かつて遍在したネコたちへ

飯田ちゃん

第1話

 なんなんだろうね。この不可解な生き物は。


 そいつは大学の北門前で、毛に覆われた身体に三角の耳とひょろっとした尻尾を生やし、僕に腹を見せつけてゴロゴロ喉を鳴らしている。つまり猫だ。

 飼い猫には見えないし野良猫に違いないんだろうけど、可哀想なことに毎日学生たちがそれこそ猫っ可愛がりしているんだろう。目が合っただけの僕に対して、野生を忘れたかの如く甘えた仕草ときたもんだ。

 だいたい世間に猫好きが多すぎやしないかい? 猫なんて本を正せばエジプト出身の外来種ってことにならないか? ブラックバスやアメリカザリガニと同じ括りでいいんじゃないか? 糞害や騒音ももちろんのこと、生態系に結構なダメージを与えてるって話もちょくちょく耳にするぞ。それなのに猫は可愛いというその一点をもって全てを許されている(ように感じる)。

 犬だって兎だってミミズだってオケラだってアメンボだって僕は可愛いと思うし、みんなみんな生きているのに、その中で猫だけがこの優遇っぷり。納得がいかない。

「なんだこのやろ! なんでそんなに可愛いんだこのやろ! 僕だって差し支えなければあまねく世界の全てから愛されたいというのに! えいっ、なんとか言ってみろ!」

 言葉と一緒にわしゃわしゃわしゃと撫で付けてやれば、猫は気持ちよさそうにゴロニャーンと鳴くだけで、僕の疑問には応えてくれそうもなかった。


 なぜ猫は愛されるのか?

 猫自身がニャーとしか言わないんだから、そうなったらもう僕が考えるしかない。

 北門で別れ、手に残ったモフモフ感に思いを馳せながら学生寮へと帰った僕は、猫について本気出して考えてみた。


 まず前提としてだが、猫を好きなのは人間だけである。

 大概の小動物や昆虫にとって猫なんて天敵でしかないだろうし、大きい動物から見たら獲物か障害物くらいの認識だろう。人間だけが猫を特別視する。その理由はなんだ?

 仮定するなら、それは知性ではないだろうか? 知性があるから猫に可愛さを見出すことができた。すごいぜ人間これぞ叡智だ。それでこそ禁断の果実を食って楽園追放された甲斐がある。

 さあ、叡智も高まってきたことだ。更なる真理へと足を踏み入れてみようじゃないか。かかってこい! 今の僕はしゅっごく叡智だぞ! 

 では叡智に問おう。知性が可愛さを見出すとあったが、それはあまりに短絡的ではなかろうか? 冒頭にもあった通り、猫には人間に対してデメリットとなる事柄がいくつか存在する。にも関わらず可愛いからで丸く納めていいものなのか? 欲を律してこその叡智だろう、と。

 はっはーん、そう来ましたか。いやはや成程、いや確かに、うん。それはね。うーーんとね? えぇ……、叡智わっかんにゃい……。

 ほーら見たことか! だいたいさぁ!猫にうつつを抜かしてる奴のどこに知性があるってぇもんよ?! 語尾にニャを付けた適当な猫語で猫に話しかけたりよぉ! ありゃあ知性の敗北を世界で一等わかりやすくした構図に違いあるめい! 麻薬中毒者とどっこいいい勝負できらぁよ!

 ああ、そうか。そうか。つまり猫は麻薬みたいなものなのかもしれない。これはとんと腑に落ちた。いいやもっと、中毒と呼ぶより、夏の暑い日にポカリが飲みたくなったり、寒いから服を着込もうといった、もっと自然に近いものである気がする。

 僕たちは知性を得るかわりに何かを失って、僕たちが失ったものを持ち続けているのが猫なんだ。だから欠落を埋めるように猫を求めてしまう──。

 失ったものが何なのかは分からない。だけど僕は便宜的に"ネコ"と定義することにした。人が無くし猫だけが持ち得る。それが"ネコ"。

 猫をカタカナにしただけが、名付けてみればなるほどどうしてピッタリだ。これはひょっと、多分宇宙創世からネコと定められてて、アカシックレコードの1行目に極太マッキーででかでかとネコと書き殴られているに違いない。そのネコを保つ唯一の種だから猫と呼ぶのかも。なんてね。





