第3話
フェレの言語習得能力は凄まじく、朝から晩までぶっ通しで三日ほど教えると、簡単な意志の疎通ができるようになっていた。
自分たちと比べてしまうと片言だったり意味を間違えていたりするが、それはその場で教えてやると軌道修正するようだ。どんな頭だよ。
なお、ここからはより意味を通りやすくするため、暉良が理解した内容をフェレの口語文として記述する。
銀髪の男、フェレを拾って一週間が経った。
家だと邪魔が入るので、今日もいつも通り、近所のでかいスーパーのフードコートの隅っこを、二人分のハンバーガーの朝食セットと一緒に陣取る。
そろそろ教えた日本語で会話になるかと思い、彼自身のことを聞いてみた。
「お前ってさ、そもそも何者なわけ」
「ん?」
すっかりこっちの生活に順応したフェレは、シェイクのストローをくわえたまま聞き返してきた。
ちなみに、来た時のままの格好だと目立つので、毎日暉良のTシャツと黒いジャージを日替わりで借りている。
「いやいやのんびり朝飯食ってんじゃねーよ。俺はまだお前の名前しか知らねえんだぞ」
「あ、そうだっけ」
というわけで、知り合って一週間でようやく彼の身辺情報を聞き出すことができた。詳細は下記の通り。
・フェレは愛称。フルネームはフェレナード・ウェンライト(やっぱり長かった)
・王子の教育係として勉強中
・同時に魔法についても勉強中
・その魔法の勉強の最中に、こっちの世界を覗こうとしてうっかり転移した
・帰り方は不明
・師、みたいな人が多分何とかしてくれる(はず)
「そういえば、歳はいくつだ?」
「二十」
「マジか……」
うっすら年上だろうなとは予想していたが、せいぜい中学高校の先輩と後輩くらいの差だと考えていた。三つも違えば、同じ学校でも在学期間はかぶらない。
だが、彼がそれをあまり気にしていないようなので、暉良もそれほど話題には出さなかった。
朝食を取りながらお互いの世界の話をした。
暉良は手元のスマホを使って世界地図と日本地図を見せた。世界に対する日本の国土の小ささにフェレは驚いていたのが印象的だった。
そして暉良が持ってきたノートに、彼はさらさらと自分の住む島を描いてみせた。大きな大陸の端に浮かぶ小さな島だ。彼は緑が多い東の国に住んでいると言っていた。
それから、いつも彼がポケットに入れて持ち歩いている石も見せてもらった。
その辺に落ちている小石にも見えたが、淡く白く光っている。魔法を使う時に力を補う源石というものらしい。そう聞いただけで浪漫を感じる。
魔法は教えてもらってまだ一年くらいなんだそうだ。精霊との相性では風が一番いいみたいだから、風の精霊を扱う魔法を勉強したり、魔法の師とやらの手伝いをしたりだと言う。
映画のような世界が実在しているなんて、夢にも思わなかった。
「お前の世界っていいな~。俺もそっちに行きたい」
「え?」
フェレが暉良に視線をやると、暉良はうんざりしたように溜息をついた。
「だって母親あんなんだし、父親なんて最初からいねえし高校ももうめんどくさい」
フェレの世界には義務教育や高校のようなものはないと言っていた。天国すぎる。
「……うちの高校はさ、バイト禁止なんだよ。あ、えーっと、働けねえの。金がなくても」
「じゃあ、どうやって生活してた?」
「そこをこっそりやるんだよ。大体バレる前に辞めとくんだけど、こないだは先にバレてさ。バイトは辞めさせられるわ停学食らうわで最悪」
「ていがく?」
「そう、イケナイことした悪い子は、当分学校に来ちゃいけませんってこと」
「でも……」
ここで食事を買う時は、いつも彼が支払っているのをフェレは何度も見ていた。
「あ、今使ってるのは貯金。さすがに多少はあるって。あんな母親から生活費もらうのムカつくから」
ポテトを摘みながら、ちょうどフェレに出会った日のことを暉良は思い出していた。
そしてふっと遠くを見る。
「……お前と会った日さ、俺家出しようと思ってたんだ」
「いえで?」
「そこ聞くのかよ。まあ……しゃーねえか。そのまんまの意味、家を出るんだよ。あそこにはいたくなくてさ、だからって行きたい所があるわけでもねえんだけど。別に野垂れ死んだらそれはそれでいいかなーぐらいな感じでさ」
