5 日常謳歌
聞き間違いだと思ったのか、レインハルトは同じ事を繰り返した。
「ん? 不変の魔女よ、俺と一緒に――――」
「何度言われても変わらないよ。世界を救う気なんて、私にはない」
「……本当に?」
「本当に。微塵も、これっぽっちも無いね」
レインハルトは眉を下げ、情けない顔をした。
「でも――」
「でもも、何も無い。話はそれだけかい?」
「……そうだが」
「じゃあお帰り願おうか」
リブリはレインハルトの背を押して、家の外を目指した。
「ちょっと待ってくれ。世界が終わるんだぞ!」
「勝手に終われば良いだろう」
「いやいや、もっとこう、何かあるだろう! 世界が終われば俺たちも死ぬに違いない!」
「そうだね」
「生きたいとかないのか!」

「まったくないね」
「はぁあ!?」
喚くレインハルトを玄関から押し出し、リブリは扉を閉めた。
「待ってくれ、不変の魔女よ! 永遠を生きるという貴女の力を借りたいんだ!」
扉をドンドンと叩く音が、彼の叫び声と共に聞こえる。
しばらくの間、音は響き続けたが、反応が無いと分かったのかおさまった。
「……今日はこれくらいにしよう。また来るぞ!」
扉の向こうにあった人の気配が遠ざかり消えていく。
「もう来なくて良いよ……」
はぁ、という溜め息と共に、リブリは肩の力を抜いた。
久しぶりの他人との会話で彼女も緊張していたのだ。
「寝よう」
今日は精神的に疲れたので、もう寝る事にした。
こんな早くに休む日なんて、どれくらいぶりだろうか、などと考えながら、リブリは寝室のベッドに横になり目を閉じた。
***
レインハルトが初めてリブリの元を訪れた日から、数週間が経過した。
そして――――
「おーい! 不変の魔女よ! 俺だ! レインハルトがやって来たぞ!」
――――彼は数日おきにではあるが、あの日からずっとリブリの住む家まで、森を超えて訪ねて来ているのであった。
リブリにとって、初対面での彼の印象は最悪なものであったが、数週間経った今では――――
「また来たのかい。まあお茶くらいは出してあげるよ」
「ん、それはいいな。俺も評判の良い菓子を持って来たんだ」
――――自ら家に入れてお茶を出すくらいには印象が良くなった。
それは、彼が毎回持ってくる菓子が、意外と美味しいという事だけが理由ではない。
「それで、持ってきてくれたのかい?」
リブリはソワソワとしながらレインハルトに尋ねる。
レインハルトは手にしていた鞄から、菓子の包みと、紙で包まれた長方形の物体を取り出した。
「ああ、今日はリューク・スネイプル著『恥知らずの騎士ガヴェイン』ってヤツだ。王都では面白いと話題になっているんだぞ」
リブリは彼の手から長方体を奪い、紙の包みを丁寧に開いた。
包まれていた物――一冊の本を掲げ、レインハルトに向き直る。
「コホン。まあ嬉しくないと言えば嘘になるし、私は嘘が嫌いだから言わせてもらうけど、ありがとう」
「気にするな。これは俺なりのご機嫌取りみたいなものだからな」
「そういうのは隠すべきなんじゃないのかい?」
隠してれば好感度が上がったのにと、正直に内心を明かすレインハルトにリブリは呆れた。
「ハハ、だって魔女殿は嘘が嫌いなんだろう? それなら、ここで嘘をついて後でバレるよりも、正直に言った方が印象が良いと思ってな」
「それを正直に告白するのも印象稼ぎかい?」
「好きに受け取ってくれ」
ハハハと笑うレインハルトに釣られて、リブリも口角を上げた。
「まあ、いいや。今日は虹命草を使ったお茶なんだ。世界録によれば、疲労回復や健康長寿に良いらしいよ」
「それも、この森で採れたヤツか?」
「もちろんさ。あぁ、魔女の出したものを口にするのが怖いのなら飲まなくてもいいけどね」
時間さえあれば一日中本を読んでいるインドア系のリブリが、来客の為に外に出て植物を採りに行くなんて相当希少だ。異常と言っても良いかもしれない。
そして、軽い態度でリブリは『飲まなくていい』なんて言っているが、実際に丸々残されれば、それ相応に落ち込むだろう。
なんなら、これからのレインハルトの入室を断固拒否する可能性が十分ある。
それはレインハルトも薄々勘付いてるし、そもそもリブリが毒を仕込むなんて思ってはいない。
「いいや、頂こう」
「ん、そうかい。まあ好きにしたまえ」
