20年前のセーブ・データ

枕崎 純之助

20年前のセーブ・データ

 今日は俺の30回目の誕生日だった。

 独身のまま迎えた30歳を祝ってくれる人はいない。

 唯一、母親から「誕生日おめでとう」とメールが届いたけれど、めでたくもありがたくもない。

 30歳になった今の俺には何も無いからだ。


 今日、非正規で働いている仕事の契約を切られた。

 無職。

 次のアテは無し。


 新卒で入った会社は、上司からの壮絶なパワハラを必死に2年耐えたけれど、ある日ベッドから起きられなくなって会社に出勤できなくなり、その後、休職からの退職。

 それ以降、メンタル・クリニックに通いながら契約社員で何とか生活費をかせいでいたけれど、今日その立場も失った。

 社会人になって8年ほど働いた結果がコレだ。


 1年ほど付き合った彼女には半年前にフラれてそれっきり。

 次のアテはもちろん無し。

 というかこんな状態で女性に「付き合って下さい」なんて言う資格があるとは思えない。

 結婚なんて夢のまた夢だ。

 ま、もうあきらめてるから別にいいけどね。


 1人暮らしの自宅アパートに帰った俺はコンビニで買った弁当とビール、それから無料の求人誌をテーブルに放り出す。

 それから俺は先日、実家から持ってきた段ボール箱を開けた。

 ずっと実家の押し入れにしまい込んでいたものだ。


 それはゲーム機だった。

 メモリー・コンピューター。

 通称メモコン。

 俺が小学生の頃に発売されたゲーム機だ。

 その頃は夢中になってやっていたけれど、中学に上がる頃には部活が忙しくてやらなくなってしまった。


 以来、箱にしまったまま長い間、眠っていたものだ。

 先日、実家に寄った際に母親が「これもう捨てていいの?」とたずねてきた。

 掃除の際に押し入れから出てきたものらしい。

 それを見た時、俺は何だか無性に捨てるのが惜しくなってしまい、引き取ることにしたのだ。


 メモコン本体は端子が古く今のテレビには接続できないため、泣く泣く処分してもらいゲーム・ソフトのみ引き取ってきた。

 そしてこのゲーム・ソフトを遊ぶためにわざわざ俺はメモコンの互換機を購入した。

 これなら今のテレビにも接続できてメモコンのソフトが遊べるというわけだ。


 何でそこまでして古いゲームをやろうと思ったのか。

 答えはひとつ。

 単純に俺の心がそれを求め、衝動的に俺はレトロ・ゲームに手を伸ばしたんだ。


 箱を開けると昔よく遊んだゲームソフトが20本以上は出てきた。

 どれもこれもなつかしい。

 そしてソフトの裏側には黒の油性マジックで俺の名前が「オオシロ ユウタ」と記されていた。

 友達とのソフトの貸し借りで、貸したまま返してもらえない「借りパク」を防ぐために書いたものだ。


 小学生の頃の自分のつたない字が何だかおかしくて、俺はふと笑みをこぼした。

 それから俺は買ってきたコンビニ弁当を食べるのも忘れて、一時間ほど夢中にゲームに興じたのだ。

 不思議ふしぎだった。

 もう30歳になるというのに、こうして昔のゲームをやっている間は、小学生の俺に戻っているようだった。


 30歳無職。

 彼女なし。

 財産もちろんなし。

 どう考えても詰んでいる。


 そんな自分の状況を忘れ、俺はあの頃に戻っていた。

 いくつかのソフトには昔のセーブ・データなどが残っていて、当時の状況が鮮明によみがえってくる。


「すごいな。20年もっているのにデータが消えずに残っている」

「そうそう。このゲーム。この先が全然進めなくて、途中で投げ出したんだった」


 そんなことを1人呟つぶやきながらレトロ・ゲームに興じる30歳無職の俺。

 我ながらなかなかヤバイ。

 だけど不思議ふしぎと心は軽くなっていた。

 きっと自分の疲れた心がこういうやしを求めていたんだろう。


 それからいくつかのゲームを遊び終えた俺は最後に、「月のラーミィ」というゲームを手に取った。

 満月のように丸っこいキャラクターがコロコロと転がりながら進んでいくアクション・ゲームだ。

 残されているセーブ・データは3つ。

 このゲームではセーブ・データに名称をつけることが出来て、俺は自分の名前をつけていた。


【ゆうた1】

【ゆうた2】


 しかし3つ目は……。


【おおた ひろえ】


 その名前を見て俺はハッとした。

 今の今まで忘れていたが、それはかつての俺の同級生の名前だ。

 太田広江。

 小学校3〜4年生の時のクラスメイトの女子だ。


 太田の家は母子家庭だったのだが、4年生に上がる頃に母親が再婚して新たな父親が出来た。

 その父親が厳格な性格で口うるさいため、嫌いだと太田はよく愚痴ぐちをこぼしていたな。

 俺は女子とはほとんど遊ばなかったけれど、太田は家が近かったこともあり、たまにうちに遊びに来ていた。

 このセーブ・データは太田がうちでこの「月のラーミィ」を遊んだ時に、アイツが自分の名前を付けて残したものだった。


「そういえばアイツ、ゲームは下手だったけどラーミィだけは熱心にやっていたな」


 そう言った俺はふと胸に苦しさが込み上げてくるのを感じて口を閉ざした。

 太田は……もうこの世にいない。

 5年生になる前に引っ越しで遠くの学校へ転校していった後は交流がなくなった。

 しかし6年生の卒業間際のある日、俺は自分の母親から聞かされたのだ。


 今日、太田が亡くなったと。

 家族で交通事故に巻き込まれ、即死だったらしい。

 本当に太田とはあれっきりになってしまったのだ。

 当時はあまりのおどろきに感情が麻痺まひしてしまったかのように、涙も出なかった。


 太田と疎遠になって2年近くっていたというのもあるだろう。

 中学、高校と年月を重ね、次第に太田のことは思い出さなくなった。


 俺は……太田が残したセーブ・データを何気なく開いてゲームを始めた。

 ゲームが下手だった太田は本当に序盤のステージで止まってしまっている。

 俺は思わず苦笑した。


「アイツ、本当にゲーム下手だったなぁ」


 1人そうつぶやきながらゲームを進める俺の頭に、忘れていた様々な思い出がよみがえってきた。


 初めは女子と遊ぶのが気恥ずかしかったこと。

 話してみると太田は結構いい奴だったこと。

 同級生たちに冷やかされるのが嫌で、学校ではたがいにあまりしゃべらなかったこと。

 だけど太田とゲームをやっていた時は本当に楽しかったこと。


 そうした思い出が押し寄せ来て俺は胸が苦しくなった。

 そして序盤のステージが終わりに近付いてきたその時、俺は思わず絶句して手を止めた。


「えっ……」


 そのステージは自分の好きなように四角いブロックを並び替えることが出来る場所があり、太田が当時配置した状態のままブロックが並べられていたのだ。

 それはカタカナでこうかたどられていた。


【ユータ スキ】


 こ、こんなのいつの間に……。

 そこで俺は思い出した。

 4年生の3学期に太田がこのゲームを借りたいというので貸したことと、転校する前に返しに来たのが最後に会った時だと。

 

 あの時にこれを……。

 あの日は確かたがいに「元気で」と言って別れたような記憶がある。

 俺は息をするのも忘れて太田が20年前に残したそのメッセージを見つめた。

 くちびるが震え、のどが震え、肩が震える。

 胸の奥底から感情がこみ上げてきた。


「……んだよ。そんなそぶり……ちっとも見せなかったのに」


 そして自分がかつて彼女に抱いていた淡い想いを思い出す。

 まだ子供だった自分の、形にすらならなかった淡い想いだった。

 彼女が転校していくことを俺はさびしく思っていたんだ。

 

 太田。

 おまえが生きていたら、どんな人生を歩んだんだろうな。

 もっと生きたかったよな。

 もっと色々なことを経験したかったよな。

 ゲーム画面を見つめる視界が涙でにじむ。


 俺はゲームのコントローラーを握ったまま、むせび泣いた。

 ここ最近、心にわだかまっていたたくさんのことが、俺の心からあふれ出す。

 太田が死んだと聞かされた時に出なかった涙が、十数年の時をてようやく流れ落ちていった。

 俺がこんなレトロ・ゲームをやろうと思わなければ、決して知ることはなかったことだ。

 

 俺はひとしきり泣くとゲームを止めた。

 そして「月のラーミィ」をゲーム機から抜いて大切に箱にしまうと、コンビニで買ってきた弁当を温めもせずにかき込んだ。

 それからビールではなく求人誌に手を伸ばす。


「このままじゃ……ダメだ」


 わずか10歳の太田が好きになってくれた男が、30歳になってこんな投げやりで情けない姿をさらしているようじゃ、アイツも浮かばれないだろう。

 俺はもっと必死になって生きなきゃダメだ。

 アイツはそうしたくても、もう出来ないんだから。

 せめてアイツが一時いっときでも俺を好きになってくれたことを天国で後悔しないような、アイツに恥ずかしくない生き方をしなくちゃ。


「太田。ありがとな。気付くのが随分ずいぶん遅くなってごめんな。俺……ちゃんと生きるから。絶対に人生を投げ出さないから。見ててくれよ」


 そう声をしぼり出すと、俺は太田との思い出を胸に求人誌のページをめくるのだった。


【完】

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