「アキラ……」
フェレが眉を顰めた。
毎日昼間はここで彼に言葉を習っているが、夜になって家に帰ると、時々母親も家に戻っていることがあった。相変わらず、都度違う男と。
暉良はそういう時、すぐにフェレを自分の部屋に向かわせる。そうして部屋からフェレが耳を澄ますと、早口で聞き取れないが必ず二人は口論になっていた。その後に酷く顔や体を打つ音。
その口論の原因は自分にあるのではないかと何度も暉良に確認したが、彼はいつもそれを否定した。
真偽はフェレにはわからなかった。母親という人物が自分の存在に対して何か誤解しているのなら解かなければと言ったが、そういうことはないし、そうだとしてもそんなことしたって無駄、とすぐに却下されてしまうのだった。
だから、彼が母親にどれほど絶望しているかはわかっているつもりだ。それから、彼女を取り巻く男たちも彼女に同調し、常に暉良には酷い態度を取っていたのも知っている。
「こら、そんな顔すんなって」
「……悪い……」
「お前を拾ったおかげで貯金の使い道ができたんだ。だから、お前がちゃんと元の世界に戻れたら、俺も改めて家出すっかなって」
「…………」
フェレは視線を落とした。
母親との言い争いがあった日は、彼は必ず顔を腫らして部屋に戻ってくるのだ。既に痣になっていることもある。
けれど、彼は何があったかは絶対にフェレには言わなかった。ただ、見ているこちらの胸が締め付けられるほど悲しい顔をして、黙ってベッドに座っている。
それは母親や外部からの愛情に飢えているのではなく、孤独感なのだろうとフェレは思った。そしてそういう時の慰め方を自分は知っていて、見かける度に実行に移した。
初対面の時にしたような強引なやり方は、最初は彼も驚いていたが、次第に慣れていった。そして慣れる程の回数を重ねた。
彼を本当に自分の世界に連れて来られればいいのに。
魔法の師であるカーリアンに聞けば、何か助言をくれるかもしれない。
『フェレ、フェレナード、そこにいるの?』
「カーリアン!?」
一週間振りの懐かしい声を聞いて、思わずフェレナードは立ち上がった。
が、見回しても彼女の姿はない。
『こっちよこっち。今どこ? 建物の中?』
声のする方に視線を向けると、ちょうどテーブルに出した白く光る源石から聞こえていた。
「え? そいつが喋ってんのか?」
暉良も石から聞こえる女性の声に気付いたようだった。
『良かった、ようやく見つけたわ。場所を特定するから、屋内にいるならちょっと外に出てくれる?』
「……わかった」
暉良は荷物の留守番をすると言うので、フェレだけがスーパーの外へ向かった。
出入り口から裏手へ回ったところで立ち止まる。辺りを見回すが、人の気配はない。
「この辺かな」
『了解。明日、同じ時間にこっちに戻る魔法陣を開くわ。手元の源石はいくつ?』
カーリアンに尋ねられ、手に持っている一つ以外をテーブルに置いてきてしまったことに気付いた。
「あー……多分、五~六個くらい」
『じゃあ五個で開くようにするから、持って待ってて、明日。じゃあね』
一方的に話をたたまれて、会話は終わった。
フードコートに戻り、暉良にそれを伝えると、いきなりすぎんだろと驚いていたが、どこか寂しそうでもあった。
「じゃあ、この後の昼飯晩飯はいつも通りここで食って、帰ったら向こうに戻る準備しないとな」
「……そうだな」
彼が普段通りを装い、寂しいといった感情をあえて口にしないので、フェレもただ頷くだけにしておいた。
◇
夜になって家に戻り、元の世界に戻る支度も終えた。
「ほぼお前のもんだったろ、目立つからそのジャージ着て帰れよ」
そう言って、暉良はフェレが元々着ていた服を手近な袋に突っ込んで持たせることにした。
代わりにフェレから何かを渡そうとすると、それは全面的に断られた。いわく、この後近々家出するんだから、荷物は少ない方がいいんだそうだ。
準備が終わってフェレが一息ついた。
今夜は彼の母親は戻って来ていないようでほっとした。最後の夜まであの口論は聞きたくないと思っていたから。
ベッドではもう暉良が適当に転がっていた。時計を見ると夜の九時を過ぎている。
元の世界と時間や暦が同じなのは助かったと、フェレはしみじみ思った。
