4 異形の王子レインハルト・ラファイン


 当代編纂の魔女リブリが暮らす森――正式名称をマナフィトの夢幻樹林は、魔女以外の存在の侵入を許さない。

 リブリの先代の先代の先代の…………ずっと昔の編纂の魔女が、特殊な樹木と妖精の秘術、そしていにしえの魔法を用いて生み出した森。

 招かれざる存在を排除し、許可された者以外が魔女の家に辿り着かないように設計されている。

 それだけでなく、歴代の魔女が希少な植物などを植えたりした結果、この森独自の植生環境を形成したのだ。そうして生まれた植物の中には、触れるだけで生物にとっては毒となるものもある。

 魔女の術と天然の罠。この二つによって編纂の魔女の家は外界からの干渉を防いでいるのだ。


「……来客が来る予定なんてなかったんだけどねぇ」


 それなのに、夢幻樹林を超えて魔女の家の扉を叩く存在が現れた。


「どうやって君はここまで来れたんだい? ……あぁ気を失ってるから無理か」

 

 とりあえず、玄関に居られると邪魔だったので、リブリは精霊人の青年を引きずって家の中に入れる事にした。


「お、重い……私が持てるのは本だけなのにぃ……」


 ちなみにベッドとかに寝かせる気はない。相手は汚れているし、リブリの筋力は見た目通り、か弱い少女と同レベルなのだ。引きずるので精一杯だ。


「ふぅ……。あとは起きるのを待つだけかな」


 青年を家の床に寝かせて一息つく。

 ちゃんと家の中に入れてあげた事が、せめてもの優しさだと言えるだろう。


「……待ってる時間が無駄だし、この間に読み進めようか」


 リブリは椅子に腰かけ、いつものように世界録を読み進めるのだった。




 ***


 朝のトラブルから数時間後、陽が真上に昇るお昼時。


「う……うぅ」

 

 それまで生きてるのか死んでるのかも良く分からなかった青年が動き出した。


「お、目覚めたかい?」


 リブリの声に青年は反応せず、彼は上半身を起こして周囲を見渡していた。

 ジロジロと他人の家を観察して失礼だな、と考えていたリブリの茶色い双眼と、青年の碧眼がかち合った。


「森を乗り越えて来たんだ。知ってると思うけど改めて。ようこそ魔女の家へ。もっとも、私は君の事を歓迎する気は微塵もないけどね」


 青年は目をパチクリとして呟く。


「……そうか。ここが『変わらずの森』の『不変の魔女』の家か……」


 変わらずの森? 不変の魔女? 何だそれは。

 リブリの地獄耳は青年の呟きを聞き逃さなかった。


「なんだいその二つ名みたいなの? 確かに私は魔女だけど、不変の魔女だなんて名乗った記憶はないよ」


「不変の魔女はこの世の全てを知っていると聞いてたが、違ったのだな……。伝承もあてにならんな」


「……さっきからブツブツと、用件があるなら早く言うと良い。それとも、君は魔女に文句を言う為に森を超えてきたのかい」


 リブリは苛立っていた。いつもの日課に水を差された事もそうだし、彼女自身は他人と接するのが苦手なのだ。

 青年もリブリの雰囲気から察したのか、立ち上がる。


「それもそうか。俺はレインハルト。ラファイン王国の第三王子レインハルト・ラファインだ」

 

 リブリの方を向きながら、精霊人の特徴を持つ青年――レインハルトは告げる。


「俺がここに来た用件はただ一つ。永遠を生きるという不変の魔女よ、貴女は世界の終焉について、何か知っているか?」


 なんともタイムリーな言葉だった。

 その言葉を受け、リブリは不敵な笑みを浮かべる。


「へぇ……どこで知ったんだいその事を?」


「その反応……やはり、知っているんだな?」


「おいおい、質問を質問で返さないでくれよ」


「俺がどこで知ったかなんて世界の終焉に比べれば些細な問題だろう。それよりも、知っている事があるなら話せ」


 レインハルトはどこか焦っていた。佇まいや表情、語気からもそれが伺えた。


「何をそんなに焦ってるんだい? もっと落ち着ついたらどうだい? これだから外の人間は嫌いなんだよ、忙しないな」


「は? ……世界が滅びるかもしれないのに、落ち着いていられるわけないだろう! お前は馬鹿なのか!」


 もっともだった。


「急に叫ばないでくれ。そんなに知りたいなら私を襲って吐かせてみるかい? ほら、見ての通り私はか弱い少女なんだよ? ほらほら?」


 内心で『コイツ、私のことをお前呼ばわりしやがったな』と若干キレながら、リブリはレインハルトを煽った。


「……俺を見くびるなよ? そんな外道に落ちる訳がないだろうが。それに、魔女の言葉を額面通りに受け取る馬鹿はいない」

 

 両手を広げ、かかってこいと訴えるリブリを見て、レインハルトも威勢を削がれたのだろう。


「はぁそうかい。世界の終焉だったね。知ってるよ」


 そんなレインハルトを見てリブリも自分の言動が馬鹿らしくなった。

 それに、ここで粘って居座られるくらいなら、サッサと用事を済まさせて帰ってもらう方が早いと気づいたのだ。

 リブリの言葉を受けて、レインハルトは話を続けろと視線で促した。


「って言っても、原因は知らないよ? 私が知ったのも、世界録の白紙のページに限りがある事に気づいたからだけだし」


「世界録とは何だ?」


「私が持ってるこの本だよ。世界で起きた様々な事を記録し続ける無限の書物。この本の余白が無くなりそうなんだよ。コレって、世界の未来が無くなるという予兆みたいなものらしくてね」


