第4話
「まさか、冗談でしょ?」
「ちょっと本気」
自分の元いた世界へ帰ると、フェレナードはすぐに魔法陣の構成を始めた。暉良をこちらの世界に移すためだ。
「俺をこっちに戻したのはどの型?」
呆れたようなカーリアンの溜息を無視して、五つの石から作られた魔法陣の図柄を記憶から呼び起こしながら、手元に用意した型の中で似ているものを探す。
「……急いで作ったからそこにはないわ。これよ」
少しの沈黙の後、カーリアンはそう言って走り書きの羊皮紙を渡した。
「ありがとう。……これを急いで作ったって?」
彼女の書いた紙には、それまでのどの型にもない図柄が描かれていた。こういうところはさすが魔法の師だ。
フェレナードは改めて自分の未熟さを思い知らされてしまった。
「……ねえ、その子をこっちに連れて来たって、根本的な解決にはならないのよ?」
カーリアンの指摘に、フェレナードは思わず手を止めた。
「それに、その子一人を連れて来てどうするの」
「……それは……そうなんだけど。でも、このまま放っておくことは……俺にはできない」
「…………」
暉良といる間、フェレナードはどうしても彼の心理的な境遇に自分を重ねてしまっていた。
子供の頃、頼りにしていた父と祖父を亡くし、働く母が夜遅くに帰って来るのを待ちながら、体の弱い妹の世話をしていた。その時の孤独感によく似ている気がしたのだ。
自分一人ではどうにもできない現状に、それでも従うしかなくて、精神は静かに悲鳴を上げていた。
それに気付いてくれたのは、父や祖父に薬を処方していた薬師だった。
孤独が全てを支配していたわけではなかったが、それでも大部分を占めていたことは間違いなく、薬師はそれを快楽を擦り込ませることで宥めた。
そして、人肌を全く知らなかった子供に、それはとても良く効いた。
フェレナードが暉良にしたことは、その延長に過ぎない。それでも、最後の日にはいくらか彼の感情を引き出せたのではないかと思う。あの時孤独を知らなければできなかったことだ。
「……ちょっと、あんた……」
カーリアンはその伏せられた視線と雰囲気から、暉良との間に何があったか察したようだった。
「……別に、そういうのじゃない」
「あっそう」
フェレナードはすぐにカーリアンの推察を否定した。王子の教育係としてこの城に身を置いているのだから、立場はわきまえている。王子はまだ八歳で、あと四年もすればこの王家にかけられている呪いに晒されることになる。
自分の役目は王子を支え、成人するまで側にいながら学問や理を教えることだ。他人への感情にほだされるようなことは、あってはならない。
だから純粋に、暉良があの環境を脱する手伝いをしてやりたいだけなのだ。
「……あいつには……世話になったんだ」
フェレナードはそう言って目を伏せた。
彼には偉そうなことを言ったが、本当は自分も孤独を紛らわせたかったのかもしれなかったのだ。
見知らぬ世界に来て、言葉も何もわからない自分ができることは何もない。だからせめて快楽という手段で彼を繋ぎ止めておきたかったとも考えられる。
いずれにしても、自分一人ではどうにもならなかった。
「……貸して。二人通すくらいなら何とかなるわ」
「本当?」
「もう少し特殊な仕様になるけど」
カーリアンは溜息混じりに走り書きの羊皮紙を手元に寄せ、もう一枚に別の魔法陣を描き始めた。
「何度か試すから、今すぐというわけにはいかないわよ」
「わかってる。ありがとう」
「この貸しは高いからね」
最後の言葉にフェレナードはぐっと息を呑んだが、カーリアンがいたずらっぽく笑ってみせるので、少しだけ安心したのだった。
◇
カーリアンに魔法陣の相談をして三日後、フェレナードは再び地球の、日本の地に立っていた。
人を二人通す代わりに長い時間は繋げられないから、すぐに魔法陣を発動させなければならない。カーリアンからは常に石を持ち歩くように言われた。
目立たないよう暉良からもらっていた黒いジャージを着て、彼と過ごした大きな建物の裏手に出してもらい、彼の家へ急ぐ。
向かいながら、彼が改めて家出しようとしていたことを思い出した。うまく会えるだろうか。
もし会えれば、とりあえずこれまでの経緯を説明しよう。そうして、彼がどちらの世界で生きていきたいか確認すればいい。別れた時はもう二度と会えないと思っていただろうから、きっと驚くはずだ。
一週間の間に何度も通った道は懐かしく、一人でも彼の家へ向かうことができた。