季節の定義が違うのは興味深いが、それ以上を教えてもらう時間はなかった。そう思うと、これまでの一週間が長いようで短いようにも感じた。
「……アキラ」
名前を呼んで、ベッドに座った。呼ばれた彼は体を向けて睨んでくる。
「……何だよ」
「寝てるから疲れたのかと思って」
「……まあな」
短いやりとりを終えると彼はまた向こうを向いてしまった。
まあいいか、と思い、フェレは言葉を続ける。
「……ありがとう」
「何がだよ」
そっぽを向いたまま返事が返ってきた。
「……面倒見てくれただろ。魔法陣を通り抜けて最初に出会ったのがアキラで、本当に助かった」
「……人を親鳥みたいに言ってんじゃねえって」
「確かに」
彼の文句の意味がわかる。どちらの世界でも鳥の習性は同じらしい。
おもむろに暉良の腰に触れ、思わせぶりに太股のあたりまで撫でた。
「お前っ……ふざけてんじゃねえよ」
「ふざけてない。するだろ? 最後なんだし」
「……それは、あー……」
遠慮なく誘われると、咄嗟にどう反応していいかわからなくなってしまう。
「……する」
暉良が頭から否定せず、控えめに頷くと、フェレはベッドに乗り上げてその唇を容赦なく塞いだ。
◇
時計の針は真夜中を指し、中に出した回数も数えられなくなってきた頃、ようやく暉良は体の怠さに気付いた。
「……気は済んだ?」
散々乱れた髪を雑に掻き上げ、フェレが吐息混じりに聞いてきた。
「お前……」
「俺がここにいるのは今日で最後だし、溜めるのはよくないと思って」
暉良は目を細めた。
彼はどこまで自分を見通しているのだろう。自分自身、彼にこんなに長い時間するつもりはなかったのに。
「……何となくわかる。どうしたいのか。俺も似たような時期があったから」
「はぁ……」
「人とこうしていると安心する。行きずりの他人でもいい……違う?」
「それは……」
フェレはさらっと言ってのけたが、それはハズレではなかった。だから彼とこうなってしまっているのだ。暉良は気まずそうに黙って頷いた。
フェレが笑って、ろくに服を着ていない体を起こす。
「うっかり発動中の魔法陣に触れてここに飛ばされて来たけど、多少なりとも役には立ったかもしれないな」
「お前……何かすごすぎ」
「普通だよ」
そう言いながら、またフェレの腕が暉良を引き寄せる。
最後の最後にして決定的な弱点を晒してしまった気がしたが、ここはお誘いに甘えてもう一戦頑張ることにした。
◇
カーリアンの声が聞こえた昨日と同時刻、打ち合わせた場所でフェレは石を持って立っていた。
店の裏手の狭い路地。側には暉良もいる。
手の中の石は咄嗟に五~六個とカーリアンに伝えたが、実際は六個あった。
一つ多かったので、時間になると手の平の六個のうち五個が浮かび上がり、人一人が通れるほどの円状に並んだ。その石同士を結ぶように石の中から無数の光の糸が現れ、線になり円になり文字になって魔法陣を形成していく。
「うわ……」
西暦二〇一六年の日本では、まだ3Dコンテンツ自体が実現されていない。暉良は映画のようなその光景にただただ圧倒された。
魔法陣が完成すると、円の内側にフェレの世界が映った。
瓶やら本やらぎっしり詰まった棚だらけの薄暗い部屋で、髪の長い女性が早く、とフェレを呼んでいる。確かに昨日も聞いた声だった。
「……アキラ、ありがとう」
「別に。元気でな」
よくある別れのシーンだなと暉良は思った。そして、お決まりのような台詞を何の抵抗もなく言ってしまった自分に驚く。
フェレは何かを考えるように魔法陣へ踏み込もうとする足を止めた。
すると、手に持っていた石を一つ、暉良へ向かって投げた。
「え? おい!」
反射的に片手で受け止めたが、それは確かにフェレが持っていた源石だった。魔法陣に使われずに余っていた分のようだ。
顔を上げると、彼も魔法陣も跡形もなく消えていた。
「……っ」
これまでの出来事は全部夢だったのではと思うほど、身の回りの現実がいつも通りに存在している。
ただ、手の平の石だけが、銀の髪のあいつがここにいたことを証明していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます