第6話 景義、塗籠の戸をひらくこと




   二



 八幡宮内の、警備の小館は、まさにこの時のために造っておいた建物である。

 釣り輿こしで運ばれてきた景義が、縁頬えんがわににじり降りたところへ、境内の警備を取り仕切らせている景兼かげかぬと鉢合わせた。


「父上っ」

「景兼、葛羅丸かずらまる塗籠ぬりごめに?」

「ええ。言いつけどおり、誰とも面会できぬよう、閉じ込め、見張りをつけてあります。しかし、えぇ? いったいどういうことです? 葛羅丸がどんな悪事を働いたのですか?」

「すまぬ、説明は後じゃ。射手に欠員が出たのを存じておるな」

「はい」

「代わりに、葛羅丸を射手に推薦した」

 景兼は、吃驚した。

郎党またものを射手に? ありえませぬ」

「すでに二品様のお許しを得た。そなたはすぐに神官たちのもとに行き、伝えるのじゃ。『射手の準備のため、今しばらく待つように』とな。急げ」


 景義が塗籠の戸を開くと、そこにはすでに、華麗な美服をまとった、覆面の葛羅丸が、床机しょうぎの上に静かに腰をおろしていた。

 美しいにしき直垂ひたたれに、腰には夏鹿毛なつしかげ行縢むかばきめ、左肩には鳳凰ほうおう刺繍ししゅうをほどこした見事な射籠手いごてをまとっている。


「さあ、ついに来たぞ、この時が」

 元気に笑いかけた景義の、その言葉を聞いた途端、葛羅丸は覆面に手をかけ、無造作にぎ取った。

 すると、黒々したつややかな髪が、ざんばらと顔の前に乱れた。

 眉太く、眼光の鋭い、凛々しい武者の顔が現れた。


「心の準備はできておるな、義秀。これまでの稽古どおりやってくれればよい。和殿には必ず、八幡大菩薩はちまんだいぼさつの御加護がある」

 葛羅丸……すなわち河村三郎義秀は、力強くうなずいた。


 数か月前のこと、景義が、こう耳打ちしたのである。

(八月の流鏑馬に、怪我人がひとり出る予定になっておる。その怪我人に代わり、和殿を射手に推薦する。わしにしてやれるのはそこまでじゃ。そこからは、和殿が全力を尽くし、おのれの道を切りひらくのじゃよ)

 その言葉を聞いてすぐ、義秀は長く伸ばし放題だった髭を剃り落とし、覚悟のほぞを固めたのだった。


 景義のほうは、奥州戦の直後から、この案の実現に向け、動きはじめていた。

(十年目の大祭……放生会……。義秀を浮かびあがらせるための好機は、ここしかない――)

 この閃きに、景義は、眩しいほどの輝きを感じた。

 心が軽くなるのを覚えた。

 景義の、鍛えられた勘が……動物的直感が……それを告げていた。


 呼ばれて入ってきた郎党たちが、手早く義秀のもとどりを結いあげ、烏帽子を被せた。

 さらに烏帽子の上に綾藺笠あやいがさを被せ、紐をしっかりと顎でわえた。

 両手に鹿革の手袋をめ、ぴんと背筋を張り伸ばさせてから、宝刀を帯に捻り込んだ。


 姫御前たちも、小袖姿にたすきがけして手伝った。

 ……景義の奥方の宝草たからくさ御前。

 景義の妹の美奈瀬みなせ御前、気和飛けわい姫。

 娘の甘縄あまなわ姫、由比ゆい姫……みな、てきぱきと準備を助け、衣装の全体に目配りした。


 宝草が、言った。

「本日の装束しょうぞく、わたしたちが丹精こめて仕立てあげました。和殿のような立派な殿方が召されると、本当にため息の出るほど、うっとりとしてしまいますよ」

「どこへ出しても恥ずかしうない、素晴らしい武者ぶりぞ」

 と、景義も喜び顔でうなずいた。

「みなさま、ありがとうございます」

 心をこめて、義秀は頭をさげた。

 すべての仕度が整うと、義秀は勇んで部屋を出ていった。

「これは?」

 と、由比姫が床の上から覆面をつまみあげたのを、姉の甘縄姫が取りあげて、葛籠つづらのなかに隠してしまった。


 縁側で、義秀がくつを履き終え、立ちあがろうとしたところに、出会い頭に景兼とぶつかった。

 景兼のほうは、役人や神官たちからさんざんにせっつかれ、大慌てで葛羅丸をせかしに来たのである。

「葛羅丸、もう儀式が始まる。ゆこうぞ」

 景兼は慌てながら、七尺二寸の大男の手を取った。

 

 しかしふと、綾藺笠の下をのぞきこめば、葛羅丸とは似ても似つかぬ、顔色つややかな高貴の武人である。

(あ、葛羅丸ではない)

 すわ人違い――と頭をさげて謝った景兼に、義秀はやさしく微笑ほほえみ、うなずきかけた。

「小次郎殿、葛羅丸は生まれかわりました。とくとご覧ください」

 両腕を広げてみせた義秀に、うん、と景兼はうなずいた。

「左様ですか、ならばとくと拝見しましょう」

 言うや、景兼は義秀には目もくれず、覆面男の姿を捜し求めて、屋敷のなかに飛びこんで行った。

 ……義秀と景義は思わず、目を見合わせ、微笑した。

「あとで説明せねばのう……」


 小館の外に、義秀の愛馬が待っていた。

 馬の差し綱を引いているのは千鶴せんづる丸――河村四郎秀清――かれの弟であった。

 弟の手から、義秀は愛用の弓矢を受け取った。

「行こうか」

「はいっ」

 秀清は誇りあふれる笑顔をむけて、うなずいた。

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