「なんともイデア的な話だね」


 翌日、講義が終わってこの話を仲間内に披露してみたのだけれど、悲しいほど彼らの魂に響かなかったらしく、リアクションも芳しくないまま皆は散り散りに教室を出て行った。そんな中、隣に座っていた斎藤君だけが反応してくれた。大学にはどの講義にも1人か2人はめちゃくちゃ頭いいけど何考えてるかわかんない変人って奴はいて、斎藤君はまさしくそういう奴だったし、話すのもこれが初めてだったけれど、ネコについて興味を持って貰えたのが嬉しくて、僕は自己紹介もなんのそので彼の言葉に食いついた。


「それだとネコの存在が説明できない。完全な三角形なんかと違って、現実にネコは猫にいるんだよ」


「だろうね。ネコという言葉を知った瞬間、まさに俺の脳内に電流が駆け抜けたさ。だが君の、ああ平賀君といったっけな。平賀君、知性によってネコが消失したという君の理論は、いささか人間本位が過ぎないかい? この素晴らしいネコという概念を発見したのは平賀君であるが、だからこそまずは先入観にとらわれず、あらゆる可能性を考えてみるべきだ」


「なるほど確かに、僕は思慮分別に欠けていたのかもしれない。だからといって僕みたいな凡人が思い馳せるにはネコは広すぎる。不安がでてくるよ」


「なら二人でどうだい? 俺と君、今日から二人でネコの深淵を探ってみようじゃないか。ネコ部の発足だ」


「ああ、それは願ってもない。斎藤君なんて頭の良い変人だと思っていたけど、どうして話の分かる気の良い奴だったんだね」


「よく言うぜ。変人ってだけなら君のほうこそ中々のものだと自覚ないのかい?」


 僕たちは顔を見合わせて笑った。

 こうして晴れてネコ部は発足し、日を重ねるごとに僕たちはネコにのめり込んでいった。



「猫の排泄物からネコを採取することは可能か?」 「野良猫に発信機をつけてみたが、やっぱりこの大学を生活区域にしてるみたいだよ」 「要望が通った! これで生協でちゅ〜るが買える!」

「 待てよ、ミミズだってオケラだってアメンボだって、かつてはネコと共にあったんじゃないか……?」 「その中で何故、猫だけがネコを有しているのか。クソ、謎が増えるばかりだ!」

「連休中に猫大寺の天井曼荼羅図を拝見させてもらったんだけど、それがこの写真。どう? 感じるよね。ネコ」 「ネコと仏教との繋がり、興味深いな」 「悟りとはネコなんだ?!」

「へえ、秋山瑞人の『猫の地球儀』か。仮に作中の猫達が電波ヒゲによってネコが失われたのかもと考えると、僕の初期理論も捨てたもんじゃないんじゃない」 「海が、」「太古の昔。空も、海も、この宇宙のあまねく全てがネコだった……?」 「なんともエーテル論的な話だね」 「かつて遍在していたネコ

か……」

「シュレディンガーの猫、あれはひょっとしてネコを観測するための思考実験だったのかも」 「電磁気力、弱い力、強い力、重力。ネコはそのどれにも分類できない!」 「第五の力か!」



 季節がひと巡りする頃には、斎藤とは生涯の友と言って差し支えない仲となった。一人だと行き詰まっていた理論や仮説も、斎藤と話せば様々な可能性が花開くんだ。日々新しい発見に満ちた素晴らしい日常を僕たちは謳歌している。はじめは変人を見る目だった周りも、いつしか学生や、教授の中にも興味を示してくれる人がぽつぽつと現れはじめて、ようし、ここいらで論文の一つでも書いてみようぜと意気込んだ。

 その過程で僕たちは喧嘩になった。最初で最後の喧嘩だった。


「だからぁ! 平賀、お前の考え方は間違ってるんだよ!! 世界はあるタイミングでネコを裏切った。だからネコが失われただぁ? 寝言だそんなん! もっと科学的な目を持てよ!」


「その科学が僕らからネコを奪っていったのさ! 科学的なアプローチでこの一年、何か解決したかい? 一つの仮説が倍々で増えていっただけじゃないか!?

 もっと生命の、自然の、魂の声に耳を傾けるべきだね!」


「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、まさかここまでとはな! 仮に哲学思想でネコを得たとして、それは偶然に過ぎない。再現性がなきゃ話になんねーだろ!! 人類全てがネコを取り戻してこそ、俺たちはやっと次の進化の、世界平和のステップを踏めるんだ!」


「何を言ってるんだい? 進化しようが退化しようが争おうが、一人でもネコに辿り着けたなら、それはもう人類の叡智の勝利に他ならない。その勝利を導くのが僕だ!!」


「ははぁ、わかったぞ。お前本当はネコなんてどうでもいいんだろう? ただただ自分がチヤホヤされたいだけだ。そのために手っ取り早くネコを宿したいだけなんだ! 人間本位どころか自分本位のナルシスト野朗だ!」


