ふところ島のご隠居・第四部・絆編

KAJUN

第四部  絆 編 (きずなへん)

第一章 八つ的 (やつまと)

第1話 鎌倉の大祭、ひらかれること

第四部 きずな 編


第一章  つ まと




   一



 奥州合戦終了の同年、建久元年。

 八月はづき十六日――



 空は、からりと晴れている。

 夏の暑さは薄れてきてはいるものの、すこし体を動かせば、じっとり汗ばんでくる。

 心地よい浜風が、大路おおじをさわやかに吹きぬけてゆく。


宇宙うちゅう静謐せいひつ」「干戈かんか永収えいしゅう」と大書された、さまざまな色ののぼりが、所々にはためいている。

 その風を背に受けながら、大勢の人々が、にぎにぎしく鶴岡八幡宮にむかって歩いてゆく。

 男の烏帽子えぼし、女の市女笠いちめがさが、ざわざわ楽しげにゆれている。

 男たちは流鏑馬やぶさめ競馬くらべうま相撲すもうの話に夢中。

 女たちは、買い物と世間話に夢中。

 子供たちは、てんでに追いかけっこして、はしゃぎ回っている。


 蒸し餅、饅頭まんじゅう心太ところてん、新鮮な水菓子くだもの、干した果実……綺麗な貝殻、磨き抜かれた玉、木彫りの玩具……出店には、雑貨もあれば日用品もあり、衣服、櫛、鏡、流行の化粧品、土鍋でも刃物でも、なんでもそろっている。

 人々は米や布を貨幣にして、近頃は、宋銭も飛び交っている。


 人々の楽しげな喧騒がむかう先には、激しく打ち乱れるかねや太鼓とともに、猿楽師さるがくし傀儡子くぐつと呼ばれる流浪の芸人たちが、大道芸を繰り広げる。

 怪力自慢が大岩を持ちあげる。

 女の今様いまよう唄いが、喉をふるわせる。

 侏儒しゅじゅが、不思議な踊りを繰りかえす。

 辻法師たちが荒くれ声を張りあげて、怪しげな説法をまくしたてる。

 ……そんなにぎわいの果てに、朱塗りの大鳥居が見えてくる。


 ここにもたくさんの「宇宙静謐」「干戈永収」ののぼりがはためいているが、文言に気を留める者はない。


 人々は、源平池にかかる、朱塗りの木橋を渡る。

 すると遠目にも映えるのは、紅白の塗りもあざやかな鶴岡八幡宮正殿で、北山の緑を背負って、おごそかに鎮座ましましている。


 正殿の手前に見えるのが、流鏑馬馬場やぶさめばばである。

 これは参道を一直線に横切る、細長い馬場である。

 あたり一帯、すでに群衆のざわめきに埋めつくされており、上手かみての桟敷に居並んだ御家人たちも、下手しもてを埋め尽くす大群衆も、今やおそしと、はじまりの陣太鼓が鳴り響くのを待ちわびていた。


 馬場殿の中央の畳に座り、馬場を見おろしているのは頼朝である。

 盛綱と結城朝光が、左右を固めている。

 於政おまんと三人の子供たち、大姫おおひめ万寿丸まんじゅまる三幡姫さんまんひめの姿も見える。


 大庭おおば平太へいた景義かげよしは、鶴岡八幡宮総奉行として、馬場のらちのすぐ脇で、床机しょうぎに腰かけて控えている。

助秋すけとき

「はい」

「乳をもて」

「ハッ」

 なみなみと満たされた乳の鉢を、景義は、ぐいと、ひと息に飲み干した。


 この時、ひとりの雑色が慌てた様子で駆け込んできて、頼朝の御前に大事を報告した。

 射手のひとりが、稽古中の事故で怪我を負い、まったく動けぬ状態だという。

 御家人たちのあいだに、ざわめきが広がった。

 すぐに代役を立てねばならない。

 熟練の武者なら誰でもいい、というわけではない。

 神事の射手であるため、数日前から精進潔斎して、身を清めている必要がある。

 祭り気分に浮かれたこの鎌倉に、そのような武者が、いようはずもない。


「このような間際まぎわになって……」

「いかがする?」

「射手が揃わねば、神事は進められぬぞ」

 するとこの時とばかりに、景義が杖を突いて立ちあがり、頼朝のほうを向いて、かしこまった。

「二品様、ご心配めされまするな。この景義、このような万一の場合に備え、ぬかりなく代役を準備してございますれば」


「さすがは、大庭平太。――代役は、誰ぞ?」

 頼朝が尋ねると、景義は野太い声で、はっきりと答えた。


「河村三郎義秀よしひでにて、ござりまする」

「河村の……三郎……?」

 頼朝は目を細め、首をかしげた。

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