第13話 大庭兄弟、和歌を交わすこと




   二



 今は昔――


 治承四年、十月かんなづき二十四日、


 相模国府。



 上総八郎広常は、正殿を退出し、野営中の自陣に戻ってきた。

 戻ってくるや否や、郎党に尋ねた。

「大庭平太が案の定、景親に会いに来たらしいの。なにか言葉を交わしたか?」


「ハッ、注意して見張っておりましたが、一言も話しませんでした」

「なに、一言も?」

「ハイ、しかし、歌を交わしました」

「いかなる歌か」

「まず、大庭平太がみました」

 書きしたためておいた紙を、郎党が手渡した。

 広常はそれを、声に出して読んでみた。


は落ちて、影もくらみて涙川、かわは途絶えず、こそ増しける」


 ……日が沈んで、あたりはすっかり闇に包まれた。

 途絶えることなく流れる涙の川の、その音ばかりがいよいよ高まってくる。

 わしの悲しみも増してゆくばかりだ……


「で?」

「はい。ふたりはしばらく見つめあっておりましたが、ふいに景親が大きくうなずいて、歌を返しました。それが、次の歌です」


「みつせ川、船にのりえて、いざゆかん、仏に後を託す心地に」


 ……三途さんずの川を、仏の御法みのりの船に乗って、潔く渡ろうと思います。

 わが来世を、すべて仏にお任せする気持ちで……


「それだけか?」

「ハ、あとはなにも……」

「ふむ、そうか。さすがは大庭兄弟。今際いまわきわにも、風雅なものよ。つわものとは、かくありたいものじゃ……」

 自分だけがその風雅を理解できるのだ――とでも言いたげに、広常は、うむうむとうなずいた。





「陽は落ちて、影も眩みて涙川、河は途絶えず、音こそ増しける」

 果たして、景義の歌の真の意味は、こうであった。


 ……陽春丸も、景親も、救うことができず暗闇に沈むこととなった。

 しかし逆に、河村義秀の命は途絶えず、むしろ生存の可能性は高まっている。

 必ず自分が救うであろう……。

 その意志を眼中にほのめかせ、景義は弟の目を見つめた。


 するとやがて、景親はさすがに心得たもの、歌に秘められた宿意を汲み取った。

 両眼に光を取り戻し、大きくうなずいた。

「みつせ川、船にのりえて、いざゆかん、仏に後を託す心地に」

 ……すべてを兄上の仏心にお任せし、私は心残りなくこの世を去るでしょう……

 それが、景親の答えだった。


 ――以心伝心、自分たち兄弟の間には多くの言葉はいらぬのだということを、この瞬間、ふたりは互いに悟りあった。

 悲しむべくは、ふたりの間にはもう、時は残されていない、ということであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る