リブリは椅子に座り、彼が持って来た本を菓子をつまみながら楽しむ。
レインハルトは出された飲み物を楽しみながら、そんな彼女を眺める。
片や数百年を一人で生きてきた編纂の魔女。
片や先祖返りとして
数週間、実際にはもっと短い時間だったが、二人は奇妙な距離感を掴んでいた。それは、一種の信頼関係と呼んでも良いのかもしれない。
***
リブリが本を読み始めて数時間が経過した。
「んー、面白い。この終わり方、続きもあるのかな」
本を閉じ、大きく伸びをするリブリ。
「やっぱり世界録が一番だけど、たまには他の本も読みたいよね」
――それに、書庫の本はほとんど読み尽くしちゃったし、とリブリは続けた。
「前々から思っていたが、そんなに世界録は面白いのか?」
リブリの世界録自慢を聞き続けたから気になったのだろう、レインハルトが尋ねる。
「そりゃあね。世界の歴史を追体験できるんだ。どんな書物よりも心を湧き立たせてくれるんだよ」
「……そこまで言われると読みたくなるな」
「ダメだよ」
「まだ何も言ってないだろう」
「君の表情が雄弁に物語っているよ。世界録の内容は私達、魔女だけの秘密なのさ」
レインハルトが何かを言い出す前にリブリは釘を刺した。
「聞きたい事があるんだが」
「世界録の内容以外なら」
「私達って事は、魔女は他にも居るのか?」
「いるよ。いや、いた、が正しいかな。君の言う不変の魔女という存在は継承制なんだ。私は数百年前に先代から世界録を継承して魔女になったんだよ」
「は?」
「何を大口開けて固まっているんだい? まあ、見ての通り魔女となった時点で私は成長が止まっていてね。寿命はぐーんと延びたんだけど」
「……いや、なるほど。昔の伝承と姿が違う事が疑問だったんだ。そうか継承していたのか」
納得したのだろう、彼は
それを見て、リブリもレインハルトに聞きたかった事があったのを思い出した。
「そう言えば、私も君に聞きたい事があるんだ」
「何だ?」
「どうやってこの家に辿り着いたんだい? 魔女の森は城暮らしの王子様が一人で乗り越えられるような場所じゃないんだけど」
「信じてもらえるか分からないが……俺には声が聞こえるんだ」
「声?」
「そう、どこからともなく、俺だけが聞こえる声。俺は精霊の声と呼んでる」
リブリは一瞬、『何を言ってるんだコイツ?
「精霊の声……知ってるよ」
「ホントか?」
「精霊人は大地や川に宿る霊的な存在の声を聞けるという話があるんだ。世界録の事を疑ってたわけじゃないけど、本当の事だったんだね! 君の精霊の声とやらもそれだと思うよ」
「その精霊の声が導いてくれるんだよ。どこをどう進めば良いのかをな。それでこの家に着いた。初めて来た時は酷い目にあったけどな」
編纂の魔女の家を取り囲む森には、妖精の秘術が使われている。
妖精と精霊は似た存在だから、乗り越える事ができたのかとリブリは納得した。
「もう一つ、聞いても良いか?」
「何でも聞きなよ。今日読んだ本は面白かったからね。私は機嫌が良いんだ」
このお菓子も美味しいしね、とリブリは笑みを浮かべる。
「じゃあ、聞くぞ。まだ気は変わらないか?」
菓子を運ぶ手を止める。
「何の事だい」
本当はどういう意味か分かっていた。
それでも、まだ引き返す余地を残したのは、リブリ自身がレインハルトとの今の関係を気に入っていたからに他ならない。
「はぐらかす必要はない。世界終焉の予言についてだ」
立場を変える気は無い。たしかに最近の日々は楽しくはある。だが、数百年積み重ねてきた思い――世界録の完結への期待には及ばない。
なぜ、そんな事を持ち出すのかと、レインハルトを睨む。
彼の碧眼、その真剣な眼差しがリブリの肌を突き刺すように感じる。
「そんなに王様になりたいのかい? 自分を迫害する国の」
「違う。いや、違わなくもないが、一番は世界の終わりを回避したいからだ」
「これだから外の人間は嫌なんだよ」
「こればかりは外も内も関係ないだろう。世界の終わりはこの世界に生きる全ての存在に降り掛かる災厄だ」
「どうして私なんだい? 私は本が好きで、長生きしてるただの魔女だよ。それに、君の兄弟姉妹が世界を救うかもしれないだろう」
「悪いが、誰かが助けてくれるまで待つ趣味は俺には無い。それが世界の終焉なら尚更だ。まあ、俺がとれる手段は不変の魔女という伝説の存在に