「斎藤だって万人に、世界にネコを取り戻すと豪語するけれど、ネコさえあれば完璧な人類、完璧な世界になるとどうして信じられる? 猫だってネコがあるのに猫が嫌いな人間だっているんだ。ネコりたい人だけネコればいいのに、人類まるごとネコろうとさせるのはエゴだろう。僕がナルシストなら君はただのひとりよがりのロマンチストだね!」


「なにをゥ!!」


 すわ互いに飛びかかろうかという瞬間に、「やめて下さい!」と静止の声が割って入った。先月入部した、ネコ部唯一の後輩、長本さんだ。


「やめて下さいよ二人とも! 仲のいい二人がネコなんて意味不明な概念で喧嘩しないでほしいです!」


「「意味不明とは何だ!!」」


 声が重なった。長本さんは「ほら仲良しじゃん」と、したり顔だ。

 なんだか喧嘩を続ける空気ではなくなってしまったな。かと言って僕はもう斎藤を心の底から許せることは出来ないだろうし、それは斎藤も同じに違いなかった。


 その後、もう斎藤と研究を続けることは金輪際ないだろうとし、かと言って一年間ネコ漬けだったのが今更普通の学徒に戻れるかというと、どだい無理な話だった。

 僕は大学を辞め、日本中を巡ってネコ教の布教を続けた。時には講演し、街頭演説し、猫にちゅ〜るをあげ、行く先々で怒られたり無視されたり、たまに感謝されたりした。

 それも10年もそんな生活を続けていれば、塵も積もれば信者も中々な数へと登り、最近では新興のおもしろカルトだと世間で認知されているらしい。これには憤慨したい所ではあるが、そうやってニュースでオモチャのように取り上げられるごとに興味本位で入信者が増えていくのだから、僕はそんなたくさんの信者達とネコについて語り、教え、時には気付かされ、ネコへの解析度を日々更新している。



「ネコと和解せよ!」

 今や教団のお決まりとなった締めの言葉でこの日の講演を終えた。名残惜しむような歓声と拍手を背に会場を出て、迎えの車を待つ。渋滞に巻き込まれて到着が遅れるらしい。


「あれ、平賀先輩じゃないですか!」

 声をかけられた。見れば大学時代の後輩の長本さんだ。僕はネコ教の付き添い幹部二人を下がらせ、長本さんに久しぶりだねと返事をした。

 斎藤の葬式以来だから、会うのは三年ぶりになるな。

 斎藤は、三年前にこの世を去った。いや、もしかするとネコになったのかも知れない。

 僕が去った後も彼は大学でネコ学を続け、大学と複数の企業を味方につけ、ハドロン衝突装置とシュレディンガーの箱装置と宇宙ロケットを合体させたような実験装置を作り上げ、「俺自身がネコになることだ!」そう叫んで装置に乗り込み、打ち上げられ、大気圏で爆散した。誰にも理解されない最期だった。


「いやー、たまにテレビで見ますよ先輩のこと。ネコと和解せよーって」


「長本さんは、人が本当にネコと和解できるって思ってる?」


 ふと、疑問をなげかけた。

 大学で長本さんとは1ヶ月程度の付き合いだったけれど、それでも、彼女は実際ネコになんら興味は無くて、ただただ変人の僕たち二人を近くで観察したいだけの変人だったって程度には彼女のことを理解している。最近は熱心にネコについて関心のある人間ばかりと話しているから、たまには一般的な意見を聞いてみたくなったのだ。それに、もう僕は10年前の僕じゃあない。ネコについて日々思考を研磨し続けている。彼女が否定的な意見を言ったとしても、どうとでも返せる自信が僕にはあるんだ。

 長本さんは「う〜〜ん?」としばらく首をかしげながらこう言った。


「でも、平賀先輩が本当に和解したかったのは、ネコじゃなくて斎藤先輩ですよね?」


 あっ、と、言葉が出なかった。

 ああそうだ。大学で彼との一年間は、他の何にも、それがネコにだって代え難いものであったと、僕は遂に気付かされてしまったのである。「先輩? 大丈夫ですか? 顔真っ青ですよ?」異変に思ったか幹部達が駆け寄ってくる。三年前には流れなかったはずの涙が突然に湧いてきて、誤魔化そうとして顔をあげ、空を見た。


 綺麗な夕暮れ空。


 そこに斎藤がいた気がした。






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かつて遍在したネコたちへ 飯田ちゃん @yuyuyun_yu

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