第15話 景義、広常を走らすこと

 その後、御前に推参した景義は、『片瀬川での』景親梟首を、さきほどのように、懇切丁寧に説明を加え、申し出た。


 頼朝はすこしのあいだ、考えこんだ。

「いかに思う?」

 と、宿老たちに尋ねた。


「大庭殿はわれらとともにあの苦しい戦いを戦い抜いたつわもの。それほどの望みは、ささいなことでございます。お許しあそばせ」

 と、土肥実平。

「問題ございますまい」

 と、悪四郎。

「ただし」

 と、千葉常胤が進言した。

「景親めの預かり役は、上総殿。責任をもって、上総殿に景親の処刑を見届けてもらいましょう」


 頼朝は景義にむかって、うなずいた。

「よかろう。刑の執行は間違いなく行えよ。景親とその子、そしてそなたに預けた、河村義秀……必ず斬罪に処すのだぞ。よいな」

「ハハッ」





 翌日、鎌倉軍は松田御亭ごていに本営を移すため、街道を北上した。


 上総広常の二千騎と、景義の一党は、東へと列をなし、片瀬川を目指した。

「あれが片瀬川でござるな」

 冬空を映して悠々と流れる大河を指さし、広常が馬上から、のんびりした声で言った。

「なにをおっしゃる。あれは相模川でござる」

 景義は首をふった。

「左様か……」

 広常は相模の地理には疎かった。


 行列がふところ島を通り過ぎた頃、広常は尋ねた。

「大庭殿、片瀬川はそろそろでござるかな?」

「まだまだでござる」

「片瀬川は、遠うござるな」

 と、広常はすこし眉をしかめた。

「鎌倉軍は、まもなく常陸ひたちへ進軍する予定じゃ。大庭殿は留守役をおおせつかっているようじゃが、わしのほうはすぐにも松田にとんぼ返りして、軍中に戻らねばならぬ。遅れるわけにはゆかぬ」


「まあ、そう焦りなさいますな。進軍はまだまだ先と、わしは聞いております。ご覧あれ。冬の日の美しさ、空の美しさ。ゆっくり大庭野の景色を楽しんで参りましょうぞ。大庭館で馳走を揃え、おもてなしいたしますゆえ」

「それはかたじけない……」


 景義は情に訴えるように、ッと広常を見つめた後、うしろをふりかえり、馬の背にゆられている罪人を指し示した。

「景親と陽春丸の最期に、故郷の大庭領を見せてやりたいのです。つわものの情けと思うて、どうかお許しくだされ」

「左様か……」

 広常は、いかにもいかにも、とうなずいた。

 街道の両脇には大庭の民衆たちがつめかけ、憐れむような目で、心細げに、恐ろしげに、この二千騎の行軍を見つめていた。


 その夜は、大庭館に宿泊。

 翌日、一行は片瀬川へと赴いた。

 刑は思いの他すんなりと、滞りなく執行された。


 川の冷水をかぶり、景義は体じゅうに浴びた返り血を洗い落とした。

 ふりかえれば、居並んだ上総の武者たちが、黙って頭をかたむけ、景義に最敬礼を表していた。

 広常もまた、絶大な賛辞を送った。

「実の弟を見事、お斬りなされた。実のところ、わしは刑の直前まで、和殿が裏切って景親を助け、わしらにやいばを向けるのではないかと疑っていた。お許しくだされ。実にお見事じゃった」


 顔面蒼白の景義は、紫色の唇で答えた。

「佐殿に、しかと、ご報告お願いいたしまするぞ」

「確かに、確かに。お任せくだされ。で、河村のほうは?」

卜占ぼくせんの結果、あれの処刑は二十八日。明後日と決しております。今は大庭館に閉じ込めてあります」

「そうか……明後日……」


 ふたりが話し込んでいるところへ、早馬が飛び込んできた。

 鎌倉軍からの正式な軍令である。

 広常は伝令書を広げ、じっとおし黙った。

「どうなされた?」

 景義が尋ねると、広常は顔をあげ、忌々しそうに、吐き捨てるように言葉を発した。


「鎌倉軍の進発が、明日と決まった」

「明日? それはまた急な……」

「明日、二十七日というのは、『殿殿』だそうだ。その吉日を選んで、出陣することになったようだ。急ぎ、合流せよとある。

 どうやら千葉や三浦が進言したらしい。わしを出し抜こうという魂胆であろう。こうしてはおられぬ。すぐさま出立せねば。やつらに遅れをとるわけにはゆかぬ」

「さようか……」


 ゆっくりと、景義は頭をさげた。

「佐殿がこと、よろしくお頼み申します。佐殿は誰よりも、上総殿を頼りにしておられるゆえ」

 そう言われると、広常の目が輝いた。

「和殿もそう思われるか。そうであろうな。フハハ、任せておかれよ」

「すぐさま貴軍へ、糧食をお届けいたしましょう」

「かたじけない」

「ご武運を」

「うむ」

 梟首台きょうしゅだいの上に、景親親子の首がしっかり据えつけられたことを確認すると、上総軍は足早に立ち去った。


 ――すべて、景義の策略どおりだった。

 鎌倉軍の行軍が突然に始まれば、上総は大あわてで大庭を離れる。

 実の弟を手にかけた景義であるからには、義秀をも手にかけないわけがない。

 そう思い込んだままに……。

 実際、広常はつゆほども疑わず、飛ぶように去っていった。


(景親よ。われらが策略はかりごと、ひとまずは叶ったぞ)

 遠ざかってゆく上総の兵たちに背をむけると、変わり果てた弟の首にむかって、景義は呟いた。

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