第22話 大庭兄弟、道を別つこと

 あいかわらずの遠雷が、光もともなわず、地平の果てにうごめいていた。


 景親は濡れ縁に立ち、ゆったりと、都細工の扇を仰いだ。

 前庭には木槿むくげの花が咲きあふれ、大きな花むぐりがせわしなく蜜をまさぐっている。


 景義は黒磁の茶碗を掌中に取り、椀の景色に見つめ入った。

 先々のことに思慮が及んでゆくにつれ、かれの顔は次第に険しくなった。


「……そうと決まれば、考えておかねばならぬことがある。戦の勝敗は、どちらにどう転ぶかわからぬもの。戦の後、あいかわらず平家の世がつづくのであれば、景親、和殿を頼みとして、わが命、一族郎党、すべて和殿に預ける。

 その代わり、源家の世が来たならば、和殿の命、一族郎党、すべてわしが引き受ける。どうじゃな?」


「一族の総領として、私も同じことを考えておりました。そう致しましょう」

 景親はそう言ったものの、平家の世が終わり、源氏の世が来るなどとは夢想だにできなかった。

 兄とはあの保元の戦のように、同じ味方として、戦場にくつわを並べたかった。

 短いため息をつき、景親は庭に目をそむけた。


 いつしか、雨が降りはじめていた。

 大粒の滴が縁側に吹きこんで、数珠玉を散らすような音が弾けた。

「父上っ」

 と、弓矢の稽古をしていた陽春丸が、幅広の袖を笠がわりにして、雨宿りに駆けこんできた。

「陽春丸、伯父上がいらっしゃっている。すぐに着替えて、ご挨拶を」

「はい」

 景義と目が合うと、童はすこし照れたげに、愛嬌よくにっこりと笑って、土間口のほうに駆けていった。


 陽春丸が置いていったか、縁頬えんがわに一輪、槿むくげの花が置き去りにされていた。

 淡い薄紫の花びらは、湿りを帯びて、ひとつふたつと、水晶のような玉を結んでいる。

 底紅そこべにがあざやかで、たっぷりと血を受け留めたかのようである。

 無意識のうちに、景親は花を拾い、庭に放りなげた。


 それから、ふと思い出したように、やわらかな言葉を口にした。

「……近頃なぜだか、自分たちが幼かった頃のことが頭に浮びます。童の頃、兄上は会うたびに弟妹たちを集めて物語をしてくれましたな。楽しかった。鬼が出てきたり、熊が出てきたり、美しい姫が出てきたり……。私は幼ながらに、平太兄上の話をいつも楽しみにしておりましたよ」


「そんな頃もあったかのう……」

 兄弟の心には、幼き日々の情景が切なくも甦ってきた。

 富士のいただきを望みながら、ともに鍛錬にはげんだ日々……

 坂東の荒野に、馬を駆けめぐらせた日々……

 声を枯らして、名乗りの稽古に励んだ日々……

 そして、戦場に華々しくくつわを並べた、あの保元の日――


「……あの日、為朝ためとも公に射られて倒れたわしを、和殿は助けてくれた。わしは一日たりとも、その恩を忘れたことはない」

「そのような……。私は無我夢中で、当たり前のことをしたまでのこと」

「景親、すまぬ。一族の総領たる和殿に従い切れぬ、わしのわがままを許してくれ」

「なにを」

 景親はふりむいた。

 そこには意外にも、素直で純朴な、弟の顔があった。「兄に従えぬ、愚かな弟をお許しくだされ」

「景親」

 ふたりはそれ以上ものも言われず、漠然とした悲しみと、やるせない決意とが入り混じった目を見交わした。


 ついにほとばしった凄まじい雷光が、うつばりの闇を引き裂き、わずかに遅れ、轟音が大地をふるわせた。

 瞳の奥に燃えていた同じ光が、兄弟の目に爛々らんらんと輝きはじめた。

 けして他人が踏み入ることも消し去ることもできぬ、鍛えあげられたつわものの光――互いの眼中にその光を認めあった時、兄弟はどちらからともなく視線を逸らした。

 道は、別れた。

 もはや後戻りはできない――


 景義は、大庭館を辞し去った。

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