第30話 ふところ島、月見の宴、三

 庭では大きな火を焚いて、景義が大刀だいとう片手に、料理に精を出している。


 魚の類はあらかた焼き終わり、今度は鹿や猪の肉をあぶっている。

 獣脂が勢いよくはぜ、豪勢な煙が、朦々もうもうと天を焦がす。

 あたり一帯に香ばしい匂いがたちこめて、人々の舌も心も、とろけるようであった。


 景義が肉を豪快に切り分ける。

 ところがその顔を見ると、誰もが心配した。

「どうなされた? 顔がひっかき傷だらけじゃ……」

 緑御前の爪の傷跡が、まだ残っているのである。


「いやはや、ねこまにひっかかれましてのう」

 誰も信じる者はいなかった。

「なにか悪さでもして、奥方にやられたんじゃろ」

 人々が冗談に笑いさざめくのを聞いて、本人も一緒になって笑うのだった。


 夕空に立ちこめる食べ物の匂いや、騒ぎ声に惹かれて、里のものたちも館に集まってきた。

 縄五や、ハダレ、オドロ……人足たちも、すでに堀端のあちこちで、酔い痴れている。

 田夫や漁人たちが、親切にも、わざわざ差し入れをもってきてくれた。

 老若男女、子供たち、遊びの者たち、旅人、浮浪人にいたるまで、景義は誰彼かまわず、ご馳走をふるまった。


 景兼かげかぬは、若者たちが興ずる相撲には加わらず、父の料理を手伝った。

 手伝いながら、こんなことを言った。

「有常兄も、秀清も、河村殿も、本当に素晴らしい人たちだと思います。さんざん苦労して苦労して、最後には自分の栄光を掴みとったのですから……。私は父上の日陰で甘やかされて、気ままに、のん気に生きております。まったく、恥ずかしいばかりです」


 景義は顔をあげ、父親らしい、あたたかなまなざしで、息子をつくづくとうち眺めた。

 それからまたまきの火をいじりながら、静かに息子の言葉に答えた。


「よいか、景兼。世のなかでは、『人は苦しみによって成長する』と言う。有常も、秀清も、義秀も、確かに苦しみによって成長したように見える。

 ……わしは自分の左脚を失って以来な。長いあいだ、その言葉について考えつづけてきた。そして近頃、ひとつの結論を得た」

「いかな結論でしょう?」


「うむ。これはとても大事なことじゃ。よく覚えておきなされ。

 人は苦しみによって成長するのではない。苦しみのなかで、たくさんの人々がまごころを注ぎ、支えてくれるからこそ、成長できるのだ。苦しみによって、ではない。ただ、人々のまごころによって成長するのだ。

 樹々や花々を見るがよい。日当たりのよい場所に生える木は育ちがよいし、美しく大きな花をつける。また、そこに成る実も、大きくて美味うまいものができる」


 ――大庭おおばの大地に育つ、草樹や田畑の様子を思い浮かべながら、景兼はうなずいた。


「……人はな、苦しみだけを受けつづければ、かえって心が曲がってしまう。だが苦しい時に支えてくれる人々のまごころは、お天道てんとさまの明るい日差しのようなものじゃ。その光こそが、人を大きく成長させてくれるのじゃ。

 そなたとて、今まで、家族や郎党雑色、見えないところでたくさんの人々に支えられ、たくさんのまごころを頂いて育ってきた。

 みんな余裕があるから、助けてくれるのではないよ。みんなひとりひとりが、自分自身の苦しみを抱えている。だけれども、自分のことはさておいて、親切の気持ちで、まごころをもって助けてくれたのじゃ。

 そうして支えてくれる人々への感謝の気持ちを、いつも忘れてはならぬよ。

 ――苦境を尊ぶよりも、人々の慈悲の心をこそ尊びなされ。よいな?」


 そう言って景義は、息子の肩を、ぐいと引き寄せ、耳元にささやいた。

「お前のその素直で正直な性格は、宝物じゃ。わしは誰よりも一番、お前を愛しておる。そのことを忘れてはならぬぞ」


 カカカッと景義はおおいに笑って、はにかむ愛息の肩を、大きくゆさぶった。

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