第2話 頼朝、激怒すること

 記憶に間違いがなければ、河村三郎義秀という名の男は、治承の頃、すでに死んでいるはずである。

(同姓同名か……。いや、景義がなにか勘違いをしているのか……)

 頼朝が困惑したと同様、御家人たちのあいだにも、不審のざわめきが広がった。


 この不穏なる空気を打ち払うべく、ふてぶてしいまでの堂々たる態度で、景義は説明した。

「河村三郎義秀とは、治承の大戦で罪人となって、私めが預かりました、あの義秀にてございまする」

「どういうことだ?」

「あの戦で敵方にくみした者たちは、大方が御赦免をいただいておりまする。されば、義秀ひとりが未だ罪に身を沈めているのも、これはまったく、鎌倉府にとっては益もなきこと。

 幸い、義秀の弓馬の技は、達人の域に達しております。精進潔斎も怠りありません。このような時にこそ、お使いになられるべきでしょう。めでたき旗揚げの日より、明日でちょうど丸十年。この機会にぜひ恩赦を賜りたく、お願い申しあげまする」


 流暢、巧みなその言葉を聞きながら、頼朝は皮膚も裂けよとばかりに、きつく、左の薬指を噛みしめた。

 にわかに老臣の言葉を遮るや、珍しくも大声を張りあげた。

「やをれ、景義、そなた狂乱したかッ」

 御家人たちが、冷たく凍りついた。


「ぬしの言葉、まるで筋が通らぬ」

 頼朝は、老臣の顔を睨みつけた。

 その面はいきどおりのために、真っ赤に染まっていた。

「私は自分の言ったことを忘れる男ではない。くだんの男、正式な裁定の後、『必ず斬罪に処せ』と、あの時、そなたにしかと申し含めたはず。その男が今頃になって、生きて現われるとは奇ッ怪至極、あってはならぬことぞ」


「……お言葉ながら、二品様。義秀という男、武芸の達人というのみではございません。思慮深く、温厚篤実。先祖藤原秀郷ひでさとの名に恥じぬ、容儀立派なつわものでございます。生かしてお使いになれば、必ずや鎌倉に益をもたらしてくれまする」


「――黙れッ。私はそなたを信頼したからこそ、あの男を預けた。その私の信頼を、そなたは踏みにじった」

「いえいえ。この景義が二品様のお心を裏切ることなど、よもやありえましょうか。そもそも、かの釈尊しゃくそんは……」


「……釈尊? 待て、なにを言う、景義」


 カカカッと大胆不敵に笑って、景義は、どこ吹く風、強気に言い放った。

「今日は放生会ほうじょうえでございますれば、放生会の由来をお説きいたしましょう。そして放生会の『秘奥』をも、お明かしいたしましょう。

 なぜわれわれは今、この時、放生会を行なわねばならぬのか? ……その意味を知らずしてこの場に臨んでいる方々も多いのではありませぬかな。鶴岡八幡宮総奉行たる私には、それを明らかにする責任がございましょう。

 二品様、じじいのたわ言とお嫌いにならず、せめては遺言と思し召されて、どうぞこの御仏より授かりし、ありがたい故事をお聞きくだされ。必ずや、ここにいる全員が耳にすべき価値はございますぞ」


 周囲からは、非難の野次が飛んでいた。

 だが大庭平太は、さすがに百戦錬磨、鍛錬し尽くされた武者である。

 落ち着いて周囲を睥睨へいげいするや、見えざる威圧の壁が大きく広がり、人々は自然と口をつぐんだ。

 しかる後、景義は好々爺こうこうやの顔つきに戻って、語りはじめた。





※ 釈尊 …… お釈迦さま。

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