第16話 景義、義秀を斬ること

(この回は、第一部と重複しています。第一部をお読みの方は、読み飛ばしてください)




   三



 十月かんなづき二十八日――


 大庭野の空にはどんよりと、重たい雲が立ちこめている。

 吹きすさぶ冷たい風に打たれて、四方に張りめぐらされた陣幕が、重いはばたきのような音を打ち鳴らしている。


 陣幕のなかには、助秋、縄五ら、郎党雑色が居並び、みないかめしい顔をして、中央にいる男をにらみつけている。

 七尺二寸の大男、河村三郎義秀である。

 荒縄でがんじがらめに緊縛されてはいるものの、胸を張り、足をあぐらに組んで、豪傑の如き偉容で座っている。

 肌の色が、血色よく桃色に若やいでいるのを見れば、弱冠二十にもいたらぬ青年であるが、いずれにせよ、この男は景親軍を率いた重罪人であった。


 景義が幕屋に入ってくると、配下たちは一斉に頭をさげた。

「すべて、わしが執り行う。みな出てゆきなさい」

 配下たちは立ちあがり、幕屋を退いた。

 最後に出て行こうとした郎党に、景義は言いつけた。

「この幕屋に人を近づけるでないぞ」

「承知」


 景義と助秋、罪人だけが残された。

「一昨日、景親と陽春丸が、死んだ」

 ……景義は静かに言いながら、青年の背後に杖を突いた。

「わしが、実の弟をこの手にかけた」

 これを聞いても、青年は剛毅な表情を、一筋だに変えない。

「すでにそなたにも裁決は下されておる。『斬罪』じゃ。なれば今日、そなたをも、わしのこの手にかけねばならぬ」

「覚悟はできております」


「本来ならば、投降してきた『降人』を斬るなど、あってはならぬことじゃ。それは、つわものの魂に反する。そなたたちは、つわものらしく勇気をふるって、頭を下げ、堂々と投降してきてくれた。

 ……それに対して、太刀を握っているわしは、自分自身を、実に恥ずかしく思う」

「……」

「とはいえ、命令に従わぬわけにはゆかぬ。……わしはそなたが幼少の頃から、成長を見届けてきた。それを思えば、悲しいのう……」

「……」

「助秋、体を支えよ」

 助秋が、景義の体を、がっちりと支えた。


 景義は、ゆっくりと腰の太刀を引き抜いた。

 炎のような白刃が、義秀の目のきわを焼いた。

「よいな?」

「いかようにも」

「念仏唱えよ……」

 次の瞬間、景義は裂帛れっぱくの叫びを発し、義秀の玉懸骨たまかけぼねめがけてやいばをふりおろした。

 野天の風が一瞬やんで、あたりに水を打ったような怖ろしい静寂が流れた。


「河村義秀は、ここに誅殺された」

 しわがれ声でつぶやいて、景義は白刃を鞘に収めた。

 冬へとむかう草々のそこかしこで、虫たちが痛ましく喉をふるわせている。

 静かに、しずかに……


「……ではなぜ……ではなぜ首を打ちませぬか?」

 義秀は尋ねた。

 首にはあざひとつ、浮んでいない。

 ただ襟足に、憐れむような太刀風たちかぜを感じたのみである。


「言ったであろう。河村義秀はすでに誅殺された。その首は落とされた」

「……わかりませぬ」

 若者の正面に向きあい、景義は両目をまっすぐに見据えた。

「そなたの聡明さ、利発さ、武芸、品位、体格、どれをとってもまるで黄金のごとく輝いて見える。景親がそなたを見込んだ気持ちが、わしにも痛いほどにわかる。そなたほどのつわものは、日本じゅうを探してもおらぬよ。ここで死なせるには、あまりにも惜しい」


 義秀は、うつむいた。

 凛々しい顔面が蒼白になったかと思うや、突如、その顔は仁王の如き激情の相へと変じ、太い血管も露わに、がちがちと歯を打ち鳴らしながら叫んだ。

「死なせてください。後生です。どうか……。大庭三郎殿ばかりか、幼い陽春丸さえ誅殺された今、私ばかりがおめおめ生き残っておられましょうか。それはつわものの恥というもの。平太殿、あなた様は私に恥をかかせるおつもりか? どうか、お願いでございます。私に死を……死を与えてくだされ。わが望みは、そればかりにございまする」


 だが景義は、全身でのしかかるようにして義秀の両肩を掴みしめ、静かに、しかし鋭く、言葉を投じた。

「いいや、ならぬ。死なせぬ。そなたが死んだら、河村の者どもはどうなる? 親族や数多の家子郎党を、路頭に迷わせる気か? そなたの幼い弟はどうなる? ならぬならぬ、そなたは生きねばならぬ」

いえ、弟は、私などおらぬでも、立派に育ってゆきましょうぞ。私は死なねばならぬのです。平太殿もつわものならば、どうかわかってくだされ。私めにつわものの情けをかけてくだされ」


愚道おろかッ。そなたはつわものの意味を取り違えておる。恥にまみれても、苦しみにまみれても、恩を受けた親兄弟や、愛する人々のため、己が信念を貫きとおす。それがつわものぞ。義秀、虚しく死するより、恥に生きよ。つわものの道を知れ」

「私は死ぬ! 死ぬのだ!」

 義秀は叫びながら、背中から地面に崩れ落ちた。

 その若い瞳には、大粒の涙が浮んでいた。


 老翁は、息を深く吐いた。

「聞け、義秀。わしは、そなたの命を受け取った。

「……? どういう……ことです?」

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