第34話 冬の夢、二

 冬ざれの野辺のむこうには、月の光を一身に集めて、富士の霊峰が、華麗なすそを広げていた。


 一方の裾はふっくらと、他方の裾はすんなりと、雪を右から左へかけ流したかのように、純白の光をまとい、天空にたたずんでいる。

 ……荘厳そのものの光景に、景義は思わずも息を呑み、両手をあわせて拝みこんだ。


 ふいにちいさな影が足下を、つむじ風のごとく駆け抜けた。

 驚いた赤鹿毛あかかげが、後ろ脚で立ちあがり、あやうく景義は尻からころげそうになった。


 ――見れば、それは一匹の銀狐であった。

 狐はすこし離れた場所から、もの珍しそうに景義のほうを見つめていたが、クェンッと、ひと声あげるや、あっというまに駆け去った。


 景義は馬を駆り、美しい銀色の毛並みを追いかけた。

(狐ッ子、待てよ、ほぅい……)

 そうしてどれぐらい走ったろう。

 馬を止めた景義のまなこが、大きくうるおいめいた。


 白銀の、夢幻の世界――凍てついた大地に、巫女がただひとり、まいを舞っていた。


 幅広の袖が、月の光を蓄えて、ひるがえり、ひるがえり、輝きを解き放つ。

 つや々とした銀髪が、光の粒を散らしながら、しなやかに流れる。

 幾重にもつらなった鈴の、澄み切った音色ねいろが、さんざめいて星を降らす。

 月光に化粧よそおわれたその顔は、魔性のように美しい――

 刻が、刻である。

(狐に……馬鹿されておる)


 呆然とした様子の景義に、しばらくすると、老巫女のほうでも気がついた。

「平太殿……」

 舞をおさめた毘沙璃が、大きな白い息を吐いて歩み寄ってきた。


 しかし景義は、いまだ半信半疑、剛直に顔をしかめたままであった。

「毘沙璃殿……か? ……狐が化けているのではないじゃろうな?」

「あなたこそ? 狐ではなくて?」

「わしが狐? ……いやはや、そう言われても仕方がないが、さてはて、どう説明したものか……」

 たがいに目を見合わせると、すぐに温かい心が通い合って、ふたりは子供じみた笑いを噴き出した。


「寒いでのう……ささ、こちらへ」

 ――むしろを敷いた上に、赤鹿毛を座らせ、ふたりして馬の横腹に身を寄せあった。

「あたたかい……」

 毘沙璃はふり返って赤鹿毛に頬をよせ、ぬくもりに包まれるように体を沈めた。

 馬のほうでも、毘沙璃の髪に鼻づらをすり寄せ、甘えるような仕草を返した。


「あなたに会えると思っていました」

 と、背を向けたまま、毘沙璃は言った。

「予兆でも?」

「ええ、そうなの。聞きたい?」

「ぜひにも」

 毘沙璃はゆっくりと体を起こした。


「昨晩、わたしの夢に、一羽の白鳥くぐいが現われました。白鳥がひとり寂しそうにしていると、老いて真っ白に色の抜けた葦毛あしげ馬が現われて、白鳥を背中に乗せて運んでくれました。白馬と白鳥は気のむくまま、どこまでも歩いてゆきます。

 そのうちに白鳥の寂しさも癒え、馬は脚をたたんでうずくまりました。気がつくと、馬の姿は白く雄大な富士のお山になりました。白鳥は満月になって、大空を駆け去ってゆきました」


「……ふむふむ、おもしろい」

 情景を心に思い描きながら、景義は何度もうなずいた。

「わしも……ふしぎな夢を見たよ」

「どんな?」

 景義は、陽春丸の夢のことを話した。


「元服祝いに花を、と……そこで、目が覚めての。どうしようもなく心がざわめき、こうして出て参ったのじゃよ。このように寒い季節に咲く花とは、椿か、梅か、山茶花さざんかか……そんなことをあれこれ考えながら、馬を走らせてまいったのじゃ」


「そうでしたか。陽春丸殿が連れてきてくださったのね」

 毘沙璃はいつもながらの、焦点の合わぬ奇妙な目で、景義の背後をっと見つめながら言うのだった。

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