「君の言う伝説には程遠いけどね。正体は数百年を生きるただの小娘だよ。今君に押し倒されたら何も抵抗できないし」
「俺の十倍以上も生きてるくせに笑わせるな。それに、精霊の声がざわめいてる。ただ長生きしてる存在にここまで精霊が怯えるわけないだろ」
「はぁ、話にならないね。私は世界終焉をありのまま受け入れる派から変える気はない」
リブリは早く話を切り上げたかった。
だが、彼はそうではないらしい。
「良いのか? 世界が終れば今日読んだ本の続きも永遠に読めないぞ。他の本だってそうだし、美味しい菓子もあるな。それだけじゃ無い、この世界は無数の娯楽で溢れてる」
「仕方ないだろう。それも運命ってヤツだよ。甘んじて受け入れよう」
「俺はヤダね。そんな運命受け入れられる訳がない」
「見解の相違ってヤツかな」
「いいや、これに関しては俺の方が正しいと思うぞ。正義ってヤツさ。世界を救おうとして何が悪い」
「年寄りから良い事を教えてあげよう。正義なんてもの存在しないんだよ。そう、世界録の中にすらね」
駄々をこねる子供にでも出会ったかのように、リブリはレインハルトをたしなめた。
数週間前のリブリなら既に彼を追い出しているところだ。
ここまで自身の信頼を勝ち取った事は褒めてもいいかもと考える。
「それだ。貴女は世界録の全てを信じている。そして、読んだ内容を自分が体験した事かのようにひけらかす」
「世界録に書かれている事は真実だからね。そこに嘘は紛れない」
「そこを疑ってるわけじゃない。俺はそれじゃあ足りないと言ってるんだ」
彼の言う事の意味が分からず、リブリは首を
「何を言ってるんだい? 世界録に書かれている事が全てなんだよ?」
レインハルトは呆れたようにリブリを見る。
「読んだだけで全てを知れれば苦労しない。実際に見て、聞いて、触れて、ようやく体験したと言えるんだよ。貴女は本を読んで全てを理解したと錯覚しているだけだ」
二の句を告げずにいるリブリに、彼は畳み掛ける。
「世界録の中で生きる不変の魔女には、永遠に分からないだろうけどな」
レインハルトの言葉を受けても、リブリの中に怒りといった感情は湧いてこなかった。
あるのは世界録への絶対的信頼だけだ。
何を言われても世界録の完結を見届けるという意志を違える気はない。
「……分かるはずもないだろう。私は数百年を本の虫として生きてきたんだ」
「分かってる。そこでだ! この世界の素晴らしさを俺が教えてやる」
「え?」
「貴女は外の、現実の世界が嫌いなんだろう? だから世界が滅んでも良いと考えるんだ。なら、俺が本の中の世界よりも、この世界の方が凄いんだと教える。そうすれば考えも変わるだろ」
――突然、何を言い出すんだ。
「……私に何の利があるんだい?」
「そうだな、俺に付き合ってくれるなら、新しい本を持ってこよう。貴女の考えが変わろうが変わるまいが、俺は世界が滅ぶまで本を持ってこの森にこよう」
それじゃあ君に不利すぎるだろう、とリブリは考えた。
意図が分からない。
これまで接してきてレインハルトの頭の良さは理解しているつもりだ。
「いいよ。のってあげよう。君に私の想いが変えられるのか試してみると良いさ」
「本当か!? なら、次ここに来るまでに準備しておくぞ!」
レインハルトは立ち上がり、荷物をまとめて帰ろうとしている。
早く帰って、リブリの気を変えるための準備でもするつもりなのか。
「もう帰るのかい?」
「あぁ。時間はいくらあっても足りないからな」
「そう。なら、最後にひとつだけ。どうして君は世界を救おうとするんだい?」
「さっきも言ったが、世界を救うのに理由なんていらないだろう」
「んー、言い方を変えよう。どうして自分を迫害する世界を救おうとするんだい」
レインハルトは一瞬固まったが、薄く笑みを浮かべてリブリに伝える。
「それは秘密だ。ただまあ、自分を迫害する世界だろうが、悪い点よりも良い点の方が多いんだよ」
――それに、と彼は紡ぐ。
「少しぐらい悪いところがある方が、好きになれるだろう?」
世界録の編纂者〜本狂いの魔女は終末世界で愛を知りたい〜 七篠樫宮 @kashimiya_maverick
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