第33話 冬の夢




  二



 ――三月みつき後、


 景義は、夢を見た。


 かれの前に、きらびやかな揚げ装束の、初々しい若武者が立っていた。

 美しい、凛々しい、背の高い若武者であった。


 その装束には、輝くような白糸で、不思議な梵字がつづられている。

 それは緑御前が、曼荼羅に縫いこんだ梵字と同じものであった。

 ……しかし、景義には気がつくよしもない。



「和殿は、どなたかな」

 景義が尋ねると、盛装の若武者はアハハと笑い、愛想よく、大人びた口ぶりで答えた。

「伯父上、陽春丸ですよ」

「なに、陽春丸?」


 よくよく見れば、確かに父、景親の若い頃にそっくりである。

「いつ元服を」

「三月ほど前です」

「なんじゃと? ちっとも知らんかったぞ。なぜ景親は元服式にわしを呼んでくれなかったのか? わしをふところ島の隠居と見て、馬鹿にしておるに違いない」


 景義の本気の怒りっぷりに、陽春丸は生き生きとした目を輝かせ、くすりと笑った。

「そうじゃ、元服祝いを用意せねばなるまい……のう、陽春丸よ。なにがいいかのう……」

 考え込む景義に、陽春丸は答えた。


「伯父上。ふところ島の野辺に、今宵かぎりの、美しい花が咲くのです。三千年に一度咲くという、珍しい花です。その花を、私はいただきとうござります」


「花をご所望か。さすがは景親の子。風流で都びておるわい……よかろう」

「頼みましたよ」

「任せておけ」


 ――夢は、そこで終わった。





(おかしな夢を見たわい)

 景義は、半身を起こした。


 陽春丸が夢に出てくるなど、この十年のあいだ、憶えもない。

 もしかするとこの十年、あの世で陽春丸も忙しく立ち働いてくれていたのだろうか……と、そんなことを考えた。


 まだ夜は明けていない。

 寝所は真っ暗である。

(三千年に一度、咲く花……)


 所用で、ふところ島館に来ている。


 景義は寝床を抜け出すと、身支度を整え、上からぶ厚い綿入れをはおった。

 こんな寒い明け方には、いつもひどく痛むはずの左脚が、今朝にかぎって、なぜだかすこしも痛みを感じなかった。

 不思議に思いつつ、杖をとり、脚を引きずりながら厩へ行くと、熟練の厩番の老人が、寝ずに起きていた。

 主人の杖の音を聞くなり、手ばやく黙々と、馬を準備してくれた。


 赤鹿毛にまたがって外に出た景義は、ふと気づいたように、ッと庭の闇に目をこらし、それから、微笑した。


「『ひとりきりで、どこへ行きなさるのか』じゃと? ふふふ、なんとなく、さ。心がざわめいてな。お前も来るか?」


 かぎりない親愛の情をもって、長年慣れ親しんだ郎党の、幻の姿を、景義の目ははっきりと見つめていた。

「そうか。では、ついてこい」

 見えざる供を連れ、ただひとり、凍りつくような寒さのなかへと駆け出した。

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