荷解きは台風に邪魔されて


「……っと」


 どすん、と重い音が響いて、おっと、と山藤やまふじいさむは声を漏らした。単純に物の詰まった段ボールをうっかり落としてしまっただけの話で、音から察するに中の何かが壊れたということもないだろう。


 危惧するとすればアパートの下階の住人にまで今の音が響いていないかどうか、くらいだ。

 まぁ、それでもトラブルになる可能性はどうしてもあるので、それはその時に考えようと思考を捨てた。


 一応、とりあえず引っ越しの挨拶も兼ねて今日はドタバタするかもしれないということは上下左右に共有している。だからこれしきのことであーだこーだと文句を言われるのであれば、お隣ガチャ失敗したかな、と思うだけのことだ。


 功は大雑把な性格で、細かいことを功は気にしない。


 人間、全員と友達になれるなんていうのは夢物語で、きっと真の意味で友達になれるのはせいぜい富士山の上でおにぎりを食べたいと歌っている数くらいである。

 と、無為な思考ばかりしていることを自覚して、功は集中力が切れたことに気づく。遅れて、じわぁと腰に熱か痛みか判断に迷う疲労を感じた。


「きゅーけい」


 誰に言うでもなく呟く。

 マットレスを引いただけのベッドに倒れ込んで、ベッドボードに転がしてあったスマホを手に取った。


「うぇ、もう結構時間経ってんな……。これ、今日中にできるか……?」


 独り言が大きいのは、つまるところ独りの時間が長い証拠である。両親が共働きで家にいる時間が少なく、故に青春時代の学外は基本的に独りだった。――というとまるで友達が一人たりともいない寂しいヤツのように受け取られがちだが、そういう訳ではない。


 程々、ではあるが濃い友人が何人かいたのだ。過去形なのは、勿論のことながら死んだのではなく、今年から隣町の大学に通うことを期に一人暮らしを始め、物理的距離が離れてしまっただけである。


 一通りネットサーフィンとブラウジング――どっちもどういう意味合いかを正確に功は理解していないが、ひとまずあれこれとネットの海に沈むことだろうという解釈でいる――をした後は起き上がって、ベッドボードにスマホを置く。そのままの流れで不意に窓に視線が移った。


 桜の木が一本だけ見えて、そのピンクのフィルターの先に道路がある。公園がある訳でもなんちゃらタワーがある訳でもない、ビルとかが普通に見えるありふれた背景だ。あえて言うなら一つだけ飛び抜けて高い高級マンションがあるくらいだろうか。いや、確か物件探しの時に好奇心で値段を見たが、桁が違っていた気がするので、マンションではなくて億ションなのだろうが。


 ともかく。


そんなありふれた景色も桜があるだけでなんとなく雰囲気がいいように感じるのだから、日本人の感性というのはなんて都合が良いのだろうか。


 おもむきおつというものを見出す能力に長けている、と日本人は言われているが最近はどうだ、エモいだのなんだのと曖昧な言葉で趣やら乙やらいきやらを十把一絡げにしている。この惨状をかつて文士と呼ばれた人々が目の当たりにしたら、どう思うのだろうか。

 なんてことを高校時代の友人が言っていたような気がするが……。


「うん。別にどう思ってようが関係ねぇな」


 繰り返すが功は細かいことは気にしない性質である。何ならエモいでニュアンスが伝わるのならそれでいいだろ、という派閥だ。


「あー、ダメだこれ。完全にやる気失せたな」


 無意味なことに思考が巡って、完全に荷解きの体力はなくなっている。課金の石を砕くか体力回復のアイテムを使うしかないが、現実にはそんなものはない。


「コンビニ行くか」


 軽い空腹に気付き、そそくさと出かける準備を簡単に済ます。

 コンビニまでは徒歩十分。ちょっとだけ遠いが、まぁウォーキングも兼ねていると考えればちょうどいい距離だ。まぁ運動はさっきの荷解きで充分ではあるが。


 区切りをつける為に、ひとまず三十分のタイマーをかけてコンビニに出かける。


 コンビニでおにぎり一つと肉まん、コーラを買って帰路につく。新生活一日目ということもあって家の中でご飯を食べることに少し抵抗を覚えたので、歩きながらそれらは食べることにした。変えたばっかりのスマホはちょっとだけ丁寧に扱うのと同じ理屈だ。


 食べながら歩いていると、すれ違う人からの視線を多少感じたが、細かいことは気にせずにおにぎりを平らげる。


「……っと、なんだ?」


 振動を感じて、その元である腕を見る。スマートウォッチから着信の通知だ。


「やっほー、功。何してるの?」

「何、って荷解きしてたけど」


 電話の相手は、濃い友人の一人である未司みつかさ由香里ゆかりだ。友達、という概念をパーセンテージで表すと八十パーセントは由香里である。


 若干十八歳にしてフォロワー十万超えの大人気イラストレーターである。描きたいもの描きたいだけ描いて、それ以外のほぼ全てを捨てるという芸術家とは破天荒であるべき、を体現するような生活をしている幼馴染である。


