらに、お頼み申しあげます」

 波多野尼は体全体を向け、丁寧に頭をさげた。


「……いや、しかし、それは突然のこと……」

「まさか、嫌とは仰られぬでしょう? それともこのような田舎武者の家の仲人なこうどをお勤めになられるのは、いささか恥になるとでも?」

「いや、そのようなことは……波多野はいうまでもなく立派な家柄です。その媒酌人を勤めさせていただくのは、私にとっても身に余る光栄。さりながら……」


「松田と西明寺は、切っても切られぬ縁。後々のことを考えても、ここは浄蓮坊殿にこそ、仲人となっていただきたいのです」

「いや、それはそれ。今までのお話をうかがいますれば、まだ事の行方も定まらぬお話にて……いい加減なお約束はできかねます」


「次郎殿」

 さっと、波多野尼は息子のほうに向き直った。


「あなたはひとりの武者として、御家人として、立派に名をあげられました。それは疑いのない立派な事実です。それはそれとして、あなたは囚人だった頃のように、自分ひとりのことを考えているわけにはいきません。

 家人けにんはもちろん、領民のことまで含めた、松田という大きな家をどのように存続させていくかを、いつも念頭に置いて行動せねばなりません。わかりますね? 

 私はこの先、どれほど長く生きられるかわかりません。私がこの家を、ずっと支えてゆくわけにはいかない。だからこそ、しっかりとした実家をもち、武家のしきたりの心得ある姫に、後継をお願いしたいのです。

 この婚儀が適わねば、あの世へ行って、あなたのお父上にお会いした時に、そして波多野家のご先祖様方にお会いした時に、私はどのように申し開きしてよいのかわかりませぬ」


 見れば、波多野尼は、目に涙までためている。


「……どうかどうか、この母のためにも、そしてあの世にいらっしゃる父上のためにも、なにより自分のためにも、はいといっておくれ、……後生だから、はいと言っておくれ……」


 異様なまでの使命感に燃えながら、波多野尼は有常を饒舌にかきくどいた。


 ――この母尼は、普段は目下の者に対しても、童たちにも、寛容な人であった。

 しかし、こと、息子のことになると、人が変わったように狭隘きょうあいな心に変じてしまう一面をもっていた。


「有常は、みおの気持ちを心配しているのであろう。みお、お前はどう思うてか? この家に来て今までお前は、さんざんにいい思いをさせてもろうたはず。お家の行く末を思うならば、この話をよく理解して、どうか有常に、『いらぬ心配は無用。婚儀をおあげください』と、快く勧めてやってはくれぬか?」


「わたしは……」

 追いつめられたみおは、なんと言っていいのか、言葉につまってしまった。

「嫌です」

 と、そう言い放ちたかった。

 ……だが、その言葉を口にする自分が、とんでもない恩知らず、恥知らずのように思えて、言えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る