第13話 大庭兄弟、和歌を交わすこと
二
今は昔――
治承四年、
相模国府。
上総八郎広常は、正殿を退出し、野営中の自陣に戻ってきた。
戻ってくるや否や、郎党に尋ねた。
「大庭平太が案の定、景親に会いに来たらしいの。なにか言葉を交わしたか?」
「ハッ、注意して見張っておりましたが、一言も話しませんでした」
「なに、一言も?」
「ハイ、しかし、歌を交わしました」
「いかなる歌か」
「まず、大庭平太が
書きしたためておいた紙を、郎党が手渡した。
広常はそれを、声に出して読んでみた。
「
……日が沈んで、あたりはすっかり闇に包まれた。
途絶えることなく流れる涙の川の、その音ばかりがいよいよ高まってくる。
わしの悲しみも増してゆくばかりだ……
「で?」
「はい。ふたりはしばらく見つめあっておりましたが、ふいに景親が大きくうなずいて、歌を返しました。それが、次の歌です」
「みつせ川、船にのりえて、いざゆかん、仏に後を託す心地に」
……
わが来世を、すべて仏にお任せする気持ちで……
「それだけか?」
「ハ、あとはなにも……」
「ふむ、そうか。さすがは大庭兄弟。
自分だけがその風雅を理解できるのだ――とでも言いたげに、広常は、うむうむとうなずいた。
◆
「陽は落ちて、影も眩みて涙川、河は途絶えず、音こそ増しける」
果たして、景義の歌の真の意味は、こうであった。
……陽春丸も、景親も、救うことができず暗闇に沈むこととなった。
しかし逆に、河村義秀の命は途絶えず、むしろ生存の可能性は高まっている。
必ず自分が救うであろう……。
その意志を眼中にほのめかせ、景義は弟の目を見つめた。
するとやがて、景親はさすがに心得たもの、歌に秘められた宿意を汲み取った。
両眼に光を取り戻し、大きくうなずいた。
「みつせ川、船にのりえて、いざゆかん、仏に後を託す心地に」
……すべてを兄上の仏心にお任せし、私は心残りなくこの世を去るでしょう……
それが、景親の答えだった。
――以心伝心、自分たち兄弟の間には多くの言葉はいらぬのだということを、この瞬間、ふたりは互いに悟りあった。
悲しむべくは、ふたりの間にはもう、時は残されていない、ということであった。
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