昼下がり、山中にて。

「それにしたって師匠」


 ざくざくどうにか土を蹴って、這う這うの体で斜面を進む。言葉の合間合間にぜいと大袈裟な息がいるくらい。


「なんだよ」


「どうして箒やら、駆動蜂やら使わないんです」


 いずれも簡便な移動手段である。元より山麓までは寝台付きのノロマヘビに乗ってきたわけだが、ソイツを降りてからずっと徒歩で移動している。出不精な身には厳しい運動だ。木漏れ日すらくらくらと眩しく思えるほどに。


「阿呆。ここもう私有地―要は農場だぞ。箒でも駆動蜂でも勝手に乗ってみろ、今に監視魔法に睨まれる」


 ふもとから見上げたその標高を思い出し、ええ、と嘆息交じりの言葉が漏れる。なんだか文句の一つでも言いたくなって横目にちらりと盗み見たけど、彼女と言ったら汗の一つもかかないで矍鑠と―というと怒られるかもしれないが―先を進んでいくものだから、堪らず閉口する。


「……てことは、ここでなにかしら栽培を?」


 暫くの沈黙を食んだ後、諦めて話題を口にした。如何せん、ただ静かに歩いている方が余程堪えるように思えたからだ。


「いや……ここじゃねえんだ。ざっくり言や、丁度幾つかの山に囲まれた小さい土地があってな。そこが農場だ。しかも―ここだけじゃなくて、周囲の山全部依頼主の私有地らしい」


「なぁにを作ろうと思ったらそんな辺鄙な土地が必要になるんですかね!?」


 先を行く背にヤケクソ交じりで声を荒げたら、彼女は存外神妙な顔でこちらを振り返った。


「それなんだがな」


 彼女がそこで立ち止まったもんだから、僕も一緒に立ち止まる。


「どうも怪しいんだよな」


「何がです」


「農場そのものだよ。大体、何を育てるったって山全部買い取るんだ? はっきり言って、何か隠したいようにしか思えない」


 ―確かにな、と心中頷く。山を幾つも買い取れるような資金力があるなら、もっと農業に適した広い土地を買い占めることだって難しくはないだろうに。山に囲まれた閉じた土地。


「まあ全部憶測だから何とも言えんがな、『遺書』やら『鍵』ってのは死んだ人間の人生が濃く反映されるんだよ。―だから、この土地が訳アリだってんなら」


 彼女が円く目を開き、凝とこちらを見据える。暗い葡萄の色をした目に、こちらを見透かされているようで、どきりとした。


「それは確実に、『遺書』が消えた理由に関係してる」


 いいか、と彼女が続ける。こどもに言い含めるような声色だ。


「厄介な『遺書』ってのは大抵厄介な事情の中にある。依頼主だって手放しで信じない方がいい」


 ―信頼できるモン以外は信じるな。その言葉を飲むように、風が低く吹き抜けた。

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魔法使いの遺書 むしやのこどくちゃん @Kodoku_chan

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