第四章 月の冠 (つきのかんむり)

第28話 ふところ島、月見の宴、始

第四部 絆 編


第三章 月 の 冠




   一



 大地にしかかるような夕陽が、ふところ島の田畠を、朱金色に染めあげていた。


 萱葺かやぶき屋根は黄金こがねの延べ板に変わり、松の枝が針の玉のようにきらめいている。

 庭に開け放たれた大広間では、男も女も老いも若きも、夕べのうたげに浮かれ騒いでいる。


 縁側に敷かれたむしろの上には、豊かな秋のめぐみが満ち満ちている。

 大豆、芋、栗、柿などの収穫物……

 すすき、萩、桔梗、女郎花おみなえしの花々……

 懸盤かけばんには、団子が十三、綺麗にそろえて積まれていた。


「わしは絶対に、月は見ぬぞぉ」

 すでに酔っ払った奇声を張りあげているのは、悪四郎老人である。

「悪四郎どん、今夜はみな、月見のために集まったのでござりまするぞ」

「いや、見ぬぞ」

「なぜでござる」

 景義と豊田次郎は、問い詰めた。


 すると、悪四郎の孫の千次郎が、賢げな顔で答えた。

「先月の十五日が、鶴岡の放生会のお祭りでしたから、爺さまは昼間からしたたか酒を召されまして、月を見る前に眠ってしまわれたのです」


「そう、わしは先月せんげつは月を見んかった。だから、今月も絶対に見ぬ」

「やれやれ、そういうことかよ」

「『片見月かたみつきは、縁起が悪い』……か」

 人々は呆れたように、ため息をついた。

 八月はづきの名月と九月ながつきの名月、両方見なければ縁起が悪いという、俗信であった。


 岡崎家では、千太郎も千次郎もすでに元服を迎えた。

 千太郎はすでに、佐奈田の領主である。

 あえて父の名を冠して、『与一太郎』と名乗っている。

「あの石橋山の与一」と言えば、鎌倉では誰ひとり知らぬ者はいない。


 弟の千次郎のほうは、悪四郎のもとで鎌倉に暮らしている。

 兄よりも利発と見込まれてのことである。

 旗揚げの頃には幼童にすぎなかったふたりが、まだまだ年少とはいえ、いまや烏帽子姿の立派な御家人であった。


 女主人の宝草御前みずから、女たちを従え、料理を次々と運んでくる。

 お膳の上には、たい、焼きさば、赤かます、腹太のすずきあわび栄螺さざえ浅蜊あさりの酒蒸し……。

 今の今まで水に跳ねていた、活き魚の刺身。

 秋の収穫物をふんだんに盛りこんだ煮物、汁物、漬物……。

 豊富な海の幸、山の幸が、入れ代わり立ち代り運ばれてくる。


 宝草の娘のように、甲斐甲斐しく手伝っているのは、みおだ。

「おう、みお姫や、こっちへ来て、一杯やれ」

 悪四郎が好色な顔で、裾をひっぱった。

 元気者のみおは、どこへいっても大人気。

 たすきがけした袖をひるがえし、大きな土器かわらけを受け取るや、注ぎこまれた酒を、ぐいぐいと一息に呑みほし、親父たちの席を盛りあげた。


 宴席には、豊田の人々、岡崎の人々、波多野の人々の姿も見える。

 藤九郎と甘縄あまなわ御前、清近と美奈瀬みなせ御前、佐々木五郎と気和飛けわい姫……婿むこ衆も集まっている。


「新五、新六、こっちへ来い」

 隅の方に隠れるように縮こまっていた長尾兄弟を呼び寄せ、悪四郎は自分の左右に座らせた。

「遠慮なんぞするな。和殿たちは、わしの息子に変わりない。さ、飲め飲め」

 と銅鑼声でわめき、快活に笑いながら、土器いっぱいに酒を満たしてやった。


 河村義秀は縁側に出て、その大きな体に似合わず、器用に小刀を繰って、わらわたちに竹蜻蛉たけとんぼを削ってやっている。


 萩の花の咲きこぼれる庭に、男童おのわらわたちは巻貝まきがい独楽こまを回したり、蟋蟀こおろぎを追ったり、女童めのわらわたちは鞠を天に放りあげながら、数え歌に声をあわせている。

 力いっぱい駆けまわっている子らもいれば、ひとりで庭の隅の土をほじくり返している子もいる。


 甘縄姫の子……弥九郎丸は、すでに九歳になった。

 父の藤九郎に負けず劣らず利発で、眉目秀麗、武人としての先行きが楽しみな男子である。


 景義の末娘、由比ゆい姫は十歳。

 父に似て愛嬌があり、まわりを明るくしてくれる性格だ。

 男の子と一緒にはしゃぎまわっている姿は、まだまだ童である。


 有常の子の太郎丸は、はや三歳のいたずら悪戯いたずらざかり。

 大人たちがいない場所にひとりで入りこんで、高価な屏風びょうぶを、へりのほうから、べりべりとはがしはじめた。

 この静かなる、幼児の蛮行に、大人たちは誰も気がつかない。

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