「見させてもらう事は?」


「いいよ」


 リブリはレインハルトに世界録を手渡した。


「……俺が言うのもなんだが本当に良いのか。不変の魔女がこの世の全てを知っているという伝承の核だろう?」


「まあ、読めば分かるよ。もっとも――」


 ――読めればの話だけどね。

 

 リブリが自分の命よりも大切な世界録を他人に渡せる理由。


「なんだこれは」


 リブリにはレインハルトが何に驚いているのか簡単に推測できた。

 なにせ、それはリブリが数百年前に味わった事なのだから。


「これは、どこの、いや。いつの時代の言語だ? こんな言葉、俺は知らないぞ」


 世界録は、世界をつづる無限の書物。

 世界の始まりから現代まで記録し続ける一冊の本。

 そこに記される言語を誰も知らない。リブリはもちろん、代々の編纂の魔女も習得する事はできなかった。

 リブリ達、編纂の魔女にできたのは読む事だけ。その言語を話す事も書く事もできない。

 

 では、編纂の魔女以外の者が世界録を見たならば?


「世界録は常人には読めない。読めるのは私のような魔女だけだよ。ほら、分かったなら返してもらうよ」


 リブリはレインハルトの手から世界録を奪い取った。

 例え彼には読めないとしても、奪い去られても勝手に戻ってくると分かっていても、やはり自分の命を他人に触られて良い気はしなかった。


「それで、私の知ってる事は全部見せたんだから、君の知ってる事を教えてくれるかい?」


 レインハルトは頭を掻き、口を開いた。


「あー、王国には占星院という、予言を行う部署があるんだが――」


「知ってるよ。少し前に、疫病の予言をしてたよね」


「――百年位前に流行った泥鼠の虚幻病の事か? 不変の魔女からしたら少し前なのか。まあ、知ってるなら色々省くぞ。占星院が予言を出した。内容は世界の終焉について」


「具体的な予言は? 確か、文章で出されてたはずだけど、術を変えたのかい?」


 リブリは思い出す。世界録で読んだ時は、予言は文章として書き出されていたのだ。


「そこまで知っているのか……。生憎と、俺は具体的な文を知らん」


「はぁ? 君、王国の第三王子なんでしょ?」


 リブリは眉をひそめた。どうして王族がそんな重大な事を知らないのか。

 

「……そうだな。俺は王子だ。ただし“異形の”っていう言葉が頭に付くがな」


 異形の王子。精霊人の特徴である、尖った耳の事を言ってるのだろうか。

 リブリは様々な事を知っている。その情報源は世界録だ。

 そして、世界録はこの世の様々な出来事を記録するのであって、全ての事を記録する訳ではない。

 現在のラファイン王国の内情を、リブリは知らないのだ。

 その様子はレインハルトにも伝わったのだろう。


「やはり、不変の魔女でも知らない事があるのだな」


 その言葉にリブリを侮るニュアンスは無い。

 彼は力無く笑いながら続ける。


「老いぼれ共によると、先祖返りという現象らしい。ラファイン王家には色んな血が混じっているからな。かの精霊人もその中にいたのだろう」


 なるほど、とリブリは察した。

 王族なのに予言の詳しい内容を知らず、異形の王子などという、仮にも王に連なる者に付けるはずのない形容詞。


「迫害か。これだから外の人間は嫌いなんだ。予言の内容を知らないのもそういう事だろう?」


「違う」


 違ったようだ。


「いや、迫害は事実だが、予言とは別だ」


「だったら早くそう言え!」


 まったくもう。見当違いな推測を披露してしまったじゃないか。

 リブリのイライラメーターが上がった。


「予言の詳しい内容を知った国王とその側近達は、何を考えたのか俺たち王位継承権保持者を集めて言い放ったんだ」


 リブリの憤慨を無視して、レインハルトは話を続けた。


「『世界終焉の予言が出た。この予言を覆した者に、ラファイン王国の王位をやろう』」


「それは……私が言うのもなんだけど、頭がおかしいんじゃないかい?」


 世界終焉を受け入れているどころか、願い喜んでいるリブリが言うのもおかしな話だが、控えめに言って頭が狂ってるとしか思えなかった。


「ハハ、俺もそう思う。そんな訳で、俺たち王族兄弟姉妹による王位継承戦を兼ねた世界救済が始まったんだよ。ちなみに俺が現在最下位だ。仲間もいないし、敵にも相手にされてない。ないない尽くしの王子様って事だ」


 リブリは改めて彼の着ている衣服を見た。

 ローブは森を抜ける時に汚れたのだろうが、それを踏まえても安っぽい。

 彼の王族らしい点は、その整った顔と白い肌くらいだろう。


「世界終焉について知った理由は分かったけど、顔だけの王子様は何で魔女なんかを訪ねて来たんだい?」


「ん? 顔だけって……気持ち悪くないのか?」


「は?」


「いや、城ではこの尖った耳が嫌がられてな。うん。新鮮だ」


 レインハルトは、ここに来て初めてニコリとした笑みを浮かべた。

 皮肉のつもりだったのに、とリブリは心の中で毒を吐いた。


「それで、ここに来た理由だったな」


 彼の瞳が、リブリの眼を射抜く。

 コホン、とわざとらしく咳をして、リブリの方へと手を差し出す。


「不変の魔女よ。貴女の力を貸して欲しい。俺と一緒に世界を救済しないか?」


 リブリは差し出された手を見つめて言い放った。


「絶対に嫌だ」

 

 交渉は秒で決裂した。


 

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