第23話 緑御前、景義を訪れること




   三



 ――ときは、今にめぐる。


 十年後、大庭館。


 その、同じ大広間……



「あなたが訪ねてきてくださるとは、正直、驚いておる」

 高灯台たかとうだいの火がゆらめいて、景義は声をふるわせた。


 目の前に、背をちいさく丸めて縮こまっているのは、女である。

 ひどく着古したひとえに、くたびれきった黒衣。

 頬はそげ、目元はやつれ、以前はつややかだった黒髪も、すべて白髪となって、哀れにせほつれている。

 実際の歳は、まだ四十ほどのはずが、六十にも七十にもけこんで見える。

 女は景親の妻、緑御前であった。


「波多野の尼ぎみ(景義の姪・有常の母)にお頼み申し、ようよう宵闇をさまよって……やって参りました」

 その声は、かすれ果て、しわがれて、いささかの生気も感じられない。


 景義は、自分では飲まぬみやこの茶を用意させ、緑に勧めたが、女はかたくなな思いを秘める者のごとくに、身動きもせぬ。

 やがてかぼそい喉をふるわせながら、ひそやかな声で、訥々とつとつと語りはじめた。


「先日、わが元に、あなた様に殺されたはずの、河村三郎殿が訪ねて参られました。河村殿は亡夫と昵懇じっこんでしたから、お顔はもちろん、人となりまで、よくよく存じあげております。十年の歳月を隔てはいたしましたが、間違いなくあの御方でございました。

 その河村殿からお聞きしたのでございます。あなた様がこの十年のあいだ河村殿を匿い、命をお救いになられ、罪の赦免を叶えられ、そればかりか、元の所領にお戻しになられたとのこと。

 そしてまた、弟の千鶴殿も、波多野の次郎殿も、佐々木の五郎殿も、長尾の新五新六のご兄弟も、あなた様が手を尽くされたおかげで恩赦を賜り、今では立派な御家人におなりあそばしたとのこと。

 私は胸を打たれ、なんとも言い表せぬ心地がいたしました……」


 緑は、永い孤独のために言葉を忘れてしまった者のように、たどたどしく、ひとつひとつ探りながら、ようやくそれだけの言葉を並べると、ひどく疲れたように、ため息をついた。


「そうであったか……」

 景義はしみじみ呟いた。

「それでわざわざ足を運んでくだされたか……。いつか以前、あなたにも話したことがあるが……わしと景親とが最後に語りあった日の話を、憶えておられようか」

 緑は力なく、首を横にふった。

「私はあの折、最愛の息子と背の君とを失い、取り乱しておりましたれば、はっきりとは憶えておりませぬ。もう一度、聞かせてはいただけませぬか」


 景義は、うなずいた。

「十年前、ちょうど同じ、この広間でのことであった……」

 蔀戸しとみどがおろされ、庭の景色は閉ざされている。

 景義はまぶたをつむり、その時の情景をつぶさに語った。

 兄と弟……生き残った方が、相手の命と一族郎党を引き受けるのだという約束も。


「……その約束を果たすため、わしは最後まで執念ぶかく、鎌倉府に景親の助命を乞うた。たとえ人々からみっともなく思われようとも、わしの意地にかけて、果たさねばならなかった。

 もし景親とわしが逆の立場であったなら、景親はどうしたであろうか? おそらくわしの命を救おうと必死に奔走してくれたに違いない。それがわかっているから、わしも全力で弁を尽くし、景親の助命を乞うた。だがのう……」

「………」


「悲しいかな、助命嘆願は聞きいれられなかった。景親が総大将となった石橋山の戦は、われら鎌倉方に、膨大な犠牲をもたらしたからだ。人々の恨みは深かった。

 もはや仕方ない、他人の手にかけるならば、いっそのこと……そう思い切り、わしは弟をこの手にかけた。そのことに、なにも言い訳はない」

「………」

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