第3話 景義、放生会を説くこと
「今はむかし――。
この八幡宮の池よりも、はるかに広大な大池でございます。
水のなかには、たくさんの魚たちが、自由に、楽しく、生き生きと泳ぎまわっておりました。
ところがどうしたことでございましょうか。
その池の水が、今にも枯れそうになってしまったのです。
急な事態に、
そして怪獣たちの長い鼻を借りて、別の場所から水を吸わせ、大池まで水を運ばせた。
これを繰り返し繰り返し、ようやくのこと、水を満たして、たくさんの魚の命をお救いになられたのです。
これによって釈尊は、大いなる
……これがまさに、
「はたまた、今はむかし――。
漁師たちは、高価な魚が釣れれば喜びますが、売れない
それらの雑魚を憐れに思った智者大師は、わざわざ買い取っては、寺の池に放したのです。
この尊い行ないが国じゅうに知れ渡った結果、あまねく唐土の民は、慈悲というものが何たるかを知り、国はよく治まったと申します。
……これぞまさに、放生会」
「――さて、
あの治承の旗揚げ以来、ここ鎌倉を中心に、東国は度重なる戦を重ねて参りました。
東国全域、さらには北国を抑え、六波羅平氏を西海に滅し、ついに奥州の果てまでもを征服し、諸国七道に覇を唱えました。
このようにして新都鎌倉は、朝日昇るがごとき勢いで、急速に繁栄してまいりました。
この
なぜ重大かと言えば、われら武者は、狩りに、戦に、他の命を奪って
その負い目を、いささかでも埋めるのが、この放生会。
敵も味方もなく、これまでの戦によって失われた多くの命を尊び、供養するのが、放生会。
戦に、けじめをつけるのが、放生会。
武人の府である鎌倉の繁栄は、放生会を天に奉げることによって、ようやく完成するのです」
「めでたき旗揚げの日より、明日で丸十年。
この戦乱の十年に、数え切れぬほどたくさんの者たちが死んでゆきました。
ここにおられる御家人の方々も、近しき人の死に出遭わなかった者はひとりもおられぬほどでしょう。
私もまた、皆様と、まったく同じです。
愛する縁者や、親しい配下たちを、次々と亡くしました。
戦のたびに、生き身のまま、半身をひきちぎられる思いをしてまいりました。
この体をご覧なされ……ふぉふぉ……すでにこのように沈み傾いております。
どうぞ、まじまじと、よくよくご覧なされ。
傾いているのは、左脚の怪我のためばかりではありませぬぞ。
みなさまと同じ、深い深い、哀しみのために傾いておるのです。
私だけですかな?
いいえ、私だけではありますまい。
まわりを御覧なされ。
目を失いし者、
鼻を失いし者、
腕を失いし者、
脚を失いし者、
親を失いし者、
子を失いし者
夫を失いし者……
苦しみ悲しみの涙に
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