第35話 冬の夢、三

「あなたが心を悩ませてきた十年来の問題が、すべてかたづきましたね。平太殿、あなたはよく頑張られました」


「いやはや、毘沙璃殿の協力なしには、とても成しえなかったよ。わしはまだまだ、これからもっと頑張るつもりじゃ」

「いいえ」

 と、強い調子で毘沙璃が首をふるので、景義は怪訝そうな目を向けた。

「光が強くなれば、影もまた色を濃くします。あなたはこれから大変な時期に入ります。頑張りすぎて、現世に執着してはなりません。ただ、喜びも、苦しみも、素直に受け入れるのです」


「六十を越えて、まだ大変なことが?」

 苦笑せざるをえなかった。

「恐れることはありません。いつも堂々として、誇り高いあなたでいてください。私はそれを、あなたに伝えたかった」

「まるで、お別れのように言う」


 毘沙璃は意味ありげに遠い目をして、こくりとうなずいた。

「私は、旅に出ます。歩き巫女となり、迷いや悲しみのなかにいる衆生のために、私の力を役立てたいと思っています」

「なんと……」

「驚き呆れましたか?」

「……いえ、さにあらず。あなたのおこころざしの高さに感服して、言葉も出ないのじゃよ。……それで、いつ、ちなさる?」

「草々の芽吹く頃に……」

「お帰りは?」

「わかりません。冥慮めいりょのままに」

「また会えるじゃろうな」

「必ず」

「今生で?」

 その問いかけに、毘沙璃は、なにも答えなかった。


 景義は胸がつまり、目元を隠した。

「はなむけに、涙は似あわぬのう」

 童のようにぐずぐずと鼻を鳴らした景義の肩を、毘沙璃は元気づけるように大きくゆさぶった。


「あなたは、いつの時も必ず、弱い方の心を思い、弱い方の立場に立って、弱い方の味方をしてきました。そこがすごいと思います」

「カッカッカ、なにをおっしゃる。心おもむくままに動いておったら、たまたまそうなっただけじゃよ」

「ご謙遜を。やさしいのです。あなたは」

「そうかのう……」


「それも、ただのやさしさではない。強さに裏打ちされた、やさしさ。……やさしさというのは、強さがなければ、長つづきしないものよ」

 景義は、すこし考えて、言った。

「やさしさは、母上が教えてくれたんじゃ」

 そう言って景義は、母が教えてくれた『まい顔』を浮かべた。

 毘沙璃も、つりこまれて、笑まい顔になった。


「強さは、お父上から?」

 毘沙璃の言葉に、景義は、目を丸くした。

「そんなことは、考えてもみなかったが……そうかもしれぬな」

 昔は父のことを思い出すたびに、苛々した気分に陥っていたのだが、今は心に波立つものはなかった。

 景義は平静な気持ちで、昔のことを思い返すことができた。


「……わしのことよりも、わしは、あなたがすごいと思う。ついに生涯不犯を貫き通した、その強い意志の力。巫女だからといって、誰にも出来ることではない。そうして、たくさんの人の運命を占い、たくさんの人を助けてきた」

「わたしには、いつも、深い信仰の力がありました。すべて、神仏のお助けがあってのこと」


「そばに、こんなにいい男がいるのにのぅ……」

 景義の冗談口に、毘沙璃は噴き出してしまった。

「たとえ結ばれなくとも、わたしたちは、素晴らしい朋友でしたよ。そうは、思わないこと?」

「そうじゃな。そう思うよ」

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