「えー、嘘だぁ、窓から見てるけど、いないじゃん」

「……俺の部屋、二階なんだけど。んでもってベランダとか何もないんだけど?」

「筋肉で」

「筋肉すげぇな!?」

「いやぁ、それほどでも」

「褒めてぇよ……」


「……ていうか、スマホもベッドにあるのに、どうやって電話してるの? って、あ、もしかしてスマートウォッチ?」

「ああ、そうだよ。前に説明したろ」


 スマートウォッチは機種によっては、スマホを手元に持ってなくともスマホの回線を活用して電波の圏内であれば接続しっぱなしの機種などは多くある。功の持っている機種も、その類だ。チタン製で水深一〇〇メートルまで耐えられるが、充電が二十四時間も持たないやつである。


「あー、そんなこと言ってたね。ウルトラツー? だっけ?」

「それで? 一体なんの用だ?」

「んー? いや、私もこっちに引っ越したからさ、引っ越しの挨拶って感じ」

「……は? お前、東京に行くって言ってなかったか? 確か、どこかのデザイナー事務所に入ったとかなんとかって」

「ん? なんか、所長を名乗ってる偉そうな人がウザかったからカツラ取って頭ナデナデしてあげたらクビになっちゃった」

「何してんだお前!?」

「だははははっ! ってやばっ、警察呼ばれたっぽい! ごめん、撒いたらまた電話するね!」


 ぶつっ、と切れる前に「君、ちょっと待ちなさい!」という男の声が聞こえていた。絶対に警察の制止の声である。


「…………。マジで?」


 はぁ、とため息をついて、死に際でもないというのに走馬灯のように由香里との記憶が脳内を駆け巡る。一番印象深いエピソードは、授業中ブチギレている教師を全く無視して、後に百万のいいねを集めるアナログイラストを描ききったことだろうか。


 運動センスも何もかもを芸術の為に発揮していた由香里は、奪い取ろうとする教師を前に、舞いを踊るようにひらひらと避けつつ、確実に絵が完成していく様はこっそりとSNSにあげられて大バズしていた。

 パフォーマンス、という言葉の意味を功はその時、正確に知ったのだった。


 懐かしい回想を頭の中で繰り広げながら部屋の鍵を開ける――が、抵抗がない。鍵を締め忘れただけかとも思うが、長年の勘が告げていた。


「由香里ぃ、また勝手に俺の家入ったな!?」

「あ、おかえり~」


 直感は的中。ベッドには由香里が座っており、買ってきたらしいポテチを食べていた。食べカスが落ちていてベッドが既に若干汚れている。

 功のメンタルが少し削られる。


「おう、ただいま……、って違ぇ!! お前、平気でピッキングするのやめろよ!? ってか、もう警察撒いたのかよ!?」

「いや、面倒くさくなったから事情説明した。サプライズですって言ったら納得してくれたよ」

「サプライズで許されんのかよ!? で、お前どこに住むつもりなんだ?」

「ん? あそこ。一番でっかいやつの一番上」


 そう言って由香里が指差したのは、件の飛び抜けて背の高い億ションだった。


「若者の貧困格差問題!!」

 がたっと床に崩れ落ちて、功は思わず叫ぶ。


「うわぁっ!? 何、功。急に叫ばないでよ!?」

「お前の方がうるせぇよ……。んで、本当になんの用だよ」

「だから引越しの挨拶だって。これからお世話になるだろうから、よろしくね」

「…………。ああ、よろしく。頼むから、大学の単位だけは落とさせないでくれよ」

「大丈夫大丈夫。本当に困ったら、私が養うからさ」


 あれやこれやと言っても無駄なことはもう、充分に理解っている。

 ああ、これはまた騒がしい日々がやってくるのだ、と功は思う。


 ※※※


「…………。ん? っていうか、俺、お前に引越し先の住所教えたっけ?」

「前にスマートウォッチのGPS情報を私のスマホでも取得できるように設定したから、すぐに分かったよ」

「いつの間に!?」

「あははははっ。功は私に監視されていると思って生活するんだね。……彼女なんか作ったら許さないからね?」


 由香里の言葉の途中で、スマートウォッチが急に振動する。荷解き再開の為のアラームをかけていたことを思い出した。


「ん、今最後、なんか言ったか?」

「なんでもなーい。バーカ」

「はぁ!?」

「私、一旦自分の部屋に戻るね。荷解き終わったら教えてね、晩御飯、ウーバーで私が奢ってあげる」

「手伝ってはくれねぇのかよ?」

「あはははっ、じゃあねぇ~」


 それだけ言って由香里は部屋を出ていく。バタンと扉が閉まると、一気に静けさが蘇ってくる。隣人達との平穏な関係を築くことは諦めた方が良さそうだ、と功は思う。


 いや、それよりも、だ。


「どうすっかなぁ……。一旦落ち着いて考えようと思ってたのに、マジかよ……」


 頭を抱える。由香里のさりげなく、しかし確実なアピールに気付かない訳がない。


 窓を見ると、少しばかり強い風が吹いたのか、桜の花 びらが舞っていた。


「ま、どうにかなるかぁ……」


 満更でもないような溜息を功は小さく漏らす。


 功は基本的に細かいことは気にしない性質である。


(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ショートショート 雨隠 日鳥 @amagakure_hitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