彼が住むアパートの前に立ち、玄関のドアをノックする。
反応がない。留守なのだろうか。
壁には見たことのないシンプルな絵記号が描かれたボタンがあり、押すとドアの向こうで大きな音がしたが、やはり誰も出なかった。
思い切ってドアノブを掴むと意外にも難なく回り、フェレナードは眉を顰める。ここの世界の人間は用心深いから、家を留守にする時には必ず鍵をかけると聞いていた。
嫌な予感がした。
音を立てないようにドアを引くと、玄関に靴が一つだけあった。
恐らく暉良のものだ。
女物の靴はないので、彼の母親はいないようだ。
「……アキラ」
呼んでみたが返事がないのはやはりおかしい。寝ているのだろうか。
「アキラ……?」
彼の部屋を覗いても誰もいなかったので、薄く隙間が空いている居間のドアを開けた。
そこにも誰もいなかった。
居間の向こうには台所があるはずだ。あまり立ち入ったことのない居間の間取りを思い出しながら台所に向かう途中、ソファの陰に何かが見えた。
人間の足が、無造作に床に投げ出されていた。
「……っ」
フェレナードは反射的に最悪の状況を考え、一瞬で血の気が引いた。彼が母親や彼女が連れ込む男たちから何をされていたか知っているからだ。
緊張のあまり声も出ない。
ソファの陰を覗き込むと、それはやはり暉良だった。
「アキラ……!」
急いでソファを手前にずらし、上体を抱き起こす。最後に見た面影に自信がなくなるほど顔は腫れ上がり、体中が痣だらけだった。
首元に手をやると、脈は感じられる。意識は戻らないが、生きてはいるようだ。
「……っ、カーリアン!」
フェレナードはポケットに入れてあった源石を出し、魔法の師の名前を呼んだ。
それが合図で、石越しに彼の声を聞いたカーリアンが、あの時と同じように縦に魔法陣を作った。
「来なさい! 早く!」
カーリアンの声に、フェレナードは暉良の腕を肩に担いで、半ば引き擦るようにして魔法陣を通り抜けた。
◇
あーー……あれ。
死んだと思ったのに、生きてるっぽい。
頭部を始めとする全身の鈍い痛みに、暉良は目を開けた。
もとい、開けようとしたが、瞼が腫れていてうまく開かない。
腕と脇腹の痛みに耐えながら体を起こすと、知らない部屋のベッドに寝ていた。
窓がバカみたいにでかい。カーテンが長い。部屋全体は薄暗くてよくわからない。
向こうの壁側の女性がこっちに気付いたようだ。その金髪の美人は何か言いながら隣の部屋に行った。
「アキラ!」
すると、すぐに聞き慣れた声がした。しばらく聞いてなかったけど全然忘れてない。
「フェレ……? え……?」
隣の部屋から駆けつけた男は、黒ジャージではなかったが確かにフェレだった。何だこれ、どういうことだ?
「気を失っていたから、アキラの同意なしでこっちに連れてきた」
やっぱりそういうことか。
「アキラが望むなら、この先ずっとここで暮らしても構わない」
「マジで?」
そう聞くと、多少フェレが気まずそうな顔をする。
「手筈は整えた。ただその……異界の人間の出入りにおける検証と調査、という名目だけど」
彼は申し訳なさそうに言ったが、全然問題ない。
「いいぜ、名目でも。別に実験台になったっていい」
あっちにいるよりは多分全然マシだ。
「……ありがとう」
フェレはほっとしたように頷いたが、すぐにキリッと表情を変えた。
「じゃあまず、こっちの言葉を覚えてもらう」
「は?」
「そうだろ? 生活するなら言葉がわからないと」
「絶対無理だろ」
「できる。ニホンゴよりは簡単だ」
「いやー……」
気が抜けてげんなりする暉良を見て、フェレがくすくす笑う。
「きっとそのうち、アキラに相談したいことも出てくると思うんだ」
そう言って、フェレの目が真剣な色に変わる。
「そしたら、話を聞いてほしい」
それは本当に真剣な目だった。
「……わかった」
そこはもうイエスというしかなかった。立場上、言うことを聞くしかない。
それでも気分はすっきりしていた。
こうして、人生最後と思っていた日は、最後じゃなかった日になった。
続きは、またそのうちな。
人生最後の日と思ったら最後じゃなかった日 リエ馨 @BNdarkestdays
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
猫氏、寝ちゃったの?/リエ馨
★6 エッセイ・ノンフィクション 完結